第7話:「光」
星たちがまばゆく空の下、数十人の警察により、俺の家の大捜索が開始された。
……な、何で、こんなことに!?
俺は目の前に広がる状況を読み込めず、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「子供」たちが捜索しているのを、されるがままに呆然と見つめているだけ。
先日、せっかく杏奈が綺麗にしてくれた、部屋が次から次へと好き勝手に散らかされていく。
こ、こいつらは……?
予期せぬ恐怖に、俺の心臓は徐々に気圧されていく。
鼓動のうねりが俺を襲う。
ドクッドクッ……。
……。
言葉が出てくる気配がない。
怖い……。
と、1人の捜査員がズカズカと2階に上がっていった。
焦燥感に駆られる俺。
ドクンッドクンッ……!!
に、2階はまずいっ!!
あ、兄貴が……!!
ま、まずいっ!!
俺はすかさず家の中に飛び込もうとしたが、突如、掌が俺の肩に覆いかぶさってきた。
ゾク……ッ。
心臓が悲鳴を上げる。
振り返ると、そこには1人の少年捜査官の厳しい表情があった。
捜査官は淡々と言った。
「どこへ行く気です? 静かにしていないと、公務執行妨害で逮捕しますよ?」
その瞬間、俺の頭が一気に熱くなった。
はらわたが煮えくり返る。
何が公務だとっ!?
てめえらのお粗末なままごとのどこが、公務だとっ!?
「いたぞーーーーーーーーっ!!」
ドキッ……!
鋭い「子供」の声に、俺の心臓が加速を始めた。
あ、兄貴……!
ヤバイ……。
思わず、玄関の扉に視線を送る俺。
冷や汗が頬を静かに伝う。
案の定、数名の「子供」に取り押さえられ、漂流民の「しくじった」というような、くたびれた顔が玄関の外に現れた。
「あ、兄貴……?」
俺は血の気も何もかもが失せてしまっていた。
「……」
兄貴は俯いたまま、口元を動かさなかった。
「……お、俺じゃない」
蒼白の俺は必死に弁解した。
俺が、こいつらを呼んだんじゃないっ!!
「行くぞ! 連れてけ」
ボス面の「子供」がパトカーを指差す。
「うっす!」
「お、俺じゃないってば……」
「この臭え野郎が、あの大量殺人犯に決まってますわ! この家に隠れ潜んでおいて、大量殺人のプランでも練っていたんでしょうよ! 全くしょうもな……」
気づかないうちに、俺はそいつの胸ぐらを掴んでいた。
視界が極端に狭まる。
頭が、熱い。
「てめえ、もういっぺん言ってみろっ!?」
「ひいっ!? き、気違いだ……! こ、こいつも連行しろ!!」
「やめねーーーーーーーーーーーーかっ!!」
と、野太い叫びが周囲に響き渡った。
突然の叫び声に、静寂を取り戻す周囲。
兄貴は視線でもう一度、周囲を制した後、静かにつぶやいた。
「俺がこいつの家に勝手に住んでただけだ。こいつは、何もしてねえ。そもそも、チキンな野郎だから、俺を匿うことなんてできやしねえよ」
その言葉に、俺は心臓を突かれるような感覚に襲われた。
言葉が、出てこない……。
な、何を言っているんだ……?
「あ、兄貴……?」
「けっ。臭え飯食いたくねえから、さっさと死刑でも何でもしろや。俺の気が変わらんうちに早く行こうぜ」
兄貴の言葉に、静止していた少年たちが、各々のパトカーに吸い込まれていく。
あ……。
俺は、最後まで言葉を発することができなかった。
兄貴は、俺に小さく合図を送ると、パトカーの中にその巨体を吸い込ませた。
バタンッ!!
残酷なまでに響く、扉の閉まる音。
俺はようやく我に返った。
しかし、パトカーは既にサイレンを響かせながら、闇夜の海へと沈んでいってしまった。
「大量殺人犯がようやく逮捕されましたっ!」
「うわあ〜臭そうな顔してっから、こいつが犯人に決まってんじゃん! マジ、キモッ!!」
「被害者が特定できなかったのに、よく犯人は特定できましたね」
「犯人はこいつ以外に有り得ねっすよ。この付近で20歳超えてる奴は、こいつだけだったらしいっすよ。どうせ、俺ら子供に対する妬みっしょ」
「さあ、これで町内の安全が確ほ……」
突如、テレビの画面が真っ二つに割れた。
「ふざけんなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーっ!!」
俺は怒りに任せて、喉が裂けんばかりに叫んだ。
テレビは煙を吹いて、倒れこんだ。
「うう……兄貴……」
胸にこみ上げるもの。
不意に、目の後ろが熱くなる。
……。
すっかりと静寂の支配した、蒼白い部屋。
木の温もりさえ、消え失せた部屋。
あの漂流民は、どこか遠くへ……。
手の届かない、どこか遠くへ……。
……何で、こんなことに……?
瞳から零れ落ちる感情。
頬を伝い、木の床を叩く。
塩辛い……。
頭が真っ白になった。
ちくしょう……。
ちくしょう……。
あの時、兄貴が連行される時、何故、自分は助けなかったのだろう?
それだけがいつまでも悔やまれた。
悔しい……。
俺は、無力だ……。
今に、兄貴は厳しい拷問を強いられているかもしれないのに……。
うう……。
さらに込み上げてくる感情。
ちくしょう……。
そして、浮かび上がる疑問。
俺が、正しいんじゃないのか?
また、あの頃のように、大人と子供が共存する世界が……。
正しいんじゃないのか……?
「子供」たちのやっていることの方が、正しいのか……?
信じたくないっ!!
信じてたまるもんかっ!!
……。
俺は、木の床に這いつくばったまま、しばらくの間、敗者のような味をかみ締めていた。
むかつくくらいの、晴れ晴れしい青空。
緑道が、濃くなっていく。
夏の終わり。
秋への、いざない。
清々しさを失った緑道。
どことなく、薄暗く、どこまでも広く……。
「……」
俺は、赤茶けた道路を俯きながら歩を進めていく。
足取りは重く、膝に何かが纏わりついているかのようだ。
「松添くん」
……ここには、そう優しく呼んでくれる殺人鬼、いや、少女もいない。
俺は、「孤独」だ。
思わず、歩を止める。
現実。
痛くて苦しい現実。
受け入れたくない、受け入れられない現実。
逃れられない現実。
でも、現実……。
こみ上げる感情は、奥深く、心に突き刺さる。
「……」
また、小気味良い風が俺の頬を撫でる。
ザーーーーーーーーーーーーーーーッ……。
感情だけは、涙だけは、流したくない。
辛くても、苦しくても、これからは1人で生きていかなければいけないんだ。
泣いている余裕など、ないだろう?
泣きたくても。
俺は再び足を上げて歩き出した。
たとえ、明日が見えなくても。
「……」
「……」
現実は、早速俺に試練を与えた。
教室に着くや否や、現実は俺に対して牙を向いたのだ。
俺の登場と共に、一斉に静まり返る教室。
必然だ。
そう、俺は「殺人鬼」の弟なのだから。
皆が怖がるのも無理はないさ……。
隣の席の女子も、俺を畏怖するかのように逃げ出す。
彼等は机など無視して跳ね飛ばす。
跳ね飛ばして廊下へと逃げ失せる。
「……あ」
思わず、息を漏らす俺。
扉越しにクラスの皆の、殺人鬼たちの、軽蔑するような、憐れむような視線が俺に注がれていた。
……何なんだよ、ちくしょう……。
怒りと悲しみが入り混じり、腹がうずうずする。
そればかりではない。
より一層、現実が現実味を帯びてきたことから、俺は一種の絶望感に苛まれていた。
もう、ダメだ……。
この世界では、「子供」を敵に回したら、終わりなんだ……。
やっぱり……。
「子供」たちの方が、正しいんだ……。
俺の生きる術は、残っていないかも、しれない……。
これから俺は、誰を信じて生きていけばいいのだろう……?
生きてていいのだろうか……?
死ぬべきじゃなかろうか?
孤独。
不安。
恐怖。
怖い……。
鼓動も今となっては加速する気力さえない。
歯車が止まってしまったような古時計のように……。
静止した時を切り裂くように、チャイムが校内に鳴り響いた。
長い1日がようやく終わりを告げた。
つらく、苦しい1日だった。
何度、早退しようと思ったことか。
クラスの殺人鬼共は、相変わらず俺から逃げるようにして消え去ってしまった。
全く、馬鹿な奴等だ……。
怒りの感情がフツフツとこみ上げてくる。
俺は、ふと杏奈の机に目をやった。
主を失った机と椅子は、どことなく寂しさをその身に漂わせているように思えた。
寂しい……!!
苦しい……!!
強迫的な圧迫感が俺に訴えかけてくる。
杏奈……。
溢れんばかりの寂しさが胸にジワジワとこみ上げてくる。
一体、どこに行っちゃったんだよっ!?
お前……。
お前は、今どこで何してるんだよっ!?
また、熱くなる目頭。
……きりがない。
帰ろう。
独りだけど。
これからは、1日1日を大切に生きていくことだけを考えよう……。
独りだけど。
俺は、教室を後にしようと扉に手をかけた。
「……っ!!」
俺は息を飲んだ。
視界の先。
橙色をこぼしたような廊下に立っていたのは、栗毛色の少女。
少女もまた、俺の突然の登場に驚いていたようだが、
すぐにまた、フッと柔らかい表情に戻った。
「あ……、杏奈っ!?」
俺は、情けなく叫んでいた。
抑えていた感情が全て解き放たれ、俺の心の中から溢れ出した。
視界が塩辛い液体で歪んでいる。
心が痛い。
頭がキーンと澄み渡っていく。
「松添くん……?」
「あっあーんなあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
気がつけば、俺は少女の胸の中に飛び込んでいた。
温かい……。
苦しかった。
寂しかった。
痛かった。
でも、俺は独りじゃない。
俺を救ってくれる少女がいる。
殺人鬼だったとしても、俺のことを誰よりもわかってくれると信じられる少女がいる。
価値観を超えた「何か」を持った少女がいる。
「どこ、行って、たんだよっ……!? お、おれが、どん、だけしんぱいした……うわああああああああああああああああああああーーーっ!!」
「……くん」
もはや、少女の声は何一つ耳を通らなかった。
発狂する俺。
今まで溜めていた全てのものがとめどなく溢れ出す。
溢れ出した塩辛い液体が、廊下の床を絶え間なく叩く。
そんな俺に少女は困惑していたかもしれない。
だが、すぐに杏奈は俺を優しく抱きしめてくれた。
……女の子の柔らかい匂い。
……。
現実に見くびられていた俺に、杏奈はかすかな希望を与えてくれた。
俺は、独りじゃないっ!!
もう、独りじゃないぞっ!!
胸を張って断言できる。
「……くうう」
久しぶりの大泣きに疲れた俺は、ずっと優しく手を差し伸べてくれた少女の顔を見上げた。
涙に橙色が反射して、あの笑顔が見えない。
手で何度も拭っても、溢れ出して邪魔する涙。
しかし、少女は頬をゆるめて優しく囁いた。
「松添くん、杏奈はどこにも行かないから……。ずっと、松添くんのこと見守っているから……。だから、もう泣いちゃダメだよ?」
「……」
揺れ動く心。
心が、限りなく澄み渡っていく。
斜光の眩しさがより一層、俺を包み込んだ。
―ような気がした。