第15話:「疑念」
気だるいような感覚。
……。
朝か。
俺は、窓枠を覆い隠さんばかりに降り注ぐ太陽光を浴びながら、目を覚ました。
うわあっ……綺麗だな。
そう、窓の外に映える青空と太陽。薄暗さを残した緑の群れ。やや残る乳白色の朝もや。
閉塞感に満ちたこの塔内に、ささやかな開放感を与えてくれる。
そんな光景だった。
久々に気持ちの良い朝を迎えることができた気がする。
さて……。
今日は、どのように過ごそうか?
俺はちらりと時計に目を向けた。
時刻は7時10分。もうそろそろ朝食の時間になるはずだ。
俺は洗面所へと向かう。
爽やかな冷水が勢いよく吐き出される。
山が産み出した新鮮な冷水。俺は贅沢に両手いっぱいにすくい上げ、顔に浸した。顔の筋肉がピリリと引き締まった。
冷たくて気持ちが良い……。
サッパリとしたところで、テレビのスイッチを捻る。
女子高生くらいのニュースキャスターが、忙しない口調で次々にニュースを読み上げていく。
「伊原雄介首相が来月10日に、20歳の誕生日を迎えるとともに退陣が予定されている件で、次期総裁に指名された小野豊候補が記者団に対して会見を行い……」
テレビ画面に映し出されたのは、これまた高校生くらいの男性が3名、握手している映像が映し出された。どうやら、彼等が来月から日本を引っ張っていく首脳陣らしい。
そうか……。
伊原総理も来月に退陣するのか……。
20歳以上の人間は生きられない世界。
それは20歳の誕生日を迎える瞬間にして、死を迎えることと同義である。
それは政治家たりとて同じである。
「また、最新の世論調査によりますと、伊原首相の“最期の改革”とされる未だ非公開の“東京一本化計画”の全貌がいよいよ公開されるのではないか、と任期わずかの伊原内閣の動向に国民の視線が集中しているもようです」
東京一本化計画……?
そういえば、そんな言葉もあったような、なかったような。果たして彼は何を一本化するのだろうか?
そう、確かこの伊原雄介が2年前に18歳で首相になった頃から、既に実行を宣言していた改革だった。
しかし、伊原がその改革の全貌はおろか、さわりの部分さえも国民に口に出して言うことはなかった。
全くもって予測できない……。
だから、怖い……。
まあ、子供の考えることだし、そんな大した改革ではないのだろうけど……。
俺は固唾を飲んで画面に食いついていたが、乾いた木の音が響いてきた。
コンコンッ!!
「松添さん? 朝食の準備が整いましたので、ご案内致します」
「はーい!!」
さすがにこの前の失態を再発させてはなるまい。
余裕を持って起きておいて大正解だった。
俺が慌てて扉を開けると、チェックの制服を着た美少女がにこやかに立っていた。大垣真理恵だった。
「おはようございます、松添さん。昨夜はよく眠れましたか?」
満面の笑顔。
不覚にも、心臓がドキッと喚いた。
「う、うん。おかげさまで。あのベッド、寝心地が良いね!!」
「ありがとうございます。かすみ様は以前まで物流関係のお仕事をされていて、世界中のあらゆる流通拠点に人脈をお持ちなので、常に最高級の生活用品をご提供することができるのです……あっ、それではご案内させていただきますね」
真理恵は先陣を切って、鮮やかな紅い廊下を歩き始めた。
食堂に辿り着くと、爽やかな緑と水色の景色が映える窓が待ち構えていた。俺は、言葉を失った。
食堂では、数名の先客が景色を一望できる奥のテーブルを占拠していた。
しきりに手招きをしている少年があった。
古谷愛輝だった。傍らには伊東千鶴子の姿もあった。
俺はすぐさま、愛輝の元へと歩み寄った。
2人はすぐに俺の存在に気がついた。
「よお、浩二」
「あれ……? 桑田さんは?」
桑田の姿がなかった。
愛輝は不愉快そうに、眉間にしわを寄せる。
どうも愛輝は桑田には興味すらないようだ。
「……さあな、そのうち来るんじゃないのか」
「ふーん」
俺は何となく嫌な予感がした。
何故だかはわからない。
でも、今日は一悶着ありそうな気配がする……。
俺も席にドッカリと腰を掛け、コーンフレークをかき回す。
渦を巻くミルクを眺めていると、2つの影が覆いかぶさってきた。
俺が顔を上げると、そこには2人の青年が景色の中に割って入ってきた。
1人は黄金に染めた短髪の男。もう1人は黒の長髪の男だった。
2人は、ドカドカと俺たちの向かいに腰掛けると、すぐにスプーンを動かし始めた。
景色が見えない……。
俺は少し苛立ちを覚えた。
何なんだ、こいつら。
俺がムスッとした表情をしていると、愛輝がぼそりと言葉を漏らした。
「ねえ」
2人の男は、ピタリとスプーンを止めて愛輝に視線を送った。
テーブル内に沈黙と緊張が走る。
ああ……愛輝の奴、やっちゃった……。
俺はハラハラと胸を躍らせていた。
「綺麗な山が見えないんだけど」
愛輝の言葉に、金髪の青年は蔑んだような、乾いた笑い声を立てた。
その態度に、愛輝がピクリと反応した。
「邪魔だからどけってのがわからない?」
「んだとゴラアアアッ!?」
金髪が青筋を立てて、鋭く立ち上がった。同時に、椅子がバタンと激しい音を立てて倒れた。
金髪は顔を真っ赤にして、愛輝の元へと歩み寄り、胸ぐらを掴んだ。
周囲のテーブルに集まっていた人たちは、短い悲鳴を上げながら、離れていった。
ゾクッ。
まずい……!!
嫌な予感って、これのことだったのか!?
俺はつい目と鼻の先で繰り広げられている光景にたじろいだ。
「おい、てめえ。挨拶はねえのかよ?」
鼻ピアスの暑苦しい顔が、愛輝に降り注ぐ。
……。
やばい。どうしよう……。
愛輝が殺されるんじゃなかろうか。
やばい!!
俺はあたふたと止めに入るか否か迷っていたが、突如、食堂の外が慌しくなりだした。
なにやら、先程から人々が食堂を出て行くではないか。それも、神妙な面持ちで。
何だろう……?
俺だけでなく、2人の男たちの注意もそちらに向けられたようだ。
金髪の男は愛輝を床に振り払うと、傍らの長髪の男に何やら耳打ちをした。やがて、2人は吸い込まれるようにして食堂の外へと歩いていってしまった。
な、何だったんだろう……?
俺は危機を脱したことにホッと胸を撫で下ろしたものの、食堂外での波乱に興味を抱かずにいられなかった。
外では何が起きているんだ?
愛輝は、憮然とした態度で床の上に寝転んでいた。
伊東千鶴子が愛輝の元へと駆け寄った。愛輝は平気だ、とだけ答えた。椅子に再び腰掛けるのかと思いきや、ノソノソと帰り支度を整え出した。どうやら、「現場」へと向かうつもりらしい。食堂の外にはもう、人っ子一人とて見当たらなかった。
「どうやら、何かあったみたいだな……」
俺たちが、エレベーターを降りようとした直後、無数の人間で溢れかえっていた。
時折、短い悲鳴や驚嘆の声が響き渡る。
どことなく息苦しい。
ここは、5階である。
そう、初老男性の桑田の部屋もある階層である。
妙な予感。
心臓がトクトクと響く。
まさか……とは思うものの、そのまさかを強くイメージしてしまう。
信じたくはないけど……まさか。
人々が向けている視線の先には、「510」と書かれた表札が窺える。
あっ……。やっぱり、桑田の部屋だ。
嫌な予感が確信に変わった。
と、愛輝が人混みを掻き分けて、入り込んでいった。
俺も慌てて愛輝の後ろを遅れじとついていく。
扉付近には特に人が集中していた。
愛輝はその度に人を強引に押しのけ、「そこ」へと進んでいく。
そして、ようやく室内に侵入することができた。
何やら、鼻を突く鉄の香り。
白一色だったはずの室内には、昨日までなかったはずの夥しい紅い斑点が姿を現していた。
俺はそこまでの様子を見て、全てを理解した。
もの悲しさが波のように押し寄せてくる。
かわいそうに……。
桑田さん……。
俺はひょいとベッドの上を、人々の隙間から覗きこんだ。
視界に飛び込んできたのは、真っ赤な樹液が飛び散ったベッドの上に横たわる1つの肉塊だった。
首には一筋の切り傷がパックリと開き、真紅の凝固体が首筋を汚していた。
「うぐっ……」
俺は、いつか学校裏で見かけた死体の大群を思い出した。
似ている……。
残虐非道な殺害方法。
気持ち悪い……。
ダメだ。とても見ていられない……。
ひとまず、俺はエレベーターホールまで戻ることにした。
これはおそらく、桑田の「子供・大人共存論」に反対する者の仕業に違いないだろう。
桑田の描く世界観に反感を抱いた者の仕業に違いない。
つまり、犯人は塔内居住者の大多数を占める「大人」なのではなかろうか?
エレベーターの前で人の群れに溺れそうになりながら、眼鏡の伊東千鶴子が首を長くして待っていた。
「何が起きていたの?」
「……桑田さんが……」
それ以上、言葉が出てこなかった。
いや、それでも十分な説明だったに違いない。
伊東千鶴子の表情が青ざめていく。
……。
桑田さん……。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
と、突如、部屋内から高笑いのようなものが響いた。
「ハハッ!! こいつは、とんでもねえ事件だぜっ!! 大人が殺られた!! 大人が!! こいつあ、たまげたもんだぜ!!」
この声……。
もしかして!!
いや、そうだ……。あの金髪の男だった。あの金髪の男が扉のところで、わざと叫んでいるようだった。
そう、大衆に聞こえるように、だ。
そして、男はなおも嫌味ったらしく言葉を紡いだ。
とんでもない言葉を。
「いやあ、とんでもねえ場所だぜ、ここはよ。まあ、最初からとんでもねえ場所だとは思ってたがよ。……よう、ここにはモグリがいるらしいなあ、おい。特にガキ連中なんかが怪しさ満点なんじゃねえか。ええ? ガキ連中の中にモグリがいるんじゃねえのか? そのモグリさんがこのオッサンの首を掻っ切ったんじゃねえのか!? ああっ!?」