第22話:「2人目」
薄暗い室内に浮かぶ2つの寝息。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
やはり、真理恵はここに辿り着いてはいなかった。
俺はソファの上にどかっと腰かけた。テーブルの上に転がっている岐阜県の観光ガイドを手に取る。
真理恵さんの言っていた通り、ここは本当に岐阜県だったんだな……。
いや……ここがどこであれ、この円塔から逃げ出すことなど不可能なのだ。
何故なら、この円塔の周りを取り囲んでいるのは断崖絶壁とも言うべき谷。
俺はため息をこぼし、観光ガイドをテーブルに放った。
そのままソファの上に横たわり、乳白色の天井を見つめ、思案する。
今頃、階下で血眼になって俺たちを探しているのだろうか?それとも、目の前の彼等のようにスヤスヤと健やかな寝息を立ててくれているのだろうか?
ただし、明日以降は彼女に会うことなどできないだろう。
俺たちは命を奪われかねない。
では、明日以降の食事はどうすればよいのだろうか?
誰か別の人に配達をしてもらうべきか?
いや、その配達を真理恵がさえぎってしまっては元も子もない。
どうすれば……?
そう考えた瞬間に、グーッとお腹の虫が鳴いた。
今朝から何も口にしていないせいか、頭もボーっとしてしまっているのだ。
くたびれたな……。
そうこう考えているうちに徐々に視界が狭まり始めた。
憂鬱な気分とともに朝が訪れた。
鬱陶しいくらい晴れやかな朝。
どうしてこうも胸中のコンディションとうまく噛み合ってくれないのだろうか?
やがて、愛輝と千鶴子ものそのそと起き出し、各々歯を磨いたり顔を洗ったりしはじめた。
2人の表情は険しく重苦しい雰囲気を放っていた。
どうやら2人の胸中も優れないらしい。
俺も冷たい水を顔に浴び、朝のニュースに目をやった。
昨日も報道されていた伊原首相の「東京一本化計画」が再び報道されていた。
計画の全容はまったく公開されておらず、記者団の質問に対しても伊原首相は「まだ審議の段階です」と固く口を閉ざすばかりだった。
「東京一本化計画」
これからの日本のあり方に間違いないのだろうが、この言葉も伊原首相の20歳の誕生日を目前に控え、重みが増してくる。
いったい何を東京へ一本化するのだろうか?
「もしかしたら、今後日本は東京だけでやっていくのかもしれないな」
愛輝がぼそりとつぶやいた。
「今や日本の人口も右下がり状態。各地方に点々としているよりも、首都である東京に国民全員を集めた方が圧倒的に統制しやすいからな。むしろ点々としていることで、こういうあくどい連中が反旗を翻すかもしれないしな。東京から遠ければ遠いほど見向きもされないから力を貯めやすくなる」
愛輝が壁際を顎でしゃくった。
ここで言うあくどい連中というのはもちろんかすみさんたちのことだろう。
愛輝はため息をこぼした。
「それよりも……今日の飯をどう入手するか、だな」
「そうだね。当然あの女の子は食堂にいるだろうから……また襲われかねないよね」
千鶴子も俯く。
さすがに何日も断食するわけにいかない。
体力や思考力も失うし、ただでさえこのストレスが溜まりやすい空間。健康を損なうに違いない。いくらなんでも栄養不足というのはあってはいけない。
さて、どうやって食糧を手に入れるべきか?
あの悪魔を介さずに。
と、ここで突如として扉の外、廊下が何やらざわめき始めた。
短い悲鳴のようなものまで聞こえてくる。
「……な、なんだろ?」
俺は心臓を躍らせながらつぶやいた。
まさか……あの悪魔が!?
愛輝は颯爽と扉に耳を押し当てた。
俺もそれに続く。
ドクンドクン……。
扉の向こうに、ついに来てしまったのだろうか?
あの恐ろしい悪魔が!!
千鶴子もおそるおそる扉に耳を押し当て始めた。
心臓がドクドクと蠢き始める。
3人分の緊張感が押し寄せてくる。
ドクンドクン……。ドクンドクン……。
頬を伝う冷や汗が鬱陶しい。
手で拭い去った。
そして、鼓膜を劈いたのは女性の悲鳴だった。
「キャーーーーー!?」
一瞬ヒヤッとしたが、冷静に次の言葉を耳に入れた。
「し、死体だ……!!」
えっ!?し、死体……!?
だ、誰のだろう!?
次の瞬間、扉が勢いよく開かれた。
!?
俺と千鶴子はよろけて廊下の外へ体が飛び出てしまった。
そして、愛輝の体が俺と千鶴子の間をすり抜けていった。
目の前に人だかり。
どうやら、エレベーターの周りを取り囲んでいる様子だった。
愛輝が人だかりをかき分けて消えていく。
そこで俺と千鶴子はハッと我に返った。
急いで愛輝の後を追う。
無数の人だかりの向こう。そう、エレベーターの扉が開かれており、何やら夥しい血液が飛び散っていた。
ゾクッ。
背筋が一瞬にして凍りつく。
慣れないな……もう死体なんて飽きるくらい見てきたというのに……。
ドクンドクン……。ドクンドクン……。
最後の人間を押しのけ、最前列の愛輝の背中を確認した。
その背中越しに見えた光景は……。
真っ赤なエレベーター内に静かに寝そべる、鮮血に塗れた緑のチェックの制服とその肉塊だった。