第23話:「敵」
濃緑の見慣れたチェックの制服を纏った肉塊。
まるで毛筆で書きなぐったような鮮血がエレベーター中を蹂躙している。
群衆は溜息を飲んでいる。
まさか……
あの悪魔が。
あの悪魔が、何者かに殺された?
背筋が凍りついたように身震いした。
桑田さん……真理恵さん……。
真理恵さんは、大人子供共存論ではなかったはずだ。
姉を殺された恨み。
自身は子供でありながら、子供を恨んでいる立場であったはず。
何故、彼女は殺されなければならなかったんだ?
何故?
疑問符が延々と脳内に浮かび続けている。
「ハハハハハハハッ……」
突如、ゆったりとした男の笑い声が廊下に響いた。
ちょうど俺の真後ろからだ。
俺が振り返った先にいたのは、金髪に暖色系のアロハシャツを着た男と黒髪で白地のシャツを着たおとなしそうな男だった。
や、山元と内田っ!?
俺の鼓動がたちまちのうちに速まり始めた。
そうか!!
こいつらが犯人だな!!
こいつらが真理恵さんを……!!
ギリリッ。
俺は無意識のうちに拳を握りしめていた。
何故だろう?
こんなにも胃の居場所がないくらい苛立つのは。
「ハハハッ……。とんだモグリがいたもんだぜ。子供が子供を殺すなんざな。ケッ!!さっさとおめえら全員死んじまえばいいんだ。なあ?みんなもそう思うだろう?まあ、気持ちもわかるさ。こんな狭い空間で見知らぬ連中同士が衣食住を共にしなきゃならねえ。気をつかって自分の意見を押し殺したくもなるさ。そうしないと自分だけが浮いちまって標的にされちまうかもしれねえからな。でもよ……」
「でもよ、こいつらだけは除外しちまっても問題なくはねえか?ククク」
ゾクッ。
この男、相変わらずとんでもないことを言いやがる。
「フフフ。面白いこと言うじゃねえか、山元さんよ」
「て、てめえ!!何で俺の名前を!?」
「アンタこそ怪しいんじゃないのか?アンタ昔、自分の両親が殺されても何とも思わなかったらしいじゃないか。自分には莫大な遺産が入ってくるし、自分だけ良ければそれでいいってことなんだろうけどな。ま、大人・子供共存論の桑田と子供を殺して何を考えてるのかさっぱりわからんな。こんな何を考えてるかわからん奴の意見に耳を貸したら、利用されるか殺されるかわからんから止した方がいいぜ」
途端に、山元の額に青筋が浮かび上がった。
「て、てめえ!!さっきからでたらめなことばっかり言いやがって!!」
山元が物凄い形相で愛輝の胸ぐらをつかんだ。
俺はとっさに山元の腕を振り払った。
「やめろ!!」
「っつ!? てめえ!何をしやが…」
たちまちのうちに、山元の顔が蒼ざめた。
俺は眉間にシワを寄せて、グッと山元を睨みつけている。おそらく、俺のその顔に恐怖してだと思うのだが。ひたすらに俺は山元の額辺りに厳しい視線を送り続けた。
と、内田の腕が山元の肩に乗っかった。すると、山元はどことなく悔しそうに舌打ちをした。
「…て、てめえらあー覚えとけよ!!」
「わかったよ。殺されないように気を付けるよ」
愛輝が胸元を軽く払いながら言い放った。
再び山元は舌打ちをし、ズカズカと不機嫌そうに赤い廊下の奥へと姿を消していった。
しばらくシーンと静まり返る真っ赤な通路。
立ち尽くす愛輝と俺。そして、俺たちを取り囲んでいた群衆は、ややあってから自室へとぞろぞろ吸い込まれていった。エレベーターが使用できないため、多くの者は薄暗い階段へと姿を消した。
嘘のように静まり返る真っ赤な廊下とエレベーター。
千鶴子がゆっくりと俺たちの元へ歩を進めた。
やがて、悪魔と同じ濃緑の制服を来た男性数名がどこからともなく現れた。
そして、濃緑と真紅に包まれた肉塊をせーので抱き上げた。
あ……本当に死んだんだ……。
ぐったりとしたその悪魔は視点を宙に向けながら、俺たちの横を担ぎ出されていく。
すぐにまた薄暗い階段へと吸い込まれていった。最後の濃緑の男性が見えなくなるまで、時間はかからなかった。
俺はどことなく物悲しい気持ちになって、いつまでも薄暗い静まり返った階段を見つめていた。
「……やっぱり山元たちが犯人なのか?」
俺はぼそりと力なくつぶやいた。
ここは再び愛輝の自室。乳白色の天井が先程までの衝撃的な赤の海から心を解き放ってくれる。窓の外にも太陽を散々と浴びた紅葉たち。
まさか、この部屋に戻ってから最初に言葉を発したのがこの俺とは思わなかった。
2人とも衝撃的な光景に飲まれてしまったのだろうか?
すっかり意気消沈としてしまっており、各々俯いてばかりだった。
無理もないか……。つい昨日まで真っ赤な唇、真っ白な歯。そして、まるで魔女のように見開かれた両の目。直接2人はその形相を目の当たりにしたわけではないが、そのような恐ろしい奴に襲われかけていた。しかし、そいつが何者かにいとも簡単に命を奪われてしまっていたのだから。
ごくり……と唾を飲み込む俺。
やっぱりあの山元たちが……。
あのヘラヘラとした奴らを見ているだけで腹だたしいのに、まさかあの優しい真理恵さんを殺すなんて……。
ほんとに、殺してやるか?アイツラヲ。
「やめとけ」
凛とした声が静寂を割いた。
視線を声の方に向けると、いつの間にか顔をあげていた美少年。キッと難しい表情で俺を見つめる。
「ここで奴らに下手に手を出したら、奴らの思うツボだ。周りの奴らは俺らを完全に敵だと認めるだろう。今はまだ幸い俺らと山元らが敵対してるくらいにしか周りは思ってない。おそらく山元らも俺たちに攻撃はしてこないだろう。俺らが攻撃を仕掛けるよう挑発はしてくるだろうがな。一切無視だ。いいな!浩二!俺らは我慢を続けてあいつらの化けの皮を剥いでやるんだ!」
「……」
そうだな。それがいいな。
おそらく山元からの挑発や攻撃もあるだろう。
そこで、俺らの身の潔白を証明できれば。
真理恵さんの優しい笑顔がふと脳裏によぎる。ありがとう。休んでて。敵はとるよ。
俺は力強く笑顔で頷いた。
負けない。