3. 思い違い
勝手に打ちひしがれていると、いつの間にか終業のSHRまで終わっていた。問題の飯島さんは、登校時と同じスピード感で教室を後にしていた。
正直、助かる。
わかりやすく動揺しまくってしまったことが情けなく、机に頬杖をついたままため息をつく。揺さぶられた脳みそに、丁寧に酸素を送るように、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
何度か深呼吸をすると、開け放たれたドアから、見慣れた刈り上げ頭が顔を出した。
「ウィース! おつかれーカラオケ行こうぜー!」
いつも連んでる奴の一人、甲斐シュウヤだ。地味目な俺らの中で最もチャラい。いつもツーブロックにした髪をバッチリ決め、両耳にはピアス穴がいくつか。生憎クラスは別れてしまったが、どうやら見捨てずに遊んでくれるらしい。
「カラオケー? いつものアニソン縛り?」
下校の準備を終えたリョウが片手をあげ、挨拶とともに悪態をつく。
「ええやんけ! お前らとじゃないと歌えないんだから頼むよー」
なぜこんなデコボコトリオの仲が良いかといえば、こういうところである。見た目に反して、シュウヤは無類のアニメ・漫画好きだ。大分オタク趣味に寛容な世の中になったが、部活仲間や別のグループではそういった類の話題を遠慮しているらしい。そのため、溜まったフラストレーションを俺たちと遊ぶことで解放しているのだ。
なお、俺とリョウは大してオタクではない。リョウは浅く広く楽しむタイプだし、俺はほとんど門外漢だ。ただ、シュウヤの話を否定もせず聞き役に徹していたら、いつの間にか仲良くなっていた。彼曰く、自分が素でいられる貴重な相手が俺たちらしい。そんな役目、勘弁してほしい。まあ、口に出したりはしないけど。
俺はただ、無気力に無関心に生きてきただけなのだ。
何かに熱中して、リソース全部ぶち込むなんて、もうできない。
「よっしゃー、いくべー」
俺が立ち上がって、デイパックを背負いながら背伸びする。それが合図になって、俺たちは教室を後にした。
****
いつものカラオケ店、割とよく通される部屋。俺たちのカラオケは特に盛り上げ合ったりなんてしない。各々好きな曲を歌い、スマホをいじり、ただただ同じ時間を過ごす。
割とこういう関係は嫌いじゃない。
急ぎの宿題があればここでやっつけてもいいし、歌よりもソシャゲに集中してもいい。どうせシュウヤが一人でアニソン縛りをストイックに続けるだけだ。
一度、ヒトカラは行かないのかと訊くと、「一人だとテンション上がらないから」と妙に納得のいくようないかないような回答があった。俺は、別にどっちでもいいと思う。
コーラとソフトクリームを交互に食べながら、向かいの席に座ったシュウヤが俺に声をかけた。
「ヒロヒロ君、飯島ちゃんとなんかあったってマジ?」
「はぁ? なんもねえよ」
嘘だろ、もうなんか噂になってんの? 情報網怖え。
「面白かったぜー。ギリギリ遅刻の飯島さん見た瞬間に椅子ブッ飛ばしてなんか叫んでんの」
おいてめえ黙れ。そのギョロ目くり抜くぞ。
「だーかーら、他人の空似だっての! はいおしまいーこの話おしまいー」
シュウヤもニヤニヤしてないでさっさとアニソンでもなんでも歌ってろよ。
片眉をあげて正面を睨みつけるが、奴は悪びれもせずに続ける。
「飯島ちゃんなんか怖くね? 表情読めないし、人と話してるの滅多に見ないよな」
「あ? シュウヤも知ってるん?」意外だ。そんなに有名人なんだろうか。
「そうそう、俺ら出身同じだからさ、中学から一緒」
そういえば、こいつら二人は同じ出身だった。最初にリョウと関わるようになってから、シュウヤとも仲良くなったのだ。ということは、この二人は少なくとも中学時代の彼女のことを知っているのか。
俺の記憶の中では、ヨウちゃんが二年生の時、赤いSGでギターを始めた。俺が初めて買ったのは、中古のストラトキャスター。もちろんフェンダーには手が届かず、スクワイアで妥協した。
彼女は、見た目と、好きなバンドこそあいつとそっくりそのままだが、楽器はやってるんだろうか。
「なあ、飯島さんて、どんな人だったん?」
何とは無しに、口をついていた。
「……確か、あんまり学校きてなかったよな」
「マジで……?」
「だから高校も一緒でビビったよ。偏差値高くはないけど公立じゃん、俺らの学校」
リョウが、面長の顎を撫でながら続けた。
「でも、赤点常連で卒業ヤバめってのも聞く」
「マジか」
想像できない。ヨウちゃんは、ギターもバカテクなら、勉強もかなり出来た。高校三年間で補講を受けたことはないし、予備校なしで地元の国立大に合格するほどだ。
やっぱり、他人の空似だろう。
胸の中の蟠りが、急速にしぼんでいくのを感じた。絡まり合っていたモヤモヤが、行き所を無くして、腐ってしまう。
いや、待て待て。俺は『タクちゃん』なんかじゃない。俺はヒロトだ。平々凡々な、唯の男子高校生だ。前世なんて関係ない。
でもなんでこんなに寂しいんだろうな。わけわかんね。
「ん。シュウヤ、それかして」
目の前でストローを咥えたままのシュウヤに、曲を予約する端末を渡せと手を伸ばす。
「ん」
彼は手元のスマホから視線を外すことなく、テーブルの上に置かれた端末を手渡してきた。みんな、歌いたいときに歌うのがいい。
俺の手に渡った端末の検索欄を、付属のタッチペンで叩くと、画面にキーボードが表示された。右手が、画面の上を彷徨う。何度かペンを所在無さげに動かすと、日本語からアルファベットに表示を切り替え、“A”をタップした。
“Algernon C”まで入力して、検索結果がゼロ件になるのを見た俺は、足元をすくわれたような気がして笑ってしまった。無性に、悔しい。
グリーンデイ、ある。ピロウズ、もちろんある。サニー・デイ・リアル・エステイト、ない。アット・ザ・ドライヴイン、ない! フガジ、ない!! ミネラル、ない!!!
思いつく、懐かしいバンドたちを、手当たり次第検索していく。
検索結果に一喜一憂して、曲を予約することも忘れて、検索を繰り返した。
「ヒロト、歌わねえの?」
奇妙なものを見る目が四つ並んでいる。いつの間にか、リョウとシュウヤが並んでゲームをしていた。
「うっせ! 今から入れるんだよ!」
俺はたまたま表示されていた曲の送信ボタンを勢いよく叩くと、転がっていたマイクを掴み取りソファから立ち上がった。壁にかけられたディスプレイには、ジャックスマネキンのアイムレディーと表示されている。
「こうなりゃ洋楽縛りだコノヤロ!」
****
帰宅して、制服のまま、キッチンに飛び込んだ。
冷蔵庫のドアを開けて、目的のものを素早くコップに注ぐ。
喉が痛くて死にそうだった。
信じられない。たかだか数時間のカラオケで、ほとんど声が出せないくらい喉をやられるなんて。低音は安定せず不愉快な響きで、高音は全然出ない。グロウルも、スクリームも、ピッグスクイールも何も出来なかった。一発芸でよくやっていたアーライ神の真似も全くダメだった。
そして、二人に死ぬほど笑われたのが悔しすぎる。
てめえら見てろよ、すぐに勘を取り戻してあっと言わせてやる。
悔しさをグラスの中の牛乳に溶かして、一気に飲み込む。じくじくと痛む喉に、冷たさが心地よい。カラオケ店のトイレで咳き込んだときに、血が出ていたが、多分大丈夫だろう。
正直、もう気が付いていた。
あいつがいない世界でバンドなんてやってもしょうがない。そんなの、諦めたフリだってこと。
俺は、あいつより、余程バンドが、音楽が好きになっていたんだ。
今まで心の深いところにしまいこんで、直視しないようにしてきたが、それも『飯島ミホ』のおかげでおしまいだ。
そんな些細なきっかけで溢れ出した思いは、コップ一杯の牛乳程度じゃ冷え切らない。
頭の中で、音楽が鳴り響いている。
死ぬほど気持ちいいんだぜ。クソデカイ音で叫ぶの。
わかるかなあ、バンドやってて一番気持ちいい時ってさ、セックスなんかよりずっと気持ちいいんだよ。これマジで。
打ち上げだって楽しかったんだ。ヨウちゃんチビなのにめっちゃ酒強えのな。
もっと、もっとやりたかった。全然、こんなんじゃ足りない。
喉じゃない。心が、音を立てて渇いていくのを感じた。頭が、爆発しそうだ。
モッシュに巻き込まれて青アザだらけになっても、バカみたいに笑ってられるんだ。
キッチンと繋がったリビングの窓から、すっかり傾いた西日が部屋の中をオレンジに染める。
「いいなぁ、エモだなあ」
つぶやきからは、血の味がした。