7. Tonight, Tonight
早々に目的を達成した俺たちは、楽器店の入っているテナントビルをうろつくことにした。折角の土曜日だ、特にこれといって用事はないが、このまま解散というのも味気ない。
しかし、先ほどから妙にミホの顔色が優れない。今朝のこともある。もしかしたら体調不良もあるかもしれないと、気遣いも兼ねて提案した。
「ミホ、コーヒーおごるよ」
俺は奥まったところに見つけたカフェチェーンの看板を指差して言う。
「私コーヒー飲めない」
「あー……言い方悪かった。お茶でも軽食でも、なんでも」
納得がいったようで、小さな首肯が帰ってきた。
昼時をすぎ、お茶の時間に差しかかろうというタイミングだ。カフェの店内はそこそこに混み合っている。先に席を確保した方がいいだろう。
「んー、ソファ席空いてんじゃん。ラッキー」
個人的に、背もたれが木製の硬い椅子は嫌いだ。丁度よく、丸テーブルを挟むかたちに一人がけソファが二脚向かい合った席が空いていた。
ジェスチャーで「奥の席どうぞ」とミホを先に座らせると、背負っていた楽器ケースを肩から下ろした。ベース重いんじゃ。
「これ、楽器見てて。飲み物決まってる?」
「ん……アイスティー。小さいの」
「了解」
俺は注文を確認すると、レジカウンターへ向かった。数名、注文待ちの列ができていたため、その最後尾に並ぶ。
ふとガラスケースを見れば、お手頃なサイズのケーキが数種類並べられている。バンドを組むための試験の意味もあったが、休日の時間を貰ってしまったわけだ。少しおまけしてやろうか。
思っていたよりスムーズに列は進み、注文と支払いを済ませ、受け取りを待つ。俺はホットコーヒーのMサイズ。ケーキは適当にチーズケーキとベリー系のソースがかかったケーキを注文した。もし両方ともお眼鏡に適わなくとも、これくらいのサイズなら余裕で食える。
唐突に、前世では甘いものとコーヒーとタバコがあれば一日ご機嫌だったことを思い出す。嫌なタイミングだ。俺未成年だしタバコ吸えないじゃん。
この体に取り込んだことのないニコチンに焦がれていると、目の前に注文した品が差し出された。俺は軽く会釈して店員からトレーを受け取ると、ミホの待つ席へ戻ることにした。
「おまたセンシズフェイル」
「は?」
はいどーぞ、と言いながら丸テーブルの中央へトレーを静かに置く。
「ケーキ、適当に選んでみた。甘いもの苦手なら俺食うから、好きなの選んで」
「あ、ありがと……。じゃあ、こっち」
一瞬戸惑った様子だったが、彼女はさほど迷わずにチーズケーキを選択した。なるほど、チーズケーキ派か。シンプルにうまいよね。
ソファの座面に置いていた荷物を避けて着席すれば、彼女はボディバッグからいそいそと財布を取り出していた。意外と律儀ね。
「ああ、いいよいいよ。楽器選び付き合ってくれたから、お駄賃ということで」
「え、いや、すぐ終わったし」
「かまへんかまへん」
俺は片手を顔の前でひらひらと振り、特に気にするなと伝え、この話はお終いということでコーヒーに口をつけた。なお、俺はブラックコーヒー一択である。砂糖もミルクも缶コーヒー以外で入れることはまずない。インスタントですらブラックを貫いている。どうにも、コーヒーの後味にミルクが混ざるのが気持ち悪いのだ。
すっかり軽くなったお財布に思いを馳せながら、一息つく。特に趣味らしい趣味を持たなかった上に、浪費癖もなかったので、今日の分は全て貯金から賄った。だが、一介の高校生に今日の出費は痛すぎる。まあ、必要経費と割り切るしかない。
マグカップをテーブルに戻し、フォークを手に取り自分の分のケーキに着手した。少し頑張れば一口で食べられそうな、正方形のケーキだ。コーヒーとのペース配分も考えて、フォークで切り取り、口に運ぶ。
うむ。想像通りのお味。普通のスポンジにクリーム、クランベリーソースかな? 酸味が程よく、コーヒーにバッチリだ。もう一度コーヒーで唇を湿らせると、アイスティーのストローを咥えたミホと目があった。
いつの間にか、前髪を分けて、両目を出していた。
「体調大丈夫? 顔色悪いけど」
髪をかけた両耳に並ぶピアスを眺めて問いかけた。拡張は両耳やってんのね。かっくいい。
「……ん、ごめん。考え事してただけ。体調は大丈夫」
「そう」
なんとも言えない絶妙な空気。そういや、学校の外で会うの初めてじゃん。
——実は拙者、今生にて女の子とサシで外出すんの初めてー。
ワオ。まさかの初デートがこいつとか。そこまで考えてなかったわ。
改めて、向かいのソファにて、存外丁寧な所作でケーキを食べ進めるミホを眺めた。
濡羽色の癖っ毛は、なにかヘアムースでも使っているんだろうか、学校で会うときよりもまとまっている。下手に染めたりしていないのか、キューティクルがすごい。
その顔立ちは、本当にヨウちゃんによく似ている。長い睫毛が縁取る、黒目がちな大きな目。若干小ぶりな鼻梁が幼い印象を与えるが、薄い唇——意外にも、鮮やかすぎない口紅を塗っている——に若干の少年っぽさも感じる。しかし、輪郭は女性のものだ。まるで作り物のようにすら思える。おそらく、全体と両耳のピアスが相まって倒錯的な雰囲気を醸し出しているんだろう。それに、今日は化粧もしっかりしているようだ。決して厚化粧には見えないが、普段の様子からは想像もできない。まあ、あまり派手な化粧は校則違反だし、仕方がないのかもしれない。……そのピアスで校則をどこまで守るつもりなのかは知らないが。
ただ、服装はシンプルそのもの。生地の厚そうなプルオーバーのパーカーには装飾も何もない。唯一、フードを調整する紐を蝶結びにしているのが目についた。スケーターファッションだろうか。身につけているボディバッグもアウトドアブランドのものなので、そういう意識はしているのかもしれない。
ボトムスは黒いスキニージーンズと黒いコンバースのローカット。清々しいほどのエモガールの文法だが、不思議とコテコテには見えない。はやり、あの不健康そうなメイクがないからだろうか。
それにしても、大きめのパーカーに対してピッタリとしたスキニーは体のラインをはっきりと描き、彼女の女性らしさを強調している。顔は似ていても、別人なのだと思い知らされる。
こうして見るたびに、どうしてもヨウちゃんと比較してしまう俺がいた。あいつは訳わかんない色使いの服をよく着ていて、夏になればネタ半分本気半分のシャツばかり選んでいた。それと比べると、本当に彼女は正反対だ。
いつも人懐っこい笑顔だったヨウちゃんと、必要がなければ繕いもしない無表情のミホ。
カラフルな洋服を好んで着ていたヨウちゃんと、モノクロームのミホ。
男のヨウちゃんと、女のミホ。
まあ、こいつ全然女らしいとこないけどな。絶対制服以外でスカートなんて履かない主義だと見た。
そんな失礼なことを考えていると、独り言のような、小さな声で問いかけられた。
「ある日、急にギターが弾けるようになることって、あると思う?」
いつも通りの唐突さだ。しかし、すぐに意図を理解した俺は息を呑むことしかできない。
若干の沈黙の後、言葉を絞り出す。
「さっきの俺みたいに?」
「うん」
しっかりと俺の目を見ながら、彼女は頷く。
彼女の独白が始まった。
「私、中学二年からギター始めたんだ。きっかけは音楽の授業で触ったクラシックギター。それまで、音楽になんて興味すらなかった」
彼女は、それまでリコーダーも吹けなければ歌が嫌いだったと自嘲する。
「いろんな楽器に触ろうみたいな内容で、嫌々授業を受けてた。中学ってさ、合唱コンクールとかあるし、もう音楽の授業嫌いでしょうがなかったんだよね。音痴で笑われるし」
合唱コンクール、市民ホールのステージでバカみたいな声量で歌うヨウちゃんを思い出す。また一つ、正反対。
「そんでさ、ギター持った瞬間なんだけど、あーこれ知ってる、弾けるってなって」
「は? なにそれ」
「それが普通の反応だよね。でもなんか、ブワーって、音楽に関する記憶みたいなのが一気にやってきて、音楽室でゲロ吐いた」
いや最後の情報いらない。言わなきゃいいのに勿体無い。
いや、それよりも。
「そ、それってさ、記憶。音楽、だけ?」
舌が、喉の奥に引っ込んでうまく動かない。急に言葉が不自由になったようだ。喉に途方も無い異物感を覚え、呼吸ができない。
「うん。ギターの弾き方とか、歌い方、音楽知識とかだけ」
「じゃ、じゃあ、あの曲は? 『メトロの車窓』はどうやった?」
「変な言い方だけど、指が覚えてた。おかしいよね、聴いたこともない曲を覚えてるって」