8. LET'S GET THE FUCK OUT!
アイスティーの入ったグラスを弄ぶ彼女の独白を聞いている間、頭の中ではなぜか全く関係のない曲のイントロが無限ループしていた。
なんだっけこれ、喉のここまで来てるけど思い出せない……。あー気になるなー。ギターの低音弦の解放の音、A弦かな。それがずっと鳴り続けている上の方で、上昇していく音階のフレーズがチルい。確か邦ロックのバンドだと思うけど……。
「——ちょっと、聞いてる?」
「あっごめんゲロのところから聞いてない」
「嘘つけっ!」
ありゃ、顔まで赤くして、やっぱ言わなきゃよかったじゃん。
まあ、授業中にゲロ吐いた奴が急にギターバリバリ弾きだすなんて不気味極まりないだろう。案の定、それ以降あまり学校には行ってなかったと彼女も言っている。
でもさあ、音楽の記憶、経験だけが蘇るって、どういうことだよ。
俺は、全部覚えているのに。
俺は、君をどう見ればいいんだ……。
聞けば、持っているギターも、施した改造も全て記憶のままだった。トーカイのSGタイプにパチモンのビグスビーを後付けし、フロントピックアップをドッグイヤータイプのP90に交換しているらしい。記憶と若干異なるのが、ピックアップ交換後に生まれた微妙な隙間をちゃんと埋めているかどうか。彼女は存外男らしいのか、隙間はそのままにしているらしかった。それに対してヨウちゃんは律儀にも百均で買った木材を赤く染めてはめ込んでいた。やはり、なんというか、この子荒っぽい?
あれかしら、ずっと一人でいたから軌道修正できずにパンクなスタンスになっちゃってるのかな? そう思うと、なんだか優しい気持ちになってきた。大丈夫、外は怖く無いよウフフ。
また、向こう脛に衝撃。
「いっったぁあああぃ!」
カフェの中なので、小声で叫ぶ。あまり痛くは無いがノリは大事。
「聞けチンカス」
「流石にそれはマズイ。年頃の女の子が言うべきじゃ無い」
「うるせえ殺すぞ」
いやだわこの子本当にメンタルがヘラっちゃってるのかしら、情緒不安定すぎない? それに罵倒のボキャブラリーがひどい。よくそれで歌詞書いてんな。おにいさんとしては、もうちょっとさっきまでみたいにしおらしい方がいいかなぁ。
そんなクレームは、深い黒色の瞳に睨まれたことで、あっという間に霧散した。
あっごめんなさい、やっぱ耳にいっぱい穴空いてる人が言うと迫力が違うっすね。
「スミマセンデシタ」
「……」
なんか、嫌な沈黙がやってきたな。あーだめ、適当なこと言って紛らわそう。
「脱いだら全身にタトゥーバキバキ入ってたりしないよね? 乳首ピアスとかしてそう」
「バッ……何言ってんだこの変態!?」
「痛い痛いごめんなさいゆるして!」
この一日で、俺の右脛に大きな青あざができた。
****
「今日一日学校出たら連休ってさ、なんか釈然としなくね」
目の前で、紙パックのコーヒー牛乳をちびちびとやっているシュウヤに愚痴をこぼす。
「わーかる。おまけしてくれてもいいじゃんね」
週明けの月曜日。カレンダーの都合上、春の連休は明日からとなっている。一日くらいおまけで休みにしてほしいと、そこかしこから恨みつらみが聞こえてくる。その怨嗟の対象は暦だろうか、それとも学校自体だろうか。
シュウヤの話に適当に相槌を打ちながら、ぼーっと眺める左隣は広々としていた。今日のミホは午後の授業まで戻って来ないつもりらしい。
「ヒロヒロくん、その指先のテーピングどうしたの?」
「あー、これ? ベース始めたからさ、肉刺できちゃって」
シュウヤが、俺の両手の指に巻いたテーピングを見て言った。ある程度弾くことができても、やはり体の耐久性は素人同然だった。ベースという楽器は、押弦の為の左手は言わずもがな、ピックを使わない奏法では右手の指も酷使する。この二日間寝る間を惜しんで練習したら、すぐにズタボロになってしまった。それでも練習を続ける為、テーピングを巻いてやり過ごしていたのだ。
結成を目指しているトリオ形式のバンドは、ドラム、ベース、ギターがそれぞれ一人ずつという最小限の編成だ。よくスリーピースとか呼ばれる。そしてミホのギターは、歌の裏にも関わらず縦横無尽に弾きまくるスタイルが売りだ。本来ウワモノかつ伴奏を担うギターがそんな具合なので、必然的にベースにかかる責任は大きくなる。
ただただコードのルート音をなぞれば良いわけでない。俺が選び鳴らす音によって、曲の表情や感情が変わるのだ。やはり、そこがギターとベースの大きな違いだろう。
その為にも、今はとにかく弾きまくって、新しい楽器を体の一部にしたかった。たかが両手の指先の皮が破れたくらいだ。些細な問題である。
「ほーん、それじゃ飯島ちゃんとバンドやるってマジだったんだ」
「うい。ミホのギターバカテクだかんね、バンドやらないのは勿体無い」
紙パックに突き刺さったストローから、ズゾゾゾと下品な音がする。意地汚いからやめなさい。
「そんじゃあ俺の弟使ってやってよ。そしたらサインちょうだい、有名になる前にさぁ」
は、弟? お前弟いたの? いや、使う?
「なにそれ、お前の弟ルンバかなんかなの、使うって」
「いやいや、ドラムやってるんだけどさ、まだバンド組んだこと無いんだってよ」
うーん……渡りに船!!
なあにこれ、都合よすぎない? まさかここまでトントン拍子に進むとは思わなかったんだが?
いや、バンドを組んだことないと言っていたな。経験上、バンドをやろうとすると、どうしてもドラム探しに苦慮することが多い。なぜなら、弦楽器に比べて場所も必要だしうるさいしお金もかかるでプレイヤーの人口が少ないからだ。ちなみに電子ドラムでもかなりうるさい。木の棒でボカボカ叩けばなんだってうるさいのは想像に易いだろう。
そのため、ある程度叩けるドラマーは様々なバンドから引く手数多なのだ。どこそこのドラマーがなになにのバンドを掛け持ちしているなんて普通の話である。すなわち、バンド未経験のドラマーということは、それなりの理由があるのだろう。例えばズブの素人、もしくは人格破綻者……。いや、バンド界隈は頭おかしい人ばっかりだったわ。猛省〜。
とりあえずミホをバンドに誘うことに成功した今、ドラムをどうするか適当に考えようとしたタイミングであった。
「ほんとにい? 小学生だったりしない?」
糠喜びにならないよう、予防線を張っておく。
「二個下、同じ高校。今から行く?」
マジかよ。半端ねえな。我ながら素っ頓狂なところに張った予防線は何の役にも立たなかった。
「イクイクいっちゃう。はやく弟さん紹介してぇ」
「あれぇヒロヒロくんこんなに気持ち悪かったっけ」
**
「おっ、クソ兄貴じゃん」
随分と失礼な挨拶を、人好きのする笑顔でブッ放すやつがいたもんだ。
一年生の教室にずかずかとやってきた俺たちは、秒で目的の人物に御目通りすることができた。目の前のナチュラルボーン失礼マンがシュウヤの弟さんらしい。確かに、顔のパーツがよく似てる。しかし、ぱっと見チャラいシュウヤと違って、正統派スポーツマンのような印象だ。体力ありそう。
「これが弟のトオル」
あ、あれが普通なんだ。
「あ、どうも。シュウヤの友人の、東海林です」
「すっげえモブっぽいっすね。恥ずかしながらコイツの弟のトオルです」
あーこれやべえわ。人格に問題あるタイプかもしれない。
「トオルお前まだバンド組んでないんだよな?」
お前そこは身内の失礼をカバーするところじゃない? 初対面の年下の子にモブっぽいって言われたの初めてなんだけど。
「うるせえなお前昼休みまでなんでお前の顔見なきゃいけねえんだよ死んどけよ」
「よかったなヒロト、まだフリーだってさ」
ごめんちょっとこの子とバンドやってく自身持てねえや、俺。
何今の斬新な会話。男兄弟ってこんな感じなんでしょうか。前世と今生合わせてベテラン一人っ子の俺にはよくわからない。
「えっあっ、トオルくんドラムやってるんだってね、シュウヤから聞いたよ」
「マジすか。クソ兄貴てめえプライバシーの保護ガバガバかよ」
なにこれ、なんで二人とも笑顔なん? これが君たちの家族の形? はえーすっごい。
「あー……。ちょうど、バンドでドラム叩いてくれる人探しててさ、もしよかったらどうかなーって……」
なんかもう心が折れそうなんだけど、聞くだけ聞いてみよう。実際に一緒にやれるかどうかは追々でいいし。
「おっマジすか。やりますやります」
「即答なんだね」
普通やってるジャンルとか雰囲気とか探り合いしない?
前世の俺はしてた記憶があるなー。
『せ、拙者エモいのが好きでして……』
『オウフ奇遇ですな。某も普段はシャイ・ハルードのコピーなどしておりましてコポォ』
『うーんこれはスタジオにて語り合いましょうぞ』
そんなやりとりをしたかどうかは定かではないが、お互いの好みや技量を確認せずに即答できるのは、正直すごい。
ただ、どうしても音楽にはテクニックの問題がつきまとう。どんなに彼にやる気が満ち溢れていても、他のメンバーの足を引っ張るようではいけない。俺は若干躊躇いつつ、質問を続けた。