第10話:「決意」
瞳に映える鉛色のマシンガン。
……っ!!
重厚なフォルムに、思わず目をつぶる俺。
い、嫌だ……っ!!
こ、こんなところで死にたくないっ!!
こんなところで……っ!!
気がつけば、俺は声を限りに叫んでいた。
「ちょっ……!! ちょっと……待って、くださいっ!!」
「何よ?」
眉をひそめて、冷たく言い放つ女性。
俺はビクビクと震える体を、何とか奮い立たせて叫んだ。
「お、俺も、今の世界には、ふ、不満があるんです!!」
「……」
返答はない。
相変わらず、渋い表情で俺を見つめている。
へ、平気だよな……?
心臓の爆音で、唇がプルプルと小刻みに震えている。
涙が零れんばかりに溢れている。
しかし、続けることにする。
「あの、お、俺の兄貴は、確かに逮捕されました。け、けど、な、何もしてない……。あいつらが勝手に仕組んだことなんですっ!! なのに、兄貴は今頃、酷い拷問を受けているかもしれない。殺されているかもしれないっ!! あ、あいつらなんか大嫌いです!! お願いです……!! 俺は、俺は、殺されてもいいから、2つお願いがありますっ!! 兄貴の敵を討ってください!! それと……こいつだけは、萌奈だけは逃がしてやってください……」
脱力……。
全てをさらけ出したことにより、俺は膝をついてその場に倒れこんだ。
背におぶさっていた萌奈が、地面にドサリと零れ落ちた。
「……お、お願いします」
さあ、撃てよ。
もう、覚悟はできてんだ。
殺せ。
殺してくれ。
殺して……。
溢れ出す涙。
涙が頬を伝い、赤茶けた土を湿らす。
「……」
「……」
何だ……?
なにやら、2人が何かを話しているようだ。
助かるのか……俺?
いや、殺された時にショックだから、殺されることを覚悟しておかないと……。
早く……。
早く、殺してくれ……!!
「わかったわ」
思わず、ガバッと頭を上げる俺。
助かる……!?
しかし、女性は不敵な笑みを浮かべている。
あ……!?
「わかった」って何が「わかった」んだ!?
俺の願い事を聞いてくれるってことなのか?
それとも……。
血の気が引いていくのを感じる。
ヤバイ……!?
「アンタ、イキタイノネ」
その言葉を聞いて、俺の心はスッと晴れていった。
た……助かったのかっ!?
た、助かった!!
心がわきあがるような、不思議な感覚。
心の中の曇りが一気に吐き出され、澄み渡っていくような感覚。
……良かった……!!
まだ、生きられるっ……!!
「ただし、条件があるわ」
女性はクスリと微笑んだ。
不意に秋風が、俺の横を通り抜けていった。
なおも、女性は艶かしい唇を動かし続けている。
え……?
俺は絶句した。
そ、そんな条件を……?
血の気がサッと引いていく。
「まあ、嫌なら嫌でいいわよ?」
秋風に、優雅な黒髪が揺れている。
美しい光景だが、残酷に感じる。
おそらく、女性の小悪魔のような笑顔が原因なのかもしれない。
俺はビクッとひくついた。
どうしよう……?
で、でも、迷っている余裕はない……よなっ!!
「お、お願いします!!」
俺はスッと勢いよく頭を下げた。
赤茶けた地面が顔にひっつく。
これで……。
これで、良かったんだ……。
萌奈も、俺も、助かる方法。
俺の選択は……。
怖いけど……怖さしかないけど、仕方がない。
自分は結局、無力なのだから。
さよなら、兄貴。
さよなら、萌奈。
さよなら……杏奈。
「……」
薄暗い家屋の中。
桃色の壁やカーテンが支配する部屋。飾り気の無い部屋。
俺はかわいらしい牛のキャラクターがプリントされた絨毯に目を落とす。
ここは萌奈の部屋。
つい先程、意識を取り戻した萌奈が俺を招き入れてくれたのだ。
しかし、初めて来たけど、どことなく懐かしく感じるのは何故だろう?
心が癒されるというか、温かくなるような気がしたのだ。
桃色を基調とした、あまり飾り気の無い部屋。
木の机と椅子。
簡易テーブル。
薄桃色の布団を乗せたベッド。
窓の向こうに映える、田圃や林の風景。
……何だろう?
やっぱり、懐かしさが込み上げてくるのだ。
テーブルの前に腰を下ろすと、萌奈がお茶を載せたおぼんを運んできた。
「松添くん、今日はごめんなさい」
腰掛けるや否や、萌奈はそんなことをつぶやいた。
ん……?
「なに、謝ってんだよ?」
本当に……萌奈の方が律儀なんじゃないのか?
「で、ですけど、私、その……。役立たずで本当にすみませんでした」
萌奈は照れくさそうに、脇に視線を送りながら謝った。
俺は頬をくすぐられるような感覚に陥った。
全く……萌奈は。
「そんなこと気にすんなよ。俺たちは友達じゃねーか!!」
「松添くん……」
萌奈が俺を眩しそうに見上げる。
さすがに、そのかわいらしい視線がくすぐったかったので、俺も照れ隠しに言った。
「俺は萌奈と……杏奈がいてくれて本当に良かったよ。俺はどうしようもない奴だったけどさ、お前等がしっかり引っ張ってくれたおかげで、勉強もそこそこできるようになったし、学校生活も楽しかった。俺の大切な思い出だ。何もかも……」
目が熱いな……。
ちくしょう、零れるなよ。
あと少し。
あと少し、我慢しよう。
「松添くん……」
萌奈もフッと頬を緩めた。
次の瞬間、萌奈の顔に浮かんだのは満面の笑顔だった。
生まれて初めて見る、萌奈の満面の笑みだった。
「!?」
か、かわいい……。
俺は目のやり場に戸惑った。
あたふたと慌てる鼓動。
「じゃあ、今日はもう遅いから……そろそろ」
スッと立ち上がる俺。
いつの間にか、話題が世間話や趣味の話になり、気がつけば、テーブル上のヒヨコの時計は11時を差していた。
ヤバイ。
そろそろ、時間だ。
行かなきゃ。
「はい、また明日に学校で会いましょうね」
萌奈も立ち上がって、無垢な微笑を見せる。
俺はそれ以上、萌奈の顔を見ることができなかった。
鞄の中から、慌ててタオルを拾い上げ、顔に無理矢理押し付ける。
ヤバイ。
ダメだ……。
涙が……。
「ど、どうしたんですか? 松添くん?」
萌奈が窺うような言葉をかける。
「い、いや、何でもない!! じゃあ、元気でな。萌奈!!」
俺は脱兎のごとく、萌奈の部屋を飛び出した。
目頭が熱い。
ちくしょう……!!
ちくしょう……っ!!
俺は扉を強引に閉めてから、タオルを外した。
薄暗い廊下が霞んでいる。
サヨナラ……。
心が静かにつぶやいた。
と、扉が開けっ放しの、真っ暗な隣の部屋に目を向けた。
これは……?
もしかして、杏奈の部屋?
俺は、ソッと覗き込んでみることにした。
今は、誰も使っていないこの部屋。
杏奈は……一体、どこに行ってしまったのだろうか?
萌奈の部屋よりは装飾が多い。
足元には、杏奈の好きだった猫のぬいぐるみがたくさん転がっていた。
俺は、ソッとその中の1匹を拾い上げた。
埃にまみれた、紅い首輪をはめた黒猫。
かわいらしい……。
杏奈が好きそうな、かわいらしい猫のぬいぐるみだ。
再び、言い知れぬ寂しさが込み上げてきた。
寂しい……。
心にポッカリとあいた穴。
目頭が再び加熱を始める。
俺は、その黒猫を鞄の中に放り込むと、薄暗い階段を駆け足で下りていった。
……時間だ。
息が切れそうだ。
足がひくついている。
腕を懸命に動かす。
闇夜の中、俺は懸命に人気の無い歩道を駆け抜けていた。
いつか、杏奈と2人で歩いた教会通り。
相変わらず、整然とされた芝生が闇夜の中に浮かんできた。
ま、間に合った……。
俺は蒼白い教会前で立ち止まり、息を整えようと試みた。
「来たわね」
不意に柔らかい女性の声が、闇夜のどこからともなく発せられた。
と、どこから現れたのか、昼間の黒髪女性と眼鏡スーツの男が、俺の背後に立っていたのだ。
「ハアハア……。はい……」
「よろしい。よく逃げなかったわね。褒めてあげるわ」
女性が不敵な笑みを浮かべた。
「いえ……。じ、自分が、決めたことだから……」
「そう」
女性は豊かな黒髪を翻して、これもまたいつの間に駐車していたのだろうか、傍らに駐車していた黒い車の助手席に乗り込んだ。
続いて、眼鏡男も無言のまま、運転席に乗り込んだ。
女性が窓から顔を出して俺に言う。
「早く乗りなさい」
「……はい」
これに……。
この車に乗り込む、ということは。
この土地に別れを告げると言うこと……。
萌奈に。
杏奈に。
別れを告げると言うこと。
……。
でも、決めたんだ。
自分で。
俺は、この人たちについて行き、一緒に「子供」と戦うってことを。
「条件はね……私の右腕になることよ」
右腕……。
女性の指令を全うし、働く。
いわば奴隷といっても過言ではないのだが、それでも、また漫然と高校生活に戻るのも、どうかなと思った。
俺にはこの世界を変えたいという思いがあった。
萌奈が1人になってしまうという不安もあった。
けど……俺はこの世界を変えたい。
変えたいんだ。
また、家族の温もりを実感できるような。
あの世界を……もう一度。
ごめん、萌奈。
もし、帰ってこれたら……。
一緒にまた遊ぼうな。
杏奈。
せめて、行く前にもう一度、会いたかった。
俺は、鞄の中から黒猫のぬいぐるみを取り出した。
杏奈……!!
また、必ず会いに行くからな。
車は、重厚なエンジン音を残して走り出した。
遠ざかる蒼白い教会。
俺は、後部座席の窓からずっと、ずっと……。
ずっと、見えなくなるまで教会から片時も目を離さなかった。
車は、田畑だらけの田舎道を貫き、やがて大きな幹線道路に飛び出した。
残酷なまでに、俺の生まれ育った村が、山が、緑道が、遥かかなたの闇の中に沈んでいく。
窓の外に広がるのは、コンビニエンスストアや娯楽施設のまばゆい照明ばかりだった。
「寂しい?」
不意に、助手席の女性がこぼした。
「いいえ」
俺は力強く答えた。
「いい子ね。安心したわ」
女性はニコリと微笑んだ。
女性のその表情に、おそらく悪意は見当たらなかった。
「あ、あの……」
名前を呼ぼうとしたのだが、そう言えば名前を聞いていなかったな。
と、女性はそのことを察知したのか、ぼそりとつぶやいた。
「沖 かすみ」
「っ!?」
俺が戸惑っていると、女性は呆れたような表情で俺を振り返った。
「私の名前よ。かすみさんでいいわよ。ちなみに、こっちの男は、松下 進。まあ、私の舎弟みたいなもんよ」
眼鏡男は前方を見据えたまま、頭を下げた。
「よろしくお願いします。松添くん」
「よ……よろしくお願いします」
なんか、固い人だなあ……。
かすみさんは面倒見が良さそうな感じだけど、松下さんは、何となく怖い。
機械のような事務口調だし、無表情だ。
不安だ。
先の展開が全く読めない。
あっ!!
俺はふと後方を振り返った。
もはや、そこには俺の生まれ育った山里の風景は見当たらなかった。
手の届かない場所まで、来てしまったのだ。
寂しさが蓄積される。
でも……仕方ないんだ。
俺は、この世界を変えるまでは……。
この世界を変えるまでは……帰ってこないぞ!!
そして……帰ってこれた暁には、また伊達姉妹と一緒に幸せな高校生活を送りたい。
笑って……笑って……また、楽しい生活を送りたい。
緑道をまた、歩きたい。
教会前をまた、歩きたい。
サヨナラ。
サヨナラ……。
きっと、きっと、また……帰ってくるから。
松添浩二。
俺は、きっとこの世界を変えて、また帰ってくるから。
杏奈。萌奈。
それまで、元気でな。
車は、幹線道路を果てしなく貫いていった。