第19話:「相対」
ギイッーーーーーーーーーー!!
まるで、耳が引き裂かれるような鋭利な音を立て、徐々に扉が開かれた……。
まず、目に飛び込んできたのは、あのチェックの制服。
そして、愛くるしいまでの笑顔……。
来た!!
奴だ!!
途端に、鼓動の音だけがドクドクと頭に響く。
それに伴い、頭の中が真っ白に塗りたくられた。
と、愛くるしい笑顔の下に咲いた桃色の柔らかそうな唇が開かれた。
「……あっ、松添さんに、皆さん。お疲れ様です」
そう、チェックの制服姿と笑顔の仮面を身に纏った殺人鬼。
表面上は平静を装っているが、心の底では多分、俺をメッタ刺しにして殺そうとかそんなことを考えているのではなかろうか?
そう、以前まで迎えてくれた笑顔とは明らかに何かが違うのだ。
彼女から放たれている何か……雰囲気のようなものにどことなく違和感を抱かされるのだ。
そして、その違和感が圧迫感と化し、俺の心に圧し掛かる。
ドクドクドク……。
心臓が軋むような音を立てる。
同時に、冷や汗が容赦なく頬を伝う。
そう、俺の心は見えない圧迫感につぶされている!!
言葉が出てこなかった。
まさか、このタイミングで来るなんて!!
俺だけではなく、愛輝や千鶴子さんのいるタイミングで。
ある意味では助かったのかもしれない。
1人ではないことに。
1人だったら、魔物は周囲に遠慮することなく俺を血祭りにあげていたことだろう。
そういう点では本当に助かったと言える。
でも、わからない。
この目の前にいる、即席で笑顔を作り上げた魔物は、目の前の全てを喰らい尽くすかもしれない。
何の関係もない、愛輝や千鶴子さんでさえも……。
ゾクッ!!
背筋に言いようのない戦慄が走った。
こいつは……危険だ!!
そして、殺人鬼の腰に隠された“モノ”が目に止まり、俺は絶句した。
危うく息を漏らしそうだった。
殺人鬼が腰のベルトに巧妙に隠していたその“モノ”は、出刃包丁だった!!
心臓が一挙に爆発するのを感じた。
え……!?
やっぱり、本当に真理恵は俺のことを殺しに来たのか!?
そんな……。
信じられない気持ちと、現状を打破しようともがく気持ちが交錯する。
どうする!?
どうする!?
愛輝と千鶴子さんにどうこの状況を伝える!?
先にこの2人に勘付かれたりしたら……。
この2人が「これがその大垣さんか?」と一言でも漏らしたら……。
3人もろともに、この魔物に血祭りにあげられるのは想像に難くない。
あの、おぞましく充血した魔物のような目。まるで血液が塗りたくられたような真っ赤な唇。その間から覗く不気味なほど真っ白い歯。
そんな奴が俺たち3人の体を切り刻み、真っ赤に染まる部屋。
そして、塔中に響き渡りそうなくらいの高笑いが響き渡る……。
そんな未来、想像したくもない。
でも……この状況は、到底逃れられたものではない!!
くそっ!! 一体、どうすれば……?
目の前には笑顔の仮面をかぶった、魔物の如き殺人鬼。
その腰には鋭利な出刃包丁。
魔物の手が、出刃包丁に届かないかどうか……。
もしも、届けば……。
ドクドクドクドク……!!
心臓の鼓動がさらに加速を始める。
と、その即席の笑顔が口を開いた。
「皆様でご談笑中のところ、失礼致します。……松添さん、まだお食事をお取りになられていらっしゃらないですよね? 私がこれからご案内しますので、食堂まで一緒に参りましょう?」
ドクン……。
心臓が胸を蹴破りそうになった。
ともかく、冷静さを取り戻すしかない。
少しでも怯えているような態度を見せたら終わりだ!!
落ち着いて考えるんだ!!
間違いない。
行ったら殺される!!
いや、間違いなく殺されるよな……。
ひ、ひとまずは断っておかないと……。
俺は乾いた唇を開いた。
「い!? え、いや、あの……。だだだ、大丈夫だよ!! 今日はちょっとお腹空いてなかったんだ!! だから、あ、明日の朝にいっぱい食べるから今日はいいよ!! ハハ……」
帰れ!!
帰ってくれ!!
と、殺人鬼は表情を1つも曇らせず、かわいらしい笑顔のまま言った。
「いえ、ダメです。食事を抜くことはお体に障ります。ましてや、この塔内の閉鎖空間ではストレスも溜まります。松添さんが健康を害されてしまっては、私がかすみ様からご叱責を受けることになります。そうおっしゃらずにお食事を毎食しっかり取ってください」
くそっ!!
し、しつこすぎるぞ、こいつ!!
もういいから帰ってくれよ……。
頼むよ。
嫌だ……死にたくない。
こんなところで死にたくない。
こんな奴に殺されたくない。
こんな作り物の笑顔の殺人鬼になど……。
でも、この状況では圧倒的に不利だ。
扉は魔物の背中に、俺たちの背中には広大な窓。そして、その広大な窓の先には、暗闇の中に口をぽっかりと開けた大穴のみだ。
くそう……。
唇をぎゅっと噛み締める。
「なあ、アンタ」
と、突如愛輝がぶっきらぼうに口を開いた。
同時に、俺の心臓が爆音を上げて稼動し始めた。
ドクドクドクン……!!
や、やめてくれ、愛輝!!
ここで、こいつの正体を問いただすようなマネはしないでくれ!!
こいつは、危険なんだ!!
大量猟奇殺人鬼なんだ!!
魔物なんだ!!
だから、やめてくれ……!!
俺は愛輝に目で訴えたものの、愛輝は俺に視線を合わせようとすらしなかった。
愛輝はジッと目の前の殺人鬼に視線を送っていた。
やばい……どうしよう……?
このままじゃ俺だけでなく、3人とも皆殺しにされてしまう!!
「はい、何でしょうか?」
殺人鬼が仮面の笑顔のままで答える。
と、愛輝の重たい唇が持ち上がる。
ドクン!!
ダメだ!!
や……やめてくれ!!
「アンタのことをさっき、そのかすみさんが呼んでたぜ? 何か緊急で話したいことがあるから、至急ロビーの方に来てくれってさ」
と、殺人鬼の即席の笑顔が驚愕の表情に変わった。
「えっ……そ、そうだったんですか? かしこまりました。教えてくださってありがとうございます」
殺人鬼はペコリと一礼すると、扉を跳ね飛ばすように、真っ赤な廊下の中に飛び込んでいった。
殺人鬼が立ち去り、シーンとした静寂が室内に舞い降りた。
俺は全身の奇妙な疲労感からようやく解放された思いだった。
助かったのか……!?
にわかには信じられないけれども。
あの、魔物の見えない圧迫感から。
逃げることができたのか!?
と、愛輝が静寂を打ち破って口を開いた。
「……浩二の言わんとしてることは悟ってるから安心しろ。あいつが大量殺人犯の女だろ? あいつ、お前を殺しに来たぜ。腰のベルトから包丁の柄の部分が見えた。おそらくお前があいつの“秘密”を知ってしまったから、口封じのために殺しに来たのかもしれないな。まあ、その“秘密”ってのが大量殺人のことなのかもしれないがな。ひとまず嘘ついてロビーに追いやったが……。それも、時間の問題だ。あいつ、かすみさんが自分を呼んでないと知ったら、間違いなく俺たち3人を殺しに来るだろうな」
ゾクッ!!
再び、室内に緊張感が漂い始めた。
背筋に戦慄が走る。
やっぱり、真理恵さんは俺を殺そうとしていたんだ!!
そして、その魔物が……またやってくる!?
しかも、今度は即席の笑顔すらないのではなかろうか?
いきなり、あの魔物のような姿でやってくるに違いない!!
おぞましく充血した魔物のような目。まるで血液が塗りたくられたような真っ赤な唇。その間から覗く不気味なほど真っ白い歯……。
想像しただけで、体中が恐怖におののくのがわかった。
「……場所を移すぞ。ここにいたら間違いなく殺される。」
愛輝はすっくと立ち上がった。