第18話:「密会」
薄暗い闇が無情なほどに、室内を侵食していった。
すっかりと静けさを取り戻した部屋に、舞い降りた夜。
月から放たれた蒼白い光が、唯一の灯火だ。
恐怖が俺の心を押し潰した。
布団の中に蹲る俺。
目の前には真っ白なしわくちゃのシーツが広がる。
……。
こ、怖い……。
あの魔物のような形相が、しつこく脳裏に焼き付いて離れない。
ダメだ……。外に出たくない……。
ブルブル……ガタガタ……。
体の震えが止まらない。
死にたくない……。
殺されて、たまるもんか……。
あっ!!
実はあいつも……俺の敵で……俺を殺そうと企んでいるんじゃなかろうか?
そうだろ!?
だってだって、あの真理恵さんがあんな姿に豹変したんだぜ!?
他の奴等だってきっとそうだ!!
あいつらは偽善者だ!!
俺を殺すために……。
俺の息の根を止めるためだけに、俺に近づいているだけだ!!
1人の目つきの悪い少年と、細身の眼鏡をかけた知的な女性。
だって、だって。
あの温厚で真面目な真理恵が、あんな風に変貌するんだぜ!?
あの真理恵が、大量猟奇殺人鬼だったんだぜ!?
もう、誰も彼も信じられるわけないじゃないか!!
もう……誰も彼も、俺に近づいてくる偽善者など。
消えろ!!
消えてしまえ……!!
コンコン……。
突如、静かに響く木を叩くような音。
俺の背筋は急速に凍てついた。
来た……!!
掛け布団をより深くかぶった。
目の前が真っ暗になった。
ドクンドクン……。
心臓が爆走を始める。
コンコン……。
帰れ。
コンコン……。
……帰れ。
心臓は既に悲鳴を上げていた。
……。
突如、静寂が室内を包み込んだ。
……あっ。
帰ってくれたのか?
ホッと胸を撫で下ろす俺。
思わず笑みがこぼれた。
ゴンゴンッ!!
突如、何かをぶちつけるような爆音が響いてきた。
なっ!?
俺の心臓が一瞬だけ停止した。
ドクドクドクドク……。
しかし、一瞬にして暴走を始めた。
何なんだよ!?一体!?
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン……!!
重量感のある「何か」が扉に体当たりをしている……。
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン……!!
あの鬼のような表情が、忘れかけていたあの表情が、ふと脳裏に蘇ってきた。
真っ赤な唇。真っ白な歯。そして、魔物のような鋭い目つき……。
……やばい。
やばい。
殺される。
……ゴン、ゴン、ゴン!! ドゴッ!!
ギイイイイイイイイイイーーーーーーーッ。
入って来た……?
心臓が止まりそうになった。
複数の足音が、俺の潜んでいるベッドの前で止まった。
ハア、ハア、ハア……。
荒い息遣いがこぼれている。
終わりか……。俺も。
「浩二!!」
ガバッ!!
突如、被っていた掛け布団が暴かれた。
部屋の白い灯りが飛び込んできた。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーっ!!」
来るな!!
来るなあーーーーーーっ!!
俺は手に取れる全てのものを「そいつ」に投げつけた。
ガドッ!!
ドゴッ!!
部屋中に破片が飛び散り行くのがわかる。
「来るな、来るな、来るなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーっ!!」
バチッ!!
突如、俺の頬が激しく鳴った。
と同時に、俺の体はゆっくりと床の上に叩き落された。
「ぐはっ!!」
頬を突き抜けるジーンとした痛み。
「危ねえだろーーー!! バカヤローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
振り落とすような罵声に、俺はようやく我に返ったようだ。
この声は……?
この声の主は?
目つきの悪い少年が脳裏に蘇る。
と同時に、俺の胸ぐらがグラッと宙に浮いた。
突如、目に飛び込んできたのは案の定、目つきの悪い少年だった。
ただでさえつり上がっている目が、さらにつり上がっているような気がする。
真っ白い顔も、心なしか真っ赤になっているような気がする。
俺は冷静さを取り戻すことができたのだろうか?
愛輝と千鶴子の姿を確認した。
若干表情が険しかった。
「心配になってきてみりゃ、随分危険な歓迎をしやがって!! お前、大丈夫かよ!?」
「まな……き」
呆気に取られていた俺は、やっとのことでそう言葉を搾り出した。
「そうだ!! 俺の名前は古谷愛輝だ。自己紹介したろうが」
何故だろうか、心の中が徐々に満たされていくような感覚。
空っぽだった心に、潤いが与えられるような。
ホッと胸を撫で下ろしたくなるような光景だったのだろうか?
「俺……俺……」
申し訳なさで心が熱くなる。
あれ?
何でだ?
さっきまで愛輝たちを疑っていたのに……。
その愛輝たちを目の前にして、俺の心はすっかりと落ち着き払っている。
ああ……そうか。
俺は、まだ信じたいんだ。
この世界に数少なく残されたであろう、良心を。
その良心とは間違いなくこの2人……。
信じなければ、1人になってしまう。
それは、あの子が教えてくれた。
大人しい、栗毛色の少女。
この逃げ場のない円塔の中で……何か1つでも。
何か1つでも、信じられるものがあってくれたのなら……。
どんなに心強いことだろうか?
俺はそれを拒絶しようとした。
俺は本当に弱い。
不安になるたびにマイナス思考に陥ってしまう。
どうにかしなきゃ……。
熱い雫が俺の頬をそっと伝った。
1時間くらい清掃をしていただろうか?
俺が投げつけていた枕やら花瓶やらをようやく片付け終えた。
と同時に、ようやく室内が落ち着きを取り戻した。
愛輝はホッと溜息をこぼした。
千鶴子もまた、ハンカチで汗を拭っている。
俺は申し訳なさで心がいっぱいだった。
落ち着かないと……。落ち着け……。
俺はすぐ感情に流される。
悪い癖なんだ。
これだけ感情を爆発させていたら、得たものもすぐに失ってしまうのでは……?
そう、仲間でさえも。
俺は唇を噛んだ。
もう少し、落ち着いて、マイナス思考を抑えよう。
うん。
そして、この2人を信じて前に進んでいこう。
この2人は絶対に「仲間」なのだから……!!
「金髪の男の名前は山元雅和25歳。黒髪の男の名前は内田慎一郎21歳。山元はYSコーポレーションっていう押し売りで悪名高い不動産会社の社長の息子よ。両親が重役だったため、家政婦がいる裕福な家庭でわがままに育てられたようね。喧嘩っ早いところは父親ゆずりかもしれないわね。一方で、内田の方はかわいそうなくらい貧困な家庭に育ったようね。内田は10年前に片親だった母を亡くし、2年前には唯一の親類となっていた妹を亡くしている。仲良く連れ添っている割には、案外、対照的な経歴を持っている2人のようね」
千鶴子がノートを片手に、淡々と刻まれた文字を読み上げている。
落ち着きを取り戻した俺の部屋では、意見交換会が執り行われている。
千鶴子は今日の午前中に早速あの2人のことを調べ上げてきたようだ。
さすが……元カリスマ営業ウーマンだ。
俺は自分の真っ白なノートに目を落とし、あまりの情けなさにうなだれていた。
一方の愛輝はそれを熱心に聞き入り、気づいたことを自分のノートに書き取っている。
俺も負けじとノートに気づいたことや情報をつらつらと書き込んでいく。
足手まといにはならないようにしなければ!!
と、愛輝がペンを止めて顔を上げた。
「ふーん…生い立ちが真逆とは意外だな……。で、いくつか質問したいんだが、山元の両親は『子供』たちに殺されたのか?」
「そのようね。ただし、山元はその件に関して何も感じていないみたい。そもそも、山元には家政婦がいて身の回りの世話は全てやってくれていた。けれど、その家政婦が殺された時ですら、自分が助かればそれでいいって思ってたらしいわ」
「どうにも自己中心的な奴だな?どうせ、この塔にもノリで来たような奴だろう。あいつを食堂で見かけた時は、しっかりとした自分の考えを持ってこの塔にやってきたとは思えなかったからな。で、内田も『子供』たちに妹を殺されたってことか?」
「そうなのかな?って思って追求したんだけど、そこは詳しく話してもらえなかったわ。何か彼の核心に迫るような印象ね。でも、内田の妹が『子供』たちに殺されたということが真実だとすると少しだけおかしいことがあるの」
「内田の妹が当時『子供』なのに、『子供』に殺されたっていう矛盾が生じるってことだな?」
「そう。内田の妹が殺された2年前というのは、内田自身が19歳だった年。ということは、妹は19歳未満ということになるから、妹さんのこの世における仕分けでは『子供』のはず。つまり、『子供』が『子供』を殺した?でも、そんな例は聞いたことないわ」
千鶴子と愛輝が首をかしげている。
……でも、俺はある。
俺はあるんだ。
その例を聞いたことが。
あの魔物のような真っ赤な唇。見開かれ、充血した真っ赤な目。
俺はそっと唇を開いた。
「……俺はあるよ」
突如、ぼそりとつぶやいた俺に、2人の驚愕の表情が向けられた。
「この塔に大垣真理恵さんっていう塔内の人の世話をしている人がいるんだけど。大垣さんは自分のお姉さんを殺された復讐に、犯人の『子供』たちをメッタ刺しにして殺害しているんだ」
「……」
「……」
突如、静寂が咲いた室内。
そう……これが現実なんだ。
と、愛輝が静寂を振り切るように口を開いた。
「……わかった。人それぞれ生い立ちが違うからな。当然、性格や考え方も違う。それに伴って行動も変わってくる。大垣真理恵に関しては、俺はあまり接点がないからあまりイメージが湧かないんだが……、まあ、いてもおかしくはない部類の人間だ。誰もが自分の肉親を殺されれば、殺害した奴を恨もうとする。ごく普通の思考だ。ただし、内田に関しては可能ならばもう少し調べる余地がありそうだ。妹は殺害されたのか? また、殺害されたならば『誰』に殺されたのか? そして、彼自身は『大人』と『子供』のどちらに対して憎しみを抱いているのか? もしかしたら、内田の妹がどこかの『大人』を殺害し、その『大人』と接点のあった者が、復讐として内田の妹を殺害したという可能性も十分にある。おそらくその犯人が『子供』なのか『大人』なのかで内田の価値観が決まると言っても過言ではないだろう」
「そうね……。でも、愛輝くん。君はかなりあの2人を丁寧に調べようとしてるのね。まあ、すごく怪しいのはわかるけど」
「ああ、俺は山元の馬鹿も多少気にはなるが、山元の馬鹿よりも誰よりも、あの内田という男が怪しくて怪しくてたまらない。なぜなら……」
コンコンッ!!
突如、部屋の扉が乾いた音を放った。
俺はビクリと体を震わせた。
愛輝、千鶴子もまた静止する。
異様な静寂が室内を包み込む。
まさか……?
俺の頬を冷や汗が伝う。
心臓が蠢き出す。
脳裏に蘇る真っ赤な唇。真っ白な歯。そして、真っ赤に充血した魔物の眼。
心臓がいよいよ暴走を始める。
ドクドクッ!!
まさか……あいつが!?
あいつが来たのか!?
血の気が引いていくような感覚。
逃げろ……!!
そう、叫ぼうと思った瞬間。
ガチャッ!! キィーーーーーーーーッ!!
扉が気だるい悲鳴を上げながら、ゆっくりと開かれたのだった。