妖怪様に魅入られて
雨が視界を遮るほど、土砂降りの日だった。
いつもと変わりない、変わらない今日だったのだ。
だったはずなのに───
ただほんの少しの好奇心で───
それは──突然、僕の前に現れた。
ーーーーーーーーーー
「雨……止まないなぁ」
しつこく降る雨を睨み付け、ため息を吐く。
もう少しでセンター試験の日だ。大学受験を間近にして、僕はこんな山の中を歩いている。イヤホンで大好きな曲をメドレーで流しながら。
センター試験、ということに嫌になったわけじゃない。家出をするような何かがあったわけでもない。単純に、このまま卒業してしまうとなにも残らないような気がしたからだった。
「山を登ることで何が変わるって訳でもないけどね」
周りには誰もいない。雨が降ってるのは癪だけど、この世界には自分だけじゃないかと錯覚できるこの空間は、嫌いじゃない。
「もう暗くなってきたな」
学校帰りに家に帰るよりも先にこの山へ来た。それでもあまり遅い時間な訳じゃない。ちょうど日が沈むぐらいの、夕方くらいだ。木々が生い茂っているからか、余計に暗く感じる。
「~~~♪~~♪~~~~♪」
ふと、鼻歌が聞こえた。いや、笛の音がした。陽気で、まるで嫌なことなんか一つもない。不安なことが欠片もないような、そんな音だった。
「他にも人がいるのか?……でも、良い音色だ」
音はより大きく、明確に聞こえてくる。このまま聞いて、近付いてくる人を見てみよう。こんなに良い音色を響かせているんだ、きっと楽しい人だろう。
そこらの木に体を預けて目を閉じる。木の足元はほとんど濡れていない。座ることに不快感はない。
「~~♪~~~~♪」
段々と距離がなくなっていく。
一瞬、風が通り抜けた。ヒュルリと。
それが、僕が感じた、この世界の最後の風だった。
「~♪~♪」
「ドン♪ドンドン♪」
「カッ♪カッカカ♪カッカッカカカ♪」
「~♪~♪」
「ポロポロ♪ポロ♪」
愉快な音が聞こえてきた。どうやら一人だけじゃなく、大勢が居るみたいだ。もしかしたら音楽隊か何かなのかもしれない。
────こんな山奥で?
いやおかしい。なんで笛の音が聞こえるんだ?
僕はまだ、イヤホンをつけたままなのに?
体に鳥肌が立つ。イヤホンから聞こえる曲にノイズが走りだし、更に明確に笛の音が聴こえてきた。
「……に、逃げなきゃ───」
来た道を帰ろうと振り向いた瞬間に目に映り込んできたのは、正気を疑う光景だった。
「ヒッ……」
数えきられない人の群れが躍りながら、唄いながら歩いてきたのだ。
いや、人だったらどんなに良かったんだろうか。先頭に見える人は、人ではない。
でっぷりと膨らんだお腹を片手で叩き、もう一方の手には金棒を持っている。どこかで見たような雷を模したパンツを履き頭からは角が生えている。
その姿はどこからどう見ても『鬼』だった。
「あ……ぁぁああ……ぁ?」
そんな怪物のようなモノが近付いてこようとしている。今すぐここから逃げたいと叫ぶ心臓がうるさい。この音でバレてしまうんじゃないかと思えるほど。
体を預けていた木にしがみつき、ただただ見つからないことを願いながら目を瞑っていた。
「~♪~♪」
「ドンドン♪カッ♪」
「唖~♪唖~♪唖ァ~♪」
「愉快だなぁ~♪痛快だなぁ~♪」
「魅せられましょ♪一緒に♪」
「ぐわははははっ!!」
魑魅魍魎。そんな四字熟語が浮かんだ。いつから僕はこんな所に迷い混んでしまったのか。いや、誘われたのかもしれない。
木の後ろから道を見てみる。さっきの鬼が丁度歩いていた。その後ろもたくさんの人ではないナニカが歩いている。
顔がないモノ。首が長いモノ。足が異常なほどに大きいモノ。一つしか目がないモノ。ただ黒いモノ。酒をかっくらう巨体のモノ。
目に映るそれらは愉快に笑い、唄い、まるでマーチの行進のようだった。
『百鬼夜行』
という言葉を聞いたことがある。昔死んだ祖父が話してくれた。
今日は12月の26日。お爺ちゃんは物知りで、特に妖怪に関してたくさんのことを教えてくれた。
『1月から12月の間で家を出てはいけない日というものがある。お前はこれを覚えておくんだ。難しいかもしれんが《子子午午巳巳戌戌未未辰辰》と言ってな。その日に家を出ると百鬼夜行に会ってしまうんだ』
と、いうように。日にちの数えかたに、干支を用いた数えかたがある。子牛寅~というように。
そして1、2月は子、3、4月は牛、5、6月は巳、7、8月は戌…………と、1月と2月なら子の日、11月と12月には辰日に出掛けてはならないと教わったのだ。
子供の頃の僕はよく分からず、とりあえず頷いていた。けど、信じてなんかいなかった。
もう一度言うけれど、今日は12月の26日。数えると、辰日に当たる。12月の辰日は『厄日』なのだ。
「~♪~♪」
と、そんなことを考えているといつの間にか百鬼夜行はどこかへ行ってしまった。笛の音も遠く、耳から遠ざかっていく。
「助かった…………お爺ちゃんが言ってたことは本当だったんだね」
僕は息を吐き出しておじいちゃんに謝る。道に出るともう妖怪たちは見えなくなっていた。笛の音を太鼓の音はまだ聞こえるが、雨も晴れて晴天だ。太陽が照らしてくれている。
「良い天気だなぁ」
どこか、清々しい気分だった。良いものを見れた、と思った。今日は興奮で眠れないだろう。あれだけ賑やかだったからなのか不思議と怖いという感情浮かんでこない。
むしろ、お爺ちゃんが言っていたことは本当だったんだと嬉しい気持ちで一杯だ。
「そろそろ、帰ろう」
帰ろうと足を上げる。
しかしその足が地面につくことはない。
なんで、太陽があるんだ?
僕は夕方に、日が沈む直前にここに来たんだ。太陽が見えるはずがない。
「────人間、何故ここにいる」
空亡という名前が頭に浮かんだ。
新連載!ブクマ評価、待ってますわ!