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2. アルジャーノンと花束

 だー。最悪。

 二度寝かましたら時間がギリギリになってしまった。母さんには呆れられるし、厄介な寝癖は、ドライヤーをかけても言うこと聞かない。

「ああもう! 自転車だしいいか!!」

 俺はやけくそになって洗面所で叫ぶと、散らかしたドライヤーやらヘアワックスを適当に仕舞って駆け出した。リビングからは、パートに向かう準備をする母と、徹夜明けの父がそそっかしい子だなんて笑いあっている。くそー、二人分の記憶を抱える人の気も知らないで。

 俺は不愉快さを隠さず「行ってきます!!」と叫びながらニューバランスを突っかけると、自転車と家の鍵をまとめたキーホルダーを掴んで玄関のドアを開けた。四月上旬の空は憎たらしいほど晴れ渡っていて、こんな日にドタバタしている自分が情けないが、時間は待ってくれない。ソニックブルーに塗られたスポーツタイプの自転車を引っ張り出すと、勢いよく通学路を走り始めた。


 通い慣れた道を爆走しながら思い返す。

 マジで厄介な物を背負いこんでしまったと思う。まあ、他人の記憶があるだけで、俺自身には何も影響がないのが救いか。もしもこれが大層な運命を抱えているとかだったら、平穏な日常を送ることはできなかっただろう。


 正直、バンドとか、ギターとか、一ミリも興味ないし。

 記憶の中で立つステージは、いつもガラガラだったし、ほとんど毎回チケット代は自腹を切っていた。それに、やってるジャンルがマニアックすぎるせいが、全くモテなかった。

 そこは、なんとなくわかる。バンドでモテるやつはバンドをやらなくてもモテる。バンドがやりたくてバンドをやるやつは、ただのオタクでドMだ。

 自分たちで作った曲をボコボコに批評されて、それでもニコニコ笑顔でライブハウスに通い詰めるなんて信じられない。ただ、一部にコアな人気はあったみたいで、ちょこちょこ遠征ライブなんかもしていたが、音楽で食っていくなんて夢のまた夢。お金ばかりとてつもない勢いで飛んでいった。

 しかも打ち上げではバカみたいに飲むし、タバコもモクモクで前時代的で上下関係は厳しい。そんな身を切り崩すような生活、何がよかったんだろうか。


 だから、俺は普通に流行りの歌を聴いて、普通に過ごしている。

 音楽なんて、消耗品のファッションだ。


 ——あいつのいない世界で、バンドやっても意味ないし。


 大体、全てがパッとしない俺が何かやろうとすると悪目立ちする。身長は173センチで止まって、顔立ちも薄味。小さくはないけど一重で眠そうな目は、無駄に不機嫌に見られることも多い。そんな俺は、厄介な他人の記憶なんてなくても十分ひねくれてしまっていた。


 そんなことを考えながら、自転車を漕げばあっという間に学校へたどり着く。流れる様に駐輪場へ愛車のジャガーちゃんをブチ込めば、昇降口まで小走りに向かう。ちなみに、安物の愛車には『jaguar』なんて大仰なステッカーが貼られている。無駄に張り切った商品名だ。しかし、奇しくも生前愛用していたギターがソニックブルーのフェンダージャガーだったので、妙に愛着がわいてジャガーちゃんと呼んでいる。まあ、色のセンスは良かったようで、今もこういったペール系の色は可愛くて好きだ。


「うぃー、また同クラじゃーん」

「またかよー勘弁してくれよー」


 昇降口に張り出されたクラス分けの掲示に従い、新しい教室に入室すると、いつも連んでいる丹野リョウがやかましく声をあげた。

 俺はうんざり半分、安堵半分といった感じで、片手を軽くあげて返事をする。


「ヒロトお前、頭やべえぞ」

 黒板に張り出された座席表を確認していると、リョウが隣にやってくるなり俺の頭をガシガシと掻きむしってきた。寝癖と風で自由奔放に乱れまくった頭髪がさらにめちゃくちゃになる。

「うるへえやめれ」

 こいつは無駄にたっぱがあるので、俺は自然と見上げることになる。大きな手を払いのけて睨みつけると、リョウは底なしに元気そうな丸い目玉を剥いて座席表を眺めていた。


 いつになく素直に俺イジリをやめたことが気になり、声をかける。

「どしたん。なんかあった?」

「いや、お前の隣、同中のやつだなって」

 リョウは骨ばった人差し指を張り出された紙の一点に突き立てた。気色悪いほど艶やかな爪の先には、見知らぬ名前が印刷されている。


『飯島ミホ』


 なるほど、俺の席の左隣だ。


「知らねーやつ。なに、初恋? アオハル?」

 わざわざそんな反応をするなんて、何かあったに違いないだろうと勘ぐり、したり顔でやり返す。

 だが、背高のっぽで親密な相手以外には朴念仁を貫くリョウが、珍しくバツの悪そうな顔をしていた。


「こいつ中学から浮きまくっててさ、俺もちょっと苦手なんよ」

「なんだそれ、別によくねえ?」

「まあ、それもそうか。ドキュンとかヤンキーじゃないしな」

「ならいいじゃんじゃん」


 ただ、人の好き嫌いをしない彼が明確に『苦手』と言い切ったことが釈然としないのは確かだった。軽くリョウの肩を殴ると、ぐしゃぐしゃにされた髪の毛を手櫛で雑に整えながら、指示された座席に向かい机の上に背負っていたデイパックを投げ出した。今日は始業式だけで終わりなので、荷物が軽いのが救いである。

 椅子を引いて、どかりと腰を下ろすと、左側の視界が若干広いことに気が付いた。もう、予鈴までそれほど時間がないはずだが、例の『飯島ミホ』さんはまだ登校されていないようだ。随分、初日から余裕をぶっこいてらっしゃるものだと、ギリギリセーフだった自分を棚に上げて思った。


 デイパックを机のフックにかけたり、スマホをチェックしていると、予鈴が鳴り響き、新しい担任の先生が教室にやってきた。慌ててスマホをポケットに仕舞った。

 あー。今年は伊藤先生か。現代文が担当科目で、なぜか女子生徒からの評判がいい中年男性教員だ。何やら、声がいいとかジェントルマンだからとか言うが、個人的にはあまり得意じゃない。なんとなく、好きになれない先生だった。

 先生は教壇につくと、軽く教室内を見渡して、口を開いた。


「なんだ、飯島はまだ——」


 確かに耳当たりのよい低音の響く声だ、なんて感心した瞬間、閉められたばかりのドアが素早く開かれた。


「すみません遅れました」


 早口の、少年の様な声だった。

 教室が一瞬で静まり返り、視線がそこに集まる。

 臆面もなく正面のドアから入室してきたのは、驚くほど色白で、線の細い女子生徒だった。首に回した厳つめのカナル型イヤフォンのコードが、制服のブレザーのポケットに伸びている。

 一応走ってきたのか、小さく両肩が上下していて、頬が上気している。頬と、薄い唇だけが色づいて見えた。女子にしては短めの髪型だが、目を隠すように前髪だけが長い。

 濡羽色の癖っ毛。

 病的なほどに白い肌。

 神経質な印象の薄い唇。

 前髪の隙間から覗く黒い瞳は、ハッとするほど大きい。


 全身から、血の気が引いていく。周囲の景色がスローモーションになり、小さいざわめきや先生の注意する声が、水中で聞こえる音のように遠くなる。

 俺の中の、もう一つの記憶がフラッシュバックしていく。

 初めて出会ったのは幼稚園のグラウンド。あんまり白いから、具合が悪いのかと心配になって俺から声をかけた。思ったより悪ガキで、小学校では校庭の池に洗剤を撒いたりして一緒に説教された。中学では、一緒にギターを始めた。なかなか上達しない俺に、根気よく教えてくれたが、焦りや嫉妬心からヘソを曲げた俺と取っ組み合いの喧嘩をした。高校で、最期まで組んでいたバンドの前身となるバンドを結成した。初めてのアンサンブルに感動し、二人して曲を作りまくった。

 真剣な顔も、笑顔も、ステージでの顔も、全部知っている。

 俺は、彼女を、あいつを知っている。

 見間違えるはずがない。

 性別が違うくらいでわからなくなるような関係じゃない。不思議な確信があった。


「ヨウちゃん!?」


 椅子を蹴飛ばして立ち上がり、叫んでいた。完全に無意識だった。

 今度は、俺が全員分の視線を集めることになった。

 今にも、心臓を吐き出してしまいそうだ。


 「え、誰? ……違いますけど」


 ****


 そりゃあそうだ。さっきのは、完璧に俺の空回りだ。この世界に、あいつがいないことなんて、もうひとつの記憶を自覚してからわかりきっていたことなのに。大体、名前も性別も違う。万が一にも、同一人物であるはずがない。俺が、俺だけが異常なのだ。


 体育館での始業式を終え、再び教室へ戻ってきた。行き帰り、今朝の出来事についてからかわれたが、知り合いにそっくりすぎて動揺してしまったとはぐらかした。いや、ある意味嘘じゃない。嘘じゃないが、問題の飯島さんと隣同士、席替えまで気まずいことになってしまった。


 今は、自分の席にて配布物を受け取ったりなどしている。

 実に気まずい。

 それに、本人に今朝のことを弁明できていない。初日だし、ざわついた空気が教室を包んでいる。少しの雑談くらい、問題ないだろう。


「い、飯島さんだっけ。今朝はごめんね、遠くの知り合いにめっちゃ似ててさ……」

 身を乗り出して、できる限り申し訳なさげな顔と声音で謝った。が、返事はない。視線だけを前に向けて、静かに席に座っている。

 ふと、横顔も瓜二つだなんて思ってしまった。記憶の中の彼が、もしも女性だったらこうだっただろうと、違和感なく想像できる。

 しかし、なんの反応もないのはヤバイ。なんとなく、リョウの言っていたことが蘇った。なんとか、会話の糸口を探そうと、突拍子もないことを訊いてしまった。


「あ、あのさ、イヤフォン、良いやつだよね。音楽とか聴くの?」

 若干、顔がこちらを向いた。女子だからだろうか。記憶より、さらに線が細く見える。

「言ってもわからないと思う」

 氷の様な声。重い前髪に隠れた瞳は、ここからじゃ見えなかった。

「い、いやあ、もしかしたらわかるかもしれないじゃん……?」

 俺が食い下がると、彼女は薄い唇を歪め、小さな声で続けた。


「あ、アルジャーノン・キャドワラダー……」


 息がつまる。一瞬呼吸が止まって、目玉が頭蓋骨の内側から押し出されるような感じがした。


「……いい、ね。エモい……」


 なんとかそれだけ絞り出すと、そのまま無理やり会話を切り上げた。

 溢れ出す脂汗と、泳ぎまくる目を悟られないように、手を組んで顔を隠すように俯く。もう、彼女の方を見る余裕なんてなかった。


 クソが……。そのままじゃねえかよ。

 記憶の中で、あいつが最も敬愛するバンドの名前だった。

 当時高校生だった俺たちは、そのバンドに夢中だった。変則チューニングに泣き叫ぶ様な、ヘロヘロなボーカルが、かえって新鮮に聴こえた。

 マニアックな方向性に突き進む要因となったバンドだった。


 多分、きっと、これは偶然なんかじゃない。


 あまりの衝撃に身動きできないでいると、前の席のクラスメイトがプリントを渡すためにど突いてきた。


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