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THE CHILDReN  作者: 京華月
3/24

第3話:「反逆」

「……」

蒼ざめた乳白色の壁。淡く光る木の床の上に、熱湯を注いだばかりのカップラーメンが2つ。俺は、その傍らで壁に背を預けている。カップのパッケージに視線を落としながら。

甘辛い味噌の香りが、俺の鼻腔を刺激する。

その度に、お腹がきゅっと陥没する。

「ハア……」

零れる溜息。

脱力感。

脳の電気信号を拒み続ける体。

動きたくない……。

動かさないでください……。

重たく被さっていた唇が、ようやくピクリと動いた。

「兄貴、飯」

俺は、正面のクローゼットにとげとげしい口調でつぶやいた。

返答はない。

しかし、物音1つないこの部屋には、俺以外にもう1人の家族がいた。

ギギィーーーーーーーー!!

ややあって、クローゼットが軋むような音を立てて開かれた。

クローゼットの中から、にゅっと大根のように太い足が姿を現した。

続いて、漂流民のような男がのそりと姿を現した。

男は、脂ぎった海草のような黒髪を振り乱し、毛糸のようなモジャモジャとした黒髭。太い二の腕と足を装着し、指先には黄色く伸びた不潔な爪。分厚い肩の上では、不細工なゴキブリが触角を蠢かせていた。

それだけではなかった。

漂流民の登場で、何とも言えぬツーンとした異臭が立ち込めてきた。

汗臭いような、生ゴミのような、アンモニアのような。強烈な異臭が鼻腔を襲撃した。鼻が息を吸うことを拒んでいる。

俺は、鼻をかばって悶絶した。

「兄貴……風呂くらい入れよ!」

鼻声交じりの悲痛な叫び。

漂流民は、ひ弱な笑みを浮かべた。

「……ん。そうだな……」

漂流民は照れ隠しにか、頭をボリボリと掻いた。

途端に、脂ぎった髪の毛の間から、茶色い固形物がボロボロと零れ落ちた。

どうやら“ふけ”のようだ。

……。

汚らしい光景に、言葉を失う俺。

俺は、漂流民にぬるくなったカップラーメンを差し出した。

やがて、部屋の中は、湿った麺を啜る音だけが支配した。

傍らの漂流民も俺も、それきり言葉を生産することなく、目の前のカップを空にすることだけに集中した。

しばらくして、すっかり空になったカップを傍らに放り、俺たちは各々冷たい床の上に寝そべった。固く冷たい感触が腕や足を包み込んだ。

蒼ざめた部屋。

縞模様のカーテンが夜風に踊っている。

涼しい。

体が浮かぶような感覚。

見事な催眠術だ。

目蓋がズシリと重くのしかかる。

欠伸を1つ。

涙が滲む。

「学校はどうだ?浩二」

突如、兄貴の低い声。

俺は、首を兄貴に向けた。

お腹をポンと突き出した兄貴が、力なく寝そべっていた。まるで、猟銃で撃ち殺された熊のようだ。

俺は、首を戻して言った。

「学校かあ……。怖いなあ」

「怖いなら、やめちまえばいい」

「いや、いい年こいて兄貴と1日中、家にいるのはどうかと思うぞ」

「それもそうだ」

再び、静寂が部屋を支配する。

相変わらず、蒼ざめた乳白色の天井。

やがて、甲高いいびきが鼓膜を叩きはじめた。

おかげさまで、目蓋の重圧が消えた。

再び、首を兄貴に向ける。

案の定、兄貴は、内臓脂肪でポンと突き出たお腹を何度もバウンドさせていた。

兄貴、寝たのか……。

再び、蒼ざめた乳白色の天井。

眠れない……。

どうしよう……。

寝返りをうつ俺。

悶える俺。

そして、気がつけば、“あの時”のことについて脳ミソは思考を開始していた。



あの時……。

乳母車の絶叫を掻き消すかのように、高らかに唸りながら到着した救急車。

紅いサイレンが、グルグルと旋回している。

その救急車から、ダボダボの白衣を身に着けた「子供」たちが、次々に飛び出してきた。

「どいてください!患者はどこですか?」

数名の救急隊が、俺を睨みつけていた群衆を掻き分けるようにして、輪の中に飛び込んできた。

そして、立ち尽くしたままの俺と杏奈の脇をすり抜け、鮮やかな紅い花の中心に寝そべる女性の元へ……。

救急隊は、その鮮やかな光景を目の当たりにし、ウッと唸った。

「心肺停止してます! 早く担架!」

「担架なんて要りませんよ」

突如、杏奈が押し殺したような声でつぶやいた。俯く杏奈。杏奈の表情は、窺えなかった。

言葉にならない怖気が、俺の背筋を凍らせた。

不意に、動きを奪われた周囲。隊員たち。

張り詰めた空気が充満する。

緊張感が充満する。

と、担架を運んできた隊員たちが、その異様な空気を感じ取ったようだ。おそるおそる尋ねる隊員。

「どうし、たんですか……?」

「担架はいらない」

杏奈は、ギリッとその隊員を睨みつけた。

隊員の表情が、急速に蒼ざめる。

隊員たちは、呆気に取られたような表情で、杏奈に視線を送る。

再び、俯く杏奈。

緊張感ではなく、恐怖が充満する周囲。

そして、桃色のかわいらしい唇から零れ出る、残虐な言葉。

「この人は“子ども”じゃありませんから。死ねばいい」

周囲の空気は、より一層凍りついた。

誰一人、動こうと試みる者はいない。

止まった空気。

止まった時間。

俺は、思考を開始する。

本当に“こいつ”は、あの杏奈なのか……?

それとも、“こいつ”こそが本物の杏奈なのか……?

獣のような眼。地を這うような低い声。

……。

いや、そんなことよりもっ!!

俺は、硬直しきった救急隊員たちに目で訴えることにした。

早く行けよっ!!

この人、死んじゃうじゃねえかっ!!

死んじゃったらどうすんだよっ!?

早く、早く連れて行けよ……!!

脳内に溢れ出す言葉が、互いに混ざり合い、暴れている。

鼓動も、荒波のごとく暴れている。

冷や汗が頬を伝う。

一体、どれくらいの時間、経過しただろうか。

このまま、朝日を拝むことを覚悟していた俺だったが、突如、救急隊員がゆっくりと動き出したのだ。

隊員たちの表情に、紅い斜光が被さった。

ホッ……。

これでようやく、この女性は助かる……。

助かった……。

俺は胸を撫で下ろした。

収束に向かう鼓動の嵐。

多少の安堵感を覚えた。

まだまだ、この世界は、“子供だけの世界”ってやつに染まりきっていない。

さすがに、命の灯が消えかけた患者を目の当たりにすれば、いくら患者が大人だからって見捨てるような連中ではないだろう。

そのために、救急隊がいるわけだし。

よかった……。

しかし、救急隊員の言葉に、俺は言葉を失った。

「あ、そうですか。それでは帰りましょう。撤収! 撤収!」

え……?

い、今、こいつら何て……?

何て、言った……?

俺の中で、何かが音を立てて崩れた。

鼓動が蠢き出す。

鼓動の嵐。

隊員たち、いや、“子供”たちはぞろぞろと引き揚げていく。何だよ、誤報かぁと愚痴を零している。舌打ちしている。

俺にのしかかる絶望。

心が砕け散るような感覚。

誤報……って何だよ?

俺がいつ誤報をしたよ?

今にも消えかかりそうな、女性の命を救わないのかよ?

大人なら、死んで当然なのかよ?

脳内に渦巻く疑問符の嵐。

脳が割れそうなくらい、膨れ上がる。

しかし、救急車は、いつの間にか橙色の空へと吸い込まれていった……。



正直、ショックだった。

それを、今の今まで引きずっている。

しかし、世界は確実にその色を濃くしている。

“大人”が生きることの出来ない世界へと。“子供”だけしか生きられない世界へと。

……信じられない。

信じたくないっ!!

そんな世界のどこがいいのかっ!?

被害者が“大人”なら、殺人も許されるのかっ!?

おかしいだろ……。

絶望。

もう、言葉にならないほどに、悔しい。

俺は、結局何もできない……。

この世界に、飲み込まれていくしかできないのだろうか?

この世界に、飲み込まれていく様を、指を咥えて見ていることしかできないのだろうか……?

……いや、そんなことは許されない。

実は、俺の兄貴・一雄は“大人”だった。

今年で23歳。

現在は、世間に全く顔を出さずに、この家の2階に隠れ潜んでいる。

外をフラつけば、夕方のような惨劇を引き起こしかねないからだ。

しかし、最近は、全ての行動に対して嫌気が差してしまったらしい。最低限の食事は取るが、風呂に入ることをしなくなった。最近は、トイレさえ怪しい。クローゼットの中に排泄物を溜め込んでいるのではないか、という疑惑さえある。

ここまでヒドイ風貌と性格であるとは言え、俺にとっては、大切な家族。弟として、兄貴に長生きして欲しい、という気持ちには変わりない。だからこそ、俺がしっかりと面倒を見なくてはならないのだ。

だからこそ、“子供だけの世界”に飲み込まれるわけにはいかないのだ。指を咥えて見ているわけにはいかないのだ。

そして、いつかは……、

ガタンッ!!

突然の破裂音に、背筋がビクッと痙攣した。

再び、首を漂流民に向ける。

どうやら、寝相の悪い漂流民が壁に激突したらしい。

脂ぎった毛糸を振り乱した漂流民が、壁に抱きつくようにして静止している。

何だよ……全く。

再び、蒼ざめた乳白色の天井。

思わず、笑みがこぼれる。

少し、安堵感を覚えた。

景色が、闇の中にゆっくりと閉ざされた。


……ポーン。

彼方から響く、呼び鈴。

…ンポーン。

次第に、軽やかな音色が接近してくる。

突如、明るい乳白色の天井が、視界に飛び込んできた。

起き上がる。

縞模様のカーテンが風に揺れている。

カーテンの奥には、燦々と太陽光が降り注いでいた。

一体、どれくらい寝ていたんだろう……?

伸びをする。

相変わらず、漂流民の大いびきが心臓に響く。

ピンポーン。

突如、乾いた呼び鈴の音が、漂流民の轟音に割り込んだ。

「はーい」

あっ、そういえば、さっきの音は呼び鈴だったのか……。

お客さん……。

俺は、ドカドカと階段を降りていった。

漂流民の轟音が響く2階とはうって変わって静寂に包まれた1階。

俺は、すぐさまインターホンに駆け寄った。

画面に映し出されたのは……。

不気味な微笑を浮かべた“殺人鬼”だった。その手には、血液を浴びせたように紅いバラの花束があった。

背筋をなぞる寒気。

回想を促される。

獣のような眼。

緑色にまどろんだ殺人鬼の笑顔。

うっ……。

突如、血の気が失せていくような感覚。

フラフラとふらつく脳みそ。

キモチワルイ……。

「松添くん、お見舞いに来たよ」

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