第16話:「開始」
薄暗い愛輝の部屋。
シーンと静まり返る室内。
愛輝はうなだれていた。伊東千鶴子は溜息を零していた。
一体、誰が桑田さんを……?
真っ赤な花びらが一面に咲いた部屋。
俺の脳内はそれ一色だった。他に何も出てくる気配はなかった。
そして、今度は俺たちが殺されるのではないか、という懸念。
その様子を影で笑っているかもしれない残忍な犯人。
……許せない。
俺は思わず、歯軋りをしていた。
それを思うと、不思議なことに怖さはすっかりと消え失せていた。
そして、思いのままに2人にその言葉をぶつけていた。
「……捜そう」
ボソリと部屋内にこぼれる声。
愛輝と千鶴子が俺に険しい視線を送る。
もう、我慢なんかしていられるか!!
俺は固唾を飲んで、乾ききった唇を開いた。
「俺は、桑田さんを殺した犯人を捜す……」
再び、静まり返る室内。
まず、反応をしたのは千鶴子であった。千鶴子の反応は淡白であった。
「それはいいけど……どうやって捜すの? 桑田さんの部屋は、証拠保存でもう侵入できないから証拠を探せないし、塔内の人に事情を聞いて回るにも大変だし、怪しまれるし……。むしろ、あなたたちが疑われているんだから、あなたたちは目立った行動は慎むべきだわ」
俺は返答に窮する。
鼓動がうねり出す。
しまった……。そうだ。どうしよう?
周囲の連中は、間違いなく「子供」が「大人である桑田」を殺したと思い込んでいる。
あの金髪男が余計なことを口走ったせいで。
だから、「子供」である俺や愛輝は探偵ごっこさえ許されない状況なのだ。
「大人」だらけのこの塔内で、「子供」の俺たちが出しゃばったところで何をされるかわからない。
「大人」たちに捕らえられるかもしれない。あるいは……。
脳内が真っ赤に染まり行く。
鼓動がドクドクと暴れ出す。
再び咲く、恐怖の蕾。
俺は自分の表情が蒼ざめていくのを感じた。
「う……そ、それはそうですけど……」
ああ……やっぱり、感情だけで行動するのはダメなんだ!!
くそっ!!
しっかり、考えて行動しないと……!!
でも、こればっかりは……。
こればっかりは、譲りたくないのに!!
桑田は愛娘が外にいると言っていた。
桑田の帰りを待っていたであろう、娘はもう二度と父親とは会えないのだ。絶対に。
彼の娘は、父の変わり果てた姿を見た瞬間、どういう表情をするだろう?
それを考えると、何だか目頭が熱くなってきた。
やっぱり……許したくない!!
許せるもんか!!
と、突如、だんまりを決め込んでいた愛輝がぼそりと口を開いた。
「浩二……」
「何?」
「お前、どうしても桑田を殺した奴を捕まえたいか?」
「……」
愛輝の言葉がチクリと胸に刺さる。
愛輝には全てお見通しだったようだ。愛輝は続ける。
「桑田を殺した奴が、子供・大人共存論自体を支持しない奴なのか、それとも単なるモグリなのか……。この辺りは俺も気にならないと言ったら嘘になる。俺自身は後者ではないと思っている。もし、本当にモグリがこの塔内にいるとしたら、わざわざ最初に桑田だけを狙う理由がない。大人なら、誰でも良かったはずだ。エントランスの3階や4階にだって大人はいくらでもいる。実際、この塔内にいる人間の8割は大人だ。それをピンポイントで、5階の桑田だけを殺すなんて普通は考えられない。だから、俺は子供・大人共存の考え方に反対する奴が、桑田と遭遇し、桑田と口論になり、桑田を殺したもんだと推理する」
「……なるほど」
「だから、浩二。子供抹殺の考えを持っている奴を、昨日話した方法で捜してみようぜ。なーに、これくらいなら捜査ってほどのものでもない世間話程度のもんさ。それで容疑者を絞っていけばいい」
「愛輝……」
俺の心が少し晴れた。
何故だろう?
愛輝が、俺の求めた回答をしてくれることにすごく感激した。
そうだ。2人で行動すれば別に怖くはない。
俺は1人じゃないんだ!!
千鶴子も半ば呆れていたが、彼女にも危機感があるらしかった。
「全く……あなたたちの間抜けさ加減には脱帽だわ。そういうの、嫌いじゃないけどね。わかったわ。あなたたちが無茶しないように私も一緒に行動するわ」
「千鶴子さん……」
心の余裕が生まれた、ような気がした。
心が気持ちよく引き締まったような感覚。
やっぱり……俺は1人じゃない。
こんなにも頼もしい仲間がここにいるじゃないか!!
この仲間とともに、この苦難をなんとか乗り切ってみせる!!
そして、子供・大人共存の考え方を皆に認めてもらえるように努力しなければならない。
何だろう?
不意にこみ上げてくるこの気力は?
これが、仲間の力なのか?
「よっしゃーーーーーーーーーーーーー!!」
俺の唐突な雄叫びに、愛輝と千鶴子はビクッと身を震わせて驚いた。
しーんと静まり返る室内。
あ……。失敗したかな?
不安が急に立ち込める。
が、愛輝がキャハハッと笑い転げ始めた。
千鶴子もまた手で口元を隠している。
ええっ!? 愛輝、何で笑ってんの!?
「何だ? その間抜けな雄叫びは? 笑わせるなよ、馬鹿浩二!! ハハハハハッ!!」
愛輝は床をバシバシと叩いて笑い転げている。
俺はムッと頬を膨らませた。
「ひ、ひどいな!! そんな笑い転げなくてもいいだろ!!」
愛輝は咳き込みながら、言った。
「い、いや……まあ、浩二もやる気になってくれてるんだもんな。悪い悪い。ま、感情を表現することはいいことだ。少なくともこの3人の中でならな。それが俺たちの結束にもつながるわけだからな。くれぐれも他所ではやめてくれよ。笑っちゃうから……クスッ!! アハハハハハッ!!」
再び、笑い転げる愛輝。
千鶴子も盛大な笑顔を披露している。
俺の頬はいよいよ紅潮してきた。
苛立ちと恥ずかしさが半分ずつといった感覚。
「うっ、うるさいな!! わかったから早く捜査に行くぞ!!」
「ハハ……すまん、悪かった。よし、仕切りなおすぞ」
愛輝がいつもの真剣な表情を取り戻した。
いつの間にか、千鶴子も無表情に戻っていた。
ピンと張り詰めた空気に、俺の心臓も緊張感を覚えたようだ。
トクトクと鼓動の加速を始めている。
と、愛輝が傍らのボストンバッグを漁り出した。
そうして、愛輝の手に収まっていたのは数冊のノートだった。愛輝はいつものようにぼそりと口を開いた。
「じゃあ、くれぐれも自分の身の安全だけには気をつけてくれ。万が一、身の危険を感じたら、すぐさま誰かに連絡を取ること。それから、より効率の良い捜査を行っていく上でこのノートをメモに使っていってくれ。念のため、捜査した奴の部屋番号と名前と『この世界』に対する考え方……あとは顔や身体の特徴なんかも書いてくれると助かるかな。パッと見ただけでそいつを識別できると便利だからな。それと気づいたことなんかを随時、このノートに各自書き込んでいってくれ。定期的に俺の部屋に集まって情報交換を行おう」
愛輝はノートを俺と千鶴子に手渡した。真新しい紙とインクの香りが鼻を突く。
「じゃあ、あとは捜査の担当箇所なんだが……」
愛輝は千鶴子を振り返った。千鶴子も愛輝の視線に勘づいた。
「千鶴子さんは男性から聞いて回ってくれないか?」
「私? 男の人?」
「ああ、どうもここの男連中は血気盛んな馬鹿が多いらしい。俺みたいな目つきの悪いガキが聞いたところで本当のことを話してくれるとも限らないし……。ここは、女性で、営業経験もあって押しの強い千鶴子さんの方が上手く聞きだせるんじゃないかと思う」
愛輝が神妙な面持ちで千鶴子を見つめている。
やや重苦しい雰囲気。
千鶴子はやや考えるような素振りを見せていたが、すぐに、
「……わかったわ。やってみる」
「ありがとう。助かる」
愛輝は柔らかい表情になって頭を下げた。
そして、今度は俺を振り返った。
再び、真剣な表情の愛輝に戻っていた。
思わず、ピンと背筋が伸びる。
「浩二は女性に対して聞いてまわってくれ」
女の人か……。
パッと真理恵の姿が思い浮かぶ。
それから、昨夜の不思議な印象の少女。
何とかがんばって聞き出さなければなるまい。
武者震いのようなものが体を伝う。
どうやら、気力に満ち溢れているようだ。
今すぐにでも捜査にまわりたくて、体がウズウズしているのかもしれない。
さて、男性が千鶴子さん、女性が俺……では、愛輝はどうするんだ?
「このミクロの情報、つまりは個々の人間性の情報を集めてからでいいんだが、桑田の塔内での人間関係を露わにしようと思う。いわゆるマクロの捜査って奴だな。これをはっきりさせれば、個々の人間性の情報も生きてくると思う。どういう考えの奴等がはびこり、どういう連中でつるんでるのかがわかるわけだからな。桑田と誰が接触をしたのかを調べることで、犯人の目星もつけられるようになってくるはずだ。それに……」
愛輝は一呼吸を置いた。俺は固唾を飲んで、愛輝の言葉を待った。愛輝の唇がゆっくりと動いた。
「それに……犯人がモグリであれ、子供・大人共存論反対者であれ、殺人はまだ終わっていない。これからも犠牲者が出ることが見込まれる」
「えっ!?」
「なぜならモグリなら、大人を抹殺するわけだろう? 桑田以外の残りの大人も抹殺するに決まっている。そのために、わざわざこんな山奥の塔までモグリに来ているわけだからな。そして、子供・大人共存論反対者だったら、犠牲になるのは……わかるな?」
ゾクッ。
言い知れぬ寒気が背筋をなぞった。
犠牲になるのは……俺たち!?
「犯人が桑田の次に誰を狙うのか? この捜査で、犯人の次なるターゲットをあらかじめ推測するという意味でも、この捜査は非常に重要になってくる。ミクロの情報を2人がある程度収集してから、このマクロの捜査を俺が開始する。必ず犯人グループを洗い出す」
愛輝は高らかに宣言した。
思わず、固唾を飲み込む俺。
そうだ……。
必ず、犯人を捕まえるんだ!!
全身に湧き上がる闘志。
恐れてはいけない。
と、愛輝がすっくと立ち上がった。
「よし!! じゃあ、健闘と無事を祈る!!」