01☆悪役令嬢って……そっちィィィ!?
初の連載小説となります。
よろしくお願いいたします。
暗い、夜の帳が降りた頃。石造りの住宅地の屋根の上を少女が駆けていた。
漆黒の、ひらひらとしたレオタード衣装を身に纏った彼女は肩までかかる黒髪をなびかせ慣れた足取りで彼女の背丈の倍以上ある距離の屋根から屋根へと飛び移った。
「ここ……かしらね」
薄く光る街灯を見下ろしながら、少女が呟く。紫水晶の陰影だけが夜景に弧を描いていた。
「夜中にこんな格好で悪いことをするなんて……いつものことながらゾクゾクするわぁ…♪」
ぽつんと暗闇の中で一人恍惚に身を悶えさせ、ややあって落ち着きを取り戻した様子で彼女は侵入する家を確認する。
今彼女が立っている建物は、後ろにそびえる国王が住む城を除いて、最も高い建物だった。三階建ての正方形型の建物は、上に乗っている彼女からでも見分けがつくほど目立つものだった。
窓も、ドアも。果てにはポストまで、気持ち悪いくらいに完全な左右対称だった。ちなみに、ドアは両開きの大きなものがひとつ、ポストと家の名前が書かれた看板は二つずつある。左右対称にこだわるあまり、家の利用にあたって余分なものが生まれている。彼女は美しくない外観だ、と心の中で思った。
家の所有者は、この城下町を仕切る大役人の家である。
「フフフ……さぁて、どんな汚い仕事をしているのか、暴いてあげるわ!」
その役人は大金持ちだが、その金がどこから来ているのかは全くの謎で、貴族たちの噂では危険な取引に及んでいるとか。
神出鬼没に現れ悪い貴族の犯罪行為を暴く、謎の怪盗の正体こそ現在興奮を隠しきれない様子の彼女。サンドラであった。
しばらくブツブツと何か呟いたあと、彼女は平坦な屋根の、すこし窪んだ中心部分に近づいた。そこには天窓がはめこんであり、建物の内部を覗けるようになっていた。
天窓から覗く景色は壮大な物だった。中心は一階から三階まで二重螺旋状の階段になっており、屋上からエントランスの空間が見えるようになっていた。壁には一面に何らかの神話をベースとしたような豪華絢爛な装飾、彫刻が過剰なまでに施してあるのが確認でき、サンドラはそれらを見ていて気分が悪くなった。
天窓は常時少しだけ開いており、雨の日には天から雫が降り注ぎ、壁面の輝きを受けて光が降り注ぐ仕掛けになっていた。更に、雨水が落ちても大丈夫なように、天窓の真下には噴水があるという徹底した仕掛けである。過去に、この技巧を知った時、プライドが高くいつも気が強いサンドラでさえすごい……と唸るしかなかった。
しかし、そんな芸術が腐った人間の享楽で生まれたとは信じたくない。いや、認めたくないと強くサンドラは思った。
「待ってなさい……!」
それを確かめる為に、金の出入りを調べなければならない。今まで様々な貴族の家に侵入したのも、他の貴族の地位を引きずりおろそうという彼女の利己的な策略の一環である。無論、刺激的な非日常を味わうことは彼女の趣味でもあるのだが。
だが、この建物は危険だ。この町で一番偉い人間の住む家なのだから。無論、警備も厳重だろう。噂では、腕利きの傭兵が警備を兼ねて寝泊まりしているらしい。一段と気を引き締めて、彼女は天窓に触れた。皮肉なことに、美しさを求めすぎたあまりに、この建物は自分のような人間の侵入を許してしまうのだ。サンドラは緊張しながら、天窓から用意してあった紐を垂らした。強靭で、透明に近い色をした紐である。これはサンドラが怪盗をする時に使う唯一の道具であった。
(……ふう。 侵入成功)
螺旋階段の上部に着地したサンドラは、建物の陰に潜みながらゆっくりと書斎へと向かった。途中、何人か見回りの警備員に遭遇したが、彼女は今までの経験から、難なく視線を逃がれた。見つかるかと思いヒヤヒヤしたが、同時にそれはとてつもなく快感だった。
何とも言えない背徳感に悶えながらも、冷静を保っていた彼女は、脳内に記憶した家の間取りを頼りに、秘密の情報が多く保管されているだろう書斎へと辿り着いた。家の警備の厳重さを過信したのか、サンドラの予想通り、書斎には鍵がかかっていなかった。一応鍵がかかっていた時のために、さっきの特殊な紐を多めに準備をしていたが、杞憂に終わったようだ。
書斎の中に人の気配が無いことを確認して、サンドラはゆっくりと中へ押し入った。
(……狙った通りね♪)
無用心にも、その部屋は金庫のひとつも設置していないうえ、机の上には乱雑に散らばった資料が多かった。サンドラは、両脇に並ぶ棚は無視して、窓際の中心近くにある大きな机から調べることにした。
(資料が散らばっている……? あのオッサンはそんな性格じゃないと思ってたんだけど……)
資料に目を通すうちに、サンドラは驚きの事実に気が付いた。
サンドラがこの家の家主だと思っていたがめつく几帳面な太った中年の男の正体は、まだ子供である本物の家主の影武者だったということ。また、どこから来たのかわからない金の出所は、その少年の出生の秘密が、実は国王の不名誉な過去のもとに生まれた隠し子であったことによるらしい。
机の上に書類が散らばっていた理由も、何の知識も無い少年の、大人に対する精一杯の反抗だとしたらうなずけると、サンドラは思った。
(まさかこんな事実があったなんて…とりあえず証拠を確保……って相手が国じゃあたしにはどうにもできないか……?)
暫く考えた後、何かに使えるかもしれないと、彼女は証拠を盗んでいくことにした。雑に散らばった書類を集めて束ね、たわわと実った胸、のように見える収納スペースに隠した。体型をごまかすことは見つかった時の捜査のかく乱になる。そのつもりで用意した衣装は確実に彼女の役にたっていた。すごく自尊心を傷つけるが。
(あとは脱出するだけね)
先程読んだ資料の中にあったこの建物の情報によると、サンドラにとってここを安全に脱出する方法は、ふたつあるらしい。
ひとつは侵入した時に通った天窓の隙間を使うこと。
ふたつめは、噴水の内部を通ること。どうやら中は有事の際のため人間ひとり外に逃がす仕組みがあるらしい。それは外の川まで繋がっているようで、更にその川は国外まで続いているらしい。
(噴水に突っ込んだ方がリスキーで刺激的だろうけど……入った時の紐がひっかけたままだからなぁ。 さっさと天窓に戻ろうかしら)
書斎を出ようとしたところ、サンドラはかすかな足音が近づいて来るのを感じた。
(……やばい、見つかる……!?)
彼女が身構えたとたんに、書斎のドアを貫通して矢が真っ直ぐ飛んできた。
「……ッ!」
「ほぉ~う、避けたか、避けたか」
破壊されたドアの奥から、狩人のような格好の男性が弓矢を手にし進んできた。
「まさしく猫の様にしなやかな身のこなし。儂でなければ見逃してしまうわ」
衣装の上からでも分かる程に研ぎ澄まされた肉体とは対照的に、しわがれた声から察するに、相当に年をとっているのだろう。サンドラは紫水晶の瞳で相手を見据えたまま、逃げ出す隙をうかがっていた。
「……どうして私がここにいるって分かったの?」
恐らく生身では対抗できない。何とか、この空間にある物のみでこの場面を切り抜けるしかない。サンドラは時間を稼ぐように、相手に質問した。
「何って、気配じゃよ。娘さん。儂は鼻が利くでのう」
その老人は矢筒から矢を取りだし、弓につがえた。
「お金あげるから、見逃してくれない?」
「それはできん」
狙いを定めた。
「待って、あなたは何者?」
「ほほ、時間稼ぎかの? ただの傭兵じゃ、よっ!!」
「……!」
矢が飛ぶ瞬間。線上に現れる軌跡を瞬時に把握すれば、相手が矢を再装填するまで時間がかかる!
サンドラは軌道を読みながら、一目散に出口に、すなわち敵に突っ込んでいった。
「そうくると思ったわい!」
老人は弓を手放し、隙の無い動きで、振りかぶらずにサンドラの腹を殴った。
「がっはッ!!」
内臓が飛び出んばかりに激痛を訴えた。口から血を吐き、サンドラはドアとは反対側の窓の近くまで吹き飛ばされ、そのまま崩れるように倒れた。
「甘いの。娘さん。わしは肉弾戦が本業じゃ。今はあらゆる武術を極める最中でな。どれ、じっくりと苦しませてから殺してやろう」
「いっ……嫌ッ……!」
穏やかな口調からは想像出来ない、恐ろしい、おぞましい言葉だった。
「わざわざ衛兵を呼ばなかったのも儂が楽しむ為。娘さんの身体、存分に味わわせててもらうぞ……」
「ひっ……」
老人の爪がサンドラの頬を掠めた。そして、流れ出た血を、老人は舐めた。
「んん……どんな獣の肉よりも美味じゃ。恐怖という調味料があれば、いくら喰っても喰い足りぬわ」
「……!」
サンドラが倒れている床にひいてある絨毯。散らばった書類。そして窓際のカーテンが目に入る。
殴られる瞬間、腹筋に力を込めていたサンドラは、老人の一撃のダメージを最小限に留めていた。加えて、ノーモーションで打ったパンチはたとえ筋骨隆々の彼の拳であっても、普通の女の子だったら死んでいるだろうが、彼女はそうはいかない。内臓は痛むが、骨は折れていないようだ。サンドラは、弱い女を演じることで、体力を温存しながら逃走の機会をずっと伺っていたのである。大人数の衛兵を連れてこなかったことから聡明な彼女はそれを察して、彼女はすぐに殺されないことを読んでいた。
「今よ……!!」
「ぬっ……」
サンドラは倒れた状態から曲芸のように宙返りをして、カーテンを思い切り引っ張り、その中へ身を隠した! 更に絨毯や書類、回りにある物を全てひっくり返すように空中に舞わせて、その隙に走って廊下まで逃げた。パワーでは劣っても、知略と逃げ足だけは何者にも負ける気はしなかった。
(──ハァ……うまく撒けたかしら……?)
全力で来た道を戻り、彼女は螺旋階段の所まで来た。後ろを振り返ったが、さっきの老人の気配はない。少しだけ怪我をしたが、大丈夫だろう。あとは天窓に戻るだけだ。
しかし、安心したのも束の間、月明かりが彼女を捉えたと同時に、火球がサンドラの方へ飛んできたのだった。
「キャアッ……!」
傷ついた状態で更に隙を突かれ、サンドラの左肩が焼けているのを感じた。
(逃げ……ないと……!)
何処から攻撃されたのか分からない以上、今サンドラにできることは迅速にこの場を抜け出すことだった。侵入したときの紐を掴み、上へ上へと登っていく。
「あと……少し……」
真上には月が光っていた。
「そうはいかんよ。娘さん」
──突然矢が、糸を切った。
(え……嘘……?)
矢が風を切った音の後に──重力に、身体が従った。
三階から一階までの自由落下。
(そんな……嫌だよ……!)
走馬灯が走った後、ぱしゃんと、彼女は身体が何かに叩きつけられるのを感じた。
月が、雲に隠れた。
水の中に溶け込むように、サンドラの意識は消えていった。
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