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熊と芍薬  作者: えあきる
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熊と芍薬

 窓から差し込む木漏れ日が、今日は事務作業する日じゃない、外で身体を動かす日だ、と告げている。

 それに従えたらどんなに幸せか。

 羽根ペンを右手に、カリカリカリカリと文字を書き続けて早二時間。

 途方もない量だった書類の束も、ようやく五分の一にまで減らした。ここまで溜めていたのは紛れもなく自分だが、決してサボっていたわけではない。

 俺の名前はルーク・ヴァイス。

 恐れ多くも、アグニール王国の時期国王である王太子殿下の側近を務めさせていただいている。

 来年結婚予定の殿下は、その妻となる女性メリルさまと共に、国中を挨拶周りする真っ最中。

 そこには勿論側近である俺も同行している。そして、メリルさまの側近である彼女も同行している。

 現在は、急遽陛下より呼び出された殿下と共に王都へ帰還している。

 陛下の呼び出し、と言うよりも隣国の王太子殿下の呼び出しだ。

 殿下と隣国の王太子殿下との内密会談が終わるまでは隣室で待機。

 早馬で駆け付けたため、殿下には悪いが少し休憩しようと思っていたのだが「書類が溜まっています。せめて急ぎのものだけでも片してください」と部下に有無を言わさず渡されてしまい、渋々手を動かしているのだ。

 それにしても、殿下たちの会談、長くないか?

 二時間と先ほど言ったが、それは殿下たちも二時間ぶっ通しで会談している、ということになる。

 何を話しているんだ、殿下は。

 殿下と隣国の王太子殿下は、非常に仲が良い。

 考え方が似ているせいだろうか。

 友人というよりは悪友だ。

 会うたび会うたびに、何やら密談をしている。

 犯罪のようなものではなく、飽くまでいたずらレベルだが、その緻密な計画に俺も含めた臣下たちは毎回驚かされ、肝を冷やされたりもする。

 一番は、何だったかな。

 陛下の御聖誕祭でやらかしたアレだな。

 アレはどうかと思う。

 陛下は腰を抜かすほど驚かれ、しかしその割に笑って許されていたが、王妃さまからはブリザードよろしくの静かで冷ややかな説教を受けていたな。

 悪くはなかったが、悪い。

 こっちのことも考えてくれと言いたいところだが、終わり良ければすべて良しが信条の方だ。

 その為に途轍もなく努力されていることも知っているし、確かに終わってみると何やら面白かったと胸がスッとするのは確かで、故に無闇に辞めろとは言えない。

 今回の内容は、恐らく殿下の結婚式の相談だろう。

 そればかりで呼び出されてはこちらも堪らなくなるが、あちらも王太子殿下だ。

 お互い容易に時間も取れないのだから仕方がない。

 こちらもちょうどキリの良い所まで巡れたところだったので、早馬に乗る羽目にはなったがタイミングは良かった。

 ……まさか申し合わせていたわけじゃない、よな?

 それに、あちらの殿下もこちらの殿下の結婚式後すぐに結婚式がある。

 あちらの殿下の婚約者にはお会いしたことはないが、お美しく聡明な方だと聞く。

 殿下の婚約者であるメリルさまも、それはそれはお美しく聡明な方だ。

 俺のような臣下にもお優しく、民のこともきちんと考えてられていて、国を良くしようと殿下と日夜励まれておられる。

 いやはや、お二人共、素晴らしい伴侶を得られて羨ましい限りです。

 生憎、俺は婚約者どころか恋人も居ない。

 片思いの相手なら居る。

 殿下の婚約者であるメリルさま、ではなくその側近である女騎士ノエル・リッター。

 リッター伯爵の愛娘だ。

 リッター伯爵と俺の父は、友人だ。

 俺の父は、伯爵の位をいただいているヴァイス家の当主。

 そんな父には、俺を含めて三人の男子がいる。俺は三男。

 長兄はヴァイス家の後継者として近々爵位を受け継ぎ、次兄は俺と同じく城で働いているが、あちらは文官として働いている。

 どちらも婚約者が居て、長兄は爵位を受け継ぐと同時に結婚、次兄はその少し後に婿養子として結婚するらしい。

 はっ、待てよ。

 殿下も結婚、長兄も結婚、次兄も結婚?

 なんてことだ。知りたくない事実に今気づいた。

 辛い。辛すぎる。

 俺もノエルと結婚したい。

 彼女には兄がいて、既に結婚しているが、まだ暫くは父親が現役で働くらしい。

 彼女の父親はどちらかというと武力派で、領地にいる自警団も自ら指導し、領民を守り領民と共に領地を良くしようと先導を切って動かれている。

 そんな父親に、彼女は憧れたのかもしれない。

 見目も良く真面目で誠実な彼女を是非嫁に、と申し込む家は多くあった。

 にも関わらず、彼女は早々に嫁ぐよりもまずは民のために働きたい、と言って敢えて騎士団に入団したのだという。

 なぜ知ってるかって? ストーカー?

 否。否!

 断じて違う……筈だ。

 俺自身も、彼女へ婚約を申し込んだ内の一人だった。

 俺がまだまだ幼かった頃、母上に連れられて行った茶会で顔を合わせ、その時に一目惚れしたのだ。

 天使か妖精か。

 そんな勘違いをしてしまうほど、彼女の可愛らしさは人並み外れていた。

 朝日に照らされた雲を彷彿させるふんわりとした金の髪。

 磨かれた宝石のような碧い瞳。

 柔らかなそうな頬は薄紅色に染め上げ、舐めたら甘そうだとつい想像してしまう。

 そんな愛らしさとは裏腹にキュッと紡がれたぷっくりとした唇は、彼女を歳よりも大人らしく見せた。

「初めまして、ノエル・リッターと申ちましゅ」

 まだ舌足らずで表情も強張った様子だったが、そのカーテシーは立派な淑女然としていた。

 俺も、その時見栄を張り、大人がやるように彼女の柔らかくて温かな手を取って、その白い甲に唇をチュっと付けた。

 後で兄たちに茶化されたが、その後見た彼女の真っ赤な顔は、今でも忘れられない。

 非常に可愛かった、とだけ伝えておく。

 あの後、俺の真似をしようとして彼女に逃げられていた子息が何人か居て、心の中でほくそ笑んでいたのは言うまでもない。

 そんな事もあり、俺は親に何度か彼女の婚約者になりたいと駄々を捏ね続けた。

 しかし、彼女は俺どころか誰の婚約も受け付けなかった。

 誰か心に決めた人がいるのではないか、と彼女を思い出してはよく溜息を吐いたものだ。

 今も変わっていないのが悲しいところだが。

 そして、彼女が将来騎士になるとの噂を聞きつけ、俺もまた騎士になることを目指した。

 継ぐものは何もなく、自分の力でどうにかしなければいけなかった上、俺は剣技が得意だった。

 騎士になるには剣だけ扱えても意味がない、と勉強嫌いな俺を見兼ねて、親には何度も辞めるようにと言われたが、俺は頑なに拒み、その日から人が違うと言われるほど勉学に励んだ。

 全てはノエルと共に騎士になるために。

 しかし、ただ騎士になるだけでは足りない。

 彼女は父親に憧れているのだ。

 彼女の父親に負けないほど、人のために国のために、皆を引っ張っていけるような人材にならなければならないのだ。

 ただの騎士では彼女は見向きもしないだろう。

 だから、目指すは騎士の最高位である騎士団長。

 しかし、騎士団長になるには、騎士団に最低二〇年以上勤続している必要がある。

 なので、騎士団長は最終到達地点だ。

 それまでの間に経験を積み、知識を得て、人脈を作り、部下に慕われ民に信頼されるような騎士になることを目標にした。

 目標は、高ければ高いほど良い。

 高過ぎる目標だったと気づいたのは、それから数年騎士として働いた後だったが、下方修正する気はなかった。

 全てはノエルに振り向いてもらうため。

 血を吐こうが、叩きつけられて土を食おうが、殴られようが、激を飛ばされようが、同期が辞めようが、あまりの辛さに泣きそうになろうが、俺は耐えに耐えて耐え抜いた。

 そした現在は、皆が憧れる王太子殿下専属の騎士よりも名誉ある、殿下の側近となった。

 それから数年後、殿下の婚約者であるメリルさまの側近にノエルが着任した際には運命を感じた。

 あれから十年経ったのか。

 久しぶりに見た彼女は、女神の如く美しかった。

 ふんわりとしていた髪は艷やかな金色こんじきの波を打ち、大きな碧い瞳は何処までも広がる海のように深く美しい輝きを放った。

 ぷっくりとした唇は、相変わらずキュッと紡がれており、彼女の誠実さを表しているようだ。

 幼い頃よりシャープになった顔に整然と並んだそれらは、まさに神が創り賜った芸術と呼ぶに相応しい。

 メリルさまの隣に佇むと、まるで大輪が花開いたような絵面だと言われた。

 メリルさまは白百合のように潔白で純真な美しさがある。

 対するノエルのその立ち姿は、凛とした芍薬のように華々しい。

 騎士故に、決して華美な格好をしているわけではないのだが、装飾品で飾らずとも彼女の美しさはその身の内から隠すことのできないものだ。そう、まさに奇跡なのだ。

 メリルさまも勿論美しいが、俺の目にはメリルさまよりもノエルの方が美しく見える。

 しかし、何よりも驚いたのはその魅惑的すぎる身体だ。

 騎士団の制服は、開襟の黒いジャケットに白いシャツ。男はネクタイ、女はリボンタイ。足元は男は黒のスラックス、女は膝下の黒いタイトスカートだ。

 戦場では、流石にほぼ男女変わらぬ装いになるのだが、制服だけは男女を分けている。

 それは、本来女性は男性のような格好をすべきでない、だとかいう堅苦しい頭の、もとい下心のある野獣共がうるさく言うためだ。

 女性騎士も増加しつつある中、その考えは確かに女性騎士たちを苦しめていた。

 そんな考えを「俺たちと同じように彼女たちも騎士なんだ! 性別など関係ない!」と俺は声高に批判している。

 殿下にも、再三に渡って進言している。

 全てはあの魅惑ボディの持ち主ノエルの肌を少しでも露出させないため。

 何より素晴らしいのは、あの胸だ。

 ジャケットのボタンがはち切れんばかりに張り上がった胸。

 ヤバすぎる。

 普段会話する時、如何に胸に視線を向けないようにするかを必死に考えているなど、彼女は知る由もないだろう。

 彼女のツンと上向きのヒップも、コルセット無しにも関わらずキュッと引き締まったウエストも、タイトスカートから窺えるスラリとした脚も、何もかもが耽美だ。

 俺は彼女の姿を、あまり見ないように努めている。

 それは、彼女がその女性らしい身体つきを、コンプレックスに感じているためだった。

 何よりの証拠に、彼女は余程でない限りは、室内でも制服の上から赤い裏地の黒いマントを羽織っているのだ。

 全身を覆うマントにより、彼女はより一層厳格な雰囲気を醸し出したが、俺としてはマントに感謝だ。

 マントという存在がこの世にあってくれて本当に良かった、と神に賛美を贈らずにはいられない。

 否、寧ろ毎朝、彼女をこの世に産み出してくれて感謝します。今日も彼女を野獣からお守りください、と祈りを捧げている。

 祈りが通じているのか、彼女は未だに男気なく、粛々と騎士としての道を歩んでいる。

 彼女の近くには、確かに俺もいるはずだ。

 出来れば、生涯を彼女と共に歩みたい。

 そう思い続けて早二十年は経過したのだが、俺は自信がなかった。

 能力は十二分に鍛え上げている。

 民への信頼も厚く、殿下からも信頼できる腹心としてお傍に仕えさせていただいている。

 部下である騎士たちも、俺のことを慕ってくれている。

 彼女への信頼も勝ち得ていることだろう。

 しかし、俺は自分の見た目には全く自信がなかった。

 外で必死に鍛錬をし続けた結果、日焼けした肌は浅黒く、傷ばかり残した肌は彼女の美しさに影を落とすだろう。

 手も節くれ立っていて、こんな無骨な手では彼女をエスコートするのも憚られる。

 鍛え上げた身体は俺の自慢だが、女性からすると畏怖の対象になるらしい。

 怖がらせないように、努めて朗らかな笑顔でいるが、少なくともどこぞのご令嬢と二人きりにはなれない。あちらが嫌がるだろう。

 俺の二人の兄は、どちらかというと優しく女好きされる顔をしている。昔は俺もそこに並んでいた筈なのだが……。対して、今の俺は熊のようだと揶揄される。

 確かに俺は、彼女が信頼できる人材に近づけただろう。

 しかし、それ故に彼女と不釣り合いになるとは思いもよらない話だった。

 溜息を吐く。

 どうしようもない。

 これが呪いならば救いもあっただろう。呪いは解けば良いのだから。

 残念ながら呪いでも何でもなく、ただただ努力した結果、熊になったのだ。

 もしかしたら、神に願った故の代償なのかもしれない。

 それならば、甘んじて受けよう。彼女が守られ、彼女が幸せならば、俺はそれで満足すべきなのだ。彼女の信頼を勝ち得ただけで、俺は……。

「ルークさま」

 コンコン、と控え目なノック後、凛と可憐な声が囁いた。

「ノエル、か?」

 俺は自分の耳を疑った。

 彼女はメリルさまと共に居るはずだ。あの場所からは馬車の足でも三日はかかる。

 俺と殿下が早馬で一日かけて来て、今日で二日。着くならば明日だ。

 混乱する頭を宥めつつ、俺は「どうぞ」と入室の許可を告げた。

 がチャリと開かれた扉の先には、見間違う筈のない、ノエルの姿があった。

 凛とした声で「失礼します」と扉を閉めた後、右手を挙げて敬礼をする。

「ノエル・リッター、ただいま戻りました」

「お疲れさま、ノエル。メリルさまはどうした? 馬車で帰ってきたにしても速すぎると思うが?」

「それが……、お二人が早馬で去られた後にどうしても早く帰還したいと申されましたので、僭越ながら私がメリルさまをお支えして早馬で戻って来た次第です……」

 気落ちした表情で、ノエルは答える。

 殿下にゆっくり安全に帰還するように言われたにも関わらず、メリルさまの我が儘を押し通されてしまったことに落ち込んでいるようだ。

「なるほどね、メリルさまも殿下と長いから」

 苦笑気味に呟くと、ノエルは細い首を傾げて「どういうことですか?」と訊ねた。

 めちゃくちゃ可愛い。

「殿下は、今隣国の王太子殿下と密談中なんだ。恐らくお互いの結婚式で何やろうかと企ててるんだろうね。メリルさまは慌ててそれをお収めに戻られた、と」

「……なるほど」

 俺の説明に安堵したノエルは、口元を押えてクスクスと小さく笑った。

 殿下のいたずらをメリルさまが窘める様子は、城内では日常茶飯事だからだ。

「早馬で帰って疲れただろう。今日はもう休みなさい」

 熊のようだと言われる顔を、努めてにこやかに笑んで言うが、ノエルは「いえ」と拒んだ。

「ルークさまが働いておられるのに、私が休むなど申し訳立ちません。手伝わせてください」

 何て優しい……。やはり女神か。

「いや、もうあと数枚だからな。すぐ終わるよ」

「そうですか……。では、お茶をお淹れしましょう。少しでもお休みください」

「ありがとう、ノエルの淹れたお茶はおいしいから、とても休まると思うよ」

 俺の言葉に、ノエルは頬を染め、口元をほんの少し緩めて見せた。

 はにかみノエル、いただきましたー!

 その姿を脳にしっかり焼き付ける。

 と、あと何枚だ?

 湯が湧くまでおよそ十分。そこから食器を用意し茶葉を蒸らすなどするのに五分。

 十分で終わらせるぞ、この五分の一!

 ――そして、それから十分。

 先ほどの二時間は何だったのか。

 傍からそう思われそうなほどの早さで書類を片し終えた。

 俺が終わったことに気づいたノエルがお疲れさまでした、と労いの言葉を掛ける。

 その言葉だけで癒やされる。

 笑顔が苦手な彼女だが、ほんの少し口の端が上がったのを、俺は見逃さなかった。

 ノエルの微笑み! 尊い!!

 雄々しく心で叫びつつ、茶だなに殿下から差し入れられた甘味があることを思い出した。

「殿下からの差し入れで甘味があるのだが、食べるかい?」

「そんな、よろしいのですか?」

 遠慮気味に言いつつ、物欲しげに瞳をキラキラと輝かせた。

 普段のノエルならば想像し難いかもしれないが、彼女も他の女性と同様に甘味が大好きなのだ。

 ノエルたち女性騎士は、城内の騎士団棟の庭で定期的に茶会を開いている。後で彼女たちに報復されるのを知らず、その様子を覗き見する男性騎士は後を立たない。

 報復されてでも覗き見したい気持ちは俺の中にもままあるが、たとえ熊でも紳士を目指す俺は、それでもほんの少しチラリと一瞥するだけに留めている。

 的確に俺の視線はノエルを捕らえ、その甘味を一口食べて嬉しそうに蕩けるような笑みを脳に刻み込む。

 そんな表情をするのは、俺が知る中でも甘味を食べる時くらいだ。

 俺も甘味は嫌いではないが、ノエルが幸せな気持ちになれるならばいくらでも譲ろうではないか。

 と、元々この甘味は、ノエルに譲る予定だったのだ。

 だから俺は「構わないよ」とにこやかに伝えた。

「どちらにありますか?」

「茶棚の……、あぁすまない。一番上の棚に置いたんだ。取るよ」

 ノエルの身長は低いわけではなく、女性の平均的な高さなのだが、茶棚の一番上の棚は彼女が背伸びをしても指先が届くのがやっとな高さにある。

 その為、近くに踏み台もあるのだが、万が一彼女が足を踏み外しでもしたら、と思うと俺は気が気ではなかった。

 そんな俺の思いも知らず、優しい彼女は「いえ、踏み台がありますので大丈夫ですよ」と早速踏み台を用意しようとしている。

 俺は席を立ち、数歩先の茶棚へ彼女が踏み台を用意するより先に辿り着き、一番上の棚から目的の甘味の入った箱を取り出した。

「この部屋には私もいるのだから、遠慮しないで頼んでくれ」

 ノエルに甘味の箱を差し出すが、ノエルは何故だが落ち込んだ様子でそれを受け取った。

 何をした、俺!!!

 心の中の自分が自分にスリーパーホールドを仕掛ける。

 あぁ、ノエル! そんな悲しげな表情をして、何を悲しんでいるんだい?

 俺の何が悪かったのか、引っ叩いてくれて構わないから教えてくれ!!

「……ルークさまが羨ましい」

「へ?」

 しまった!

 混乱していた所為で、ついだらし無い声が漏れてしまった。

 しかし、そんなことを気にするでもなく、ノエルはその小さな口から溜息を吐いた。

「あっ、申し訳ございません! このような事、言うつもりではなかったのです。忘れてください!」

 慌てた様子で、お茶をティカップへと淹れるノエル。

 これはチャンス!!

 彼女は何か悩みを抱いている様子。愚痴だけでも聞いてあげれば、好感度アップするのでは?!

「何か、悩み事でもあるのかい?」

 極力優しい声色で、そう訊ねる。

「いえ、大丈夫ですわ……」

 クロエはお茶を俺の元へ差し出し、箱から出した甘味――クッキーを皿の上に乗せ、席についた。

 先ほどよりも、眉間にシワを寄せている。

 つい溢した自身の愚痴を後悔しているのだろう。

「私で良ければ、愚痴くらい聞くよ?」

 そんな悲しい顔が見たくて甘味を出したわけじゃないんだ。

 いつもの、垣間見るしか出来なかったあの笑顔が見たいんだよ、俺は!

「いえ、あの……」

「……」

 ノエルの唇が閉ざされた。

 そうだよなぁ。

 俺如きに話すこともないよなぁ。

 愚痴でも聞けたら彼女とお近づきになれると思ったが、まだまだ彼女の心は俺にそこまでの信頼を覚えていないようだ。

 悔しくて悔しくて堪らないが、これ以上無理強いして嫌われる位なら、諦めよう。

「言いたくないなら構わないさ。さぁ、クッキーを食べて元気を出しなさい」

 せめて気が休まるならば、と皿に盛られたクッキーを彼女の方へ近づける。

 俺は「気にしてない。ノエルが何を悲しんでるのか全然気にしてない」というていで、手元のティカップに淹れられたお茶に口をつけた。

「あぁ、やはり君のお茶は美味しい」

 これだけで生きていける気がする。

 そんな思いを滲ませて呟く。

 チラリと気づかれないように視線を向けると、ノエルは俯いたままキュッと唇を紡いでいた。

 何となくそこにある既視感を思い出し、私は口を開いた。

「殿下が君に感謝していると言っていたよ」

「え……」

 俯かせた顔をパッと上げ、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳が大きく見開かれた。

「同じ女性だから気兼ねなく接せるのは勿論、君は他の誰よりも細かなことに気遣ってくれる。剣の腕前も他の女性や下手な男どもよりも優れているし、騎士団随一と言われるその治癒魔法や防護魔法も申し分ない。メリルさまは、あまり王都より外に出たことはなかったからとても不安だったらしいが、ノエルのお陰でとても快適な旅になった、と。後で殿下から直々にお声が掛かると思うよ」

 ゆっくりとした口調で言い聞かせるように、俺はノエルに殿下の言葉を伝えた。

 盛りたい気持ちはあったが、変に盛ると変なことまで言ってしまいそうだったので押し留めた。

 ノエルは、震える唇を開いた。

「ですが、私は女で、ルークさまのような力も、皆を鼓舞させるような勇ましさもありません。ルークさまのように高い身長でもなく、剣技もルークさまには到底敵いません」

 なんと。

 ノエルは俺のよく天井に頭をぶつけてしまうこの無駄に高い身長を羨んでいたのか。

 そんなに良いものではないのだが……。

 俺は頭を振った。

「それを言うなら、私には君のように細かな配慮ができない。攻撃魔法なら使えるが、治癒魔法や防護魔法などは全く駄目だ。魔法は先天的な才能がものを言うからね。どれだけ努力をしても、私に高等魔法は扱えない。けれど、君は違う。本来であれば君ほどの能力があれば宮廷魔術師に名を連ねても良かったろうに、君は騎士の道に進んだ。君の国のために民のために騎士になった思いも、君の類稀なる能力の高さも、君だけの強さだ」

 そう告げると、ノエルは再び俯いてしまった。

 大丈夫か?

 俺、変なこと言ってなかったよな?

 ノエル可愛いとか言ってないよな?

 心を落ち着けようと、再びティカップに口をつける。

 あぁ、美味しい。やはりノエルの淹れるお茶は最高だ。

「これだけ美味しいお茶を淹れられるのも、君だけだ」

「……フフッ」

 俯いたままのノエルがクスクスと笑う。

 俺が惚けた顔をしていると、ノエルはにこやかな笑みを浮かべて「ありがとうございます」と口にした。

 固い蕾が綻んで柔らかな花弁を広げる、芍薬のようなその麗しい笑みに、俺の胸はドキリと強く高鳴った。

 め、め、め、めっっっっっちゃくちゃ可愛い!!!!

 ぃよくやった、俺!!

 おぉ、神よ!

 ノエルの笑顔を授けていただき感謝します!!!

 心の中で自分を胴上げしつつ、ノエルが元気になってくれて良かったなあ、と俺は笑みを浮かべた。

「ルークさまはお優しいですわね」

「そんなことないさ」

 実際にここまでするのはノエル、貴女一人だけです!!

「如何せん、熊のような見た目だから、努めて優しい態度にしようとはしているけどね。つい部下を叱って近所を歩いていた女性がひっくり返った、なんてことも一度や二度ではなく……」

 空笑いをする俺を、ノエルが信じ難いとでも言うような目で訴える。

「そんな、ルークさまはお優しいのに……」

「はは、そう言ってくれる女性は君だけだ」

 それを最後に、あとは挨拶周りの際に気になったことの報告や反省会などをして、二人だけのお茶会は終了した。

「ルークさま」

 部屋から出ようとするノエルが、声を掛ける。

「またお茶のお誘いをしても、構わないでしょうか?」

 ……耳が壊れたかな。

 途轍もなく、自分に都合の良い幻聴が聞こえた。

 こんなにリアルな幻聴が聞こえるようになるとは、我ながら俺のノエル愛も凄まじいな。

「あの、ルークさま?」

「あ、あぁ、すまない、ノエル。……え?」

 待った。

 扉の前で佇むノエルは、何やら恥じらった目で俺を見ている。

 あれ、まさか幻聴じゃない……?

「ご迷惑でしたか?」

 せっかく咲いた花が萎んでしまう!

 そんな思いに囚われ、俺は「いや、是非に!」と声高に告げた。

 俺の大き過ぎる声に驚いたのか、彼女はキョトンとした顔でこちらを見た。

「あ、いや、驚かせてしまってすまない。つい、驚いてしまって……」

「いえ、大丈夫です……。では、来週などどうでしょうか?」

 え?

 社交辞令でもなく、本当に?

 夢かもしれない、とぼんやり惚けて返事もしない俺に、ノエルは「やはり迷惑でしたか?」と呟く。

 俺は慌てて首を横に振り「いや、大丈夫だ!」と告げた。

「では、来週よろしくお願いします。場所はこちらでお取りしますわね」

「あぁ、……では俺は何か甘味を用意しよう」

「まぁ、楽しみにしていますわ」

 頬を紅潮させたノエルは敬礼をし、マントを靡かせながら部屋を後にした。

 彼女の去った部屋には、甘いクッキーの匂いと茫然と夢現に立ち尽くす俺が残された。

 今なら死んでも良い。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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