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ヘヴン

作者: 神乃木 俊

 そのお店は、朝と夜が生まれてくる海岸沿いにあった。


 ウッドデッキには色とりどりのパラソルがいつも咲き誇り、沖から吹いてくる海風が砂を運んだ。ひっそりと佇む海の家だ。


「ねぇ、きみ。なにしているの」


 梅雨晴れのその日、新しいセーラー服にいまいち馴染めていない私は、硬いローファーや靴を脱ぎ捨てて、砂浜の傍らにあったお店の窓から店内をのぞいていた。


 店内には打ちあげられた貝殻や流木が飾られ、カウンターにはサイダーやレモネード、ローマ字のラベルが張られたお酒の瓶が並んでいる。砂浜に立つ看板には『ヘブン』と書かれていた。


「私ですか」


「そう、きみ」


 ウッドデッキの方を見遣ると、私に微笑みかける女性がいた。とても若いかもしれないし、それなりの年を経ているかもしれない、不思議な雰囲気を持った女性。体重をウッドデッキに預けるその人は両手を組んでいて、まるでゼリーのようなやわらかな世界を両手で包み込んでいるみたいだった。


「もしかして、この世界に降りたばかりの天使さん、だったりするのかな。こんなところにきみのような、うら若い女の子が来るなんて」


 うら若いという言葉に、私はつい笑みをこぼした。


「いえ。ただ、海を眺めに」


「そうなんだ」その人は空を見あげる。「梅雨も行ってしまって、良い天気ね」


「ええ」


 私は背中に隠した両手をもじもじしていた。のぞいていたことがばれて恥ずかしいやら、人とうまく話す自信がないやらで、あっぷあっぷだった。


 2ヶ月前に転校してきてからの高校生活、見知らぬ同級生に囲まれた私は、天性の口べたが災いし、当然のごとく学校生活に馴染めずにいた。放課後になるたびにこの砂浜へやってきては、孤独な反省会を開く日々だった。


 私は女性からの視線から逃げるように、砂浜と草木の境目にあるローファーへとそそくさと引き上げる。ポケットに仕舞っていたハンカチで足をはたくけれど、どうしたって細かな粉塵は残ってしまう。


「水道、使っていいよ」


 店のまえの階段横には洗浄用の水道が立て付けられている。海で泳いだり、サーファーをしたりする人のためのものらしい。


「ありがとう、ございます」


「あなた、名前はなんていうの」


 足を交互に透明な流水に浸しながら、私はぼそっとつぶやいた。


「かなで」


「かなでちゃん、か。良い名前ね」


 私はなんと言っていいか分からず、うつむき加減でいた。流水の冷たさに、思わずくしゃみが出た。


「あらあら、風邪を引いたら大変よ。うちに寄っていかない」


「でも。お金ないし」


「いまは準備中でだれもいないから、おばさんがごちそうしてあげる」


「いいんですか」


 この砂浜に立ち寄るたび、このお店のことがずっと気になっていた。クローズの看板がいつも出ていて、もうやっていないのかもしれないと半ば諦めていたところだ。


「もちろんよ。さあ、いらっしゃい」


 このときばかりは持ち前の人見知りも発動せずに好奇心が勝った。胴色のベルがくくりつけられた扉の向こうへ足を踏み入れる。


 眼前に広がる世界は外から見えていた以上に魅力的だった。


 手入れの行き届いた観葉植物。壁に飾られた碇。天井でくるくるまわるプロペラ。それらがまあるい電灯で優しく照らされて、安らぎの空間を演出している。青と白を基調とした海のお店。


 そこには晴れ渡る太陽の雰囲気としっとりとした大人な雰囲気があり、どちらの要素も持たない私は、なんだか尻込みしてしまう。


「そこ、座って」


「は、はい」


 気後れしながらも、言われるがままカウンターまえのスツールに腰かける。女性はやかんに火を掛けながら話をしてくれた。


「私は沙織(さおり)っていうの。よろしくね」


 沙織さんの話によると、どうやらこのカフェは旦那さんと一緒に夫婦で経営しているお店らしい。半年まえまでは夜の営業もしていたという。けれど諸事情により一時的に店を締めていたのだという。


 私は木製のカウンターに手を置いて黙って相づちを打っていた。きっとこんな素敵な沙織さんのことだ、旦那さんもきっとイケメンで優しい人なのだろう。


 つまらない邪推をする私のまえにソーサラーに乗ったカップが運ばれてきた。白い湯気が赤み掛かった透明の液体から立ちのぼっている。ほのかにオレンジの匂いがする。


「アールグレイよ」


「いただきます」


「どうぞ」


 お口全体に広がるあわい甘さが心地良い。


「……美味しい」


 こうやってゆっくり紅茶を飲みながら海のさざ波を聞いていると、なんだか、今日うまく話せなかったことや英語の授業の音読で失敗したことが、遠いできごとのように思えてくる。通り過ぎてしまった嵐のように。


「かなでちゃんは、海が好きなの」


「はい。私、海が好きなんです。とても落ちつく」


「そうなんだ」


「海は日本にいる私たちと水平線の向こうの外国、その二つを繋いでくれています」


 うまく人と喋れない私の胸には、秘かにある憧れを宿している。


 それは英語を使える仕事につくこと。


 私は高校で習う受験勉強としての英語は好きではないけれど、英語が持つ独特な響きを昔から気に入っていた。それがどんな言葉であるかは重要じゃない。意味が分からなくも構わないんだ。


 いや、むしろ、意味が分からないだけに、その響きから意味を推測するのは楽しい。響きから連想する単語のイメージは、その単語が持つ意味とあまりずれていないことが多くて、なんだかとても感動する。それが英語のテストの成績には、あまり貢献してくれないのが歯がゆいところなのだけれど。


 私はそこで我に返る。さっき、私はなんと返事しただろう。またおかしなことを言ってしまったかな。


「ごめんなさい。私、また変なこと」


「ううん。そんなことないわ」


 沙織さんは私のまえで笑っていた。けれどその笑顔は教室で遭遇する嘲笑ではなくて、私のあるがままを受け入れてくれる柔和なものだった。


 私はなんだかとても嬉しかった。それでそのあと、のべつまくなし、喋り続けた。自分がとても口べたなこと、うまく喋れなくて友達の輪に加われないこと、この浜辺には反省会で毎日来ていること。そんな自分だけど、いつかこの海の向こうにある大きな世界で英語を使った仕事を夢見ていること。


 かつての友達にも話したことがないことを、はじめてあった沙織さんに吐露していく。沙織さんは眼を細めて私の話に微笑んでくれた。そうこうしていると、あっというまに太陽は灯台の先にある西の海へと沈もうとしていた。


「もうこんな時間」


 そろそろ帰らないとお母さんに怒られる。私は携帯を握りしめてスツールから飛び降りた。


「ごめんなさい、長居してしまって」


「いいのよ。楽しかったわ」


「ごちそうさまでした」


「気をつけてね」


 沙織さんは店先まで見送ってくれて手を振ってくれた。なんと言っていいか分からないままペンキ塗りの階段を下りた私は、はかない蛍のように胸にともった灯りを言葉に変えた。


「あの。また、来てもいいですか」


 沙織さんの振ってくれていた手が動きを止めた。浜辺に垂れ込め始めた闇はどこからか届いたヘッドライトの光をすぐに掻き消した。私はひどく心細くなる。


「いえ、その。今日お話できたのが、とても嬉しくて」


 返事はすこし時間が掛かった


「ふふ。私もよ。またいらっしゃい。明日でも明々後日でも」


「ほ、ほんとうですか」


「ほんとうよ」


 私はぺこりと頭を下げた。そして嬉しい気持ちを胸一杯にして家に帰った。そのとき沙織さんがどんな表情をしていたのかは、暗くてよく見えなかった。


 ☆


 私はそれから半年間、来る日も来る日もヘブンに通った。


 晴れの日も雨の日も、熱い日も寒い日も、友達が出来て飛びあがった日も、喧嘩して素直になれなかった日も。


 沙織さんはいつも揺れている私にコーヒーカップ以上の安らぎをくれて、居場所を与えてくれた。たまには奏ちゃんが悪いと怒られてしょげることもあったけど、それは子供っぽい私を叱ってくれるお母さんみたいだった。ほんとうのお母さんに不満があるわけではないけれど、沙織さんがほんとうのお母さんだったらいいなぁと思うことも度々あった。


 ヘブンは賑わうことはすくなかったけれど、切れ目なくお客さんがやってきた。シャツから覗く肌を黄金色に焼き、がっちりとした筋肉を身にまとったお姉さんお兄さんから、ふらっと立ち寄ってきたおばさんおじさんなど、年齢を問わず多くの人がやってきた。みんなお店がふたたび再開したことを喜んでいた。


「いやあ、嬉しいよ。またここでゆっくりできるなんて」


「ええ。おかげさまで」


「色々と大変だったね。つらいことも苦しいことも多い世の中だけど、頑張るんだよ」


 私はこのお店のインテリアとして置いてある大きな巻き貝の殻、全体的に白っぽくてぐるぐる模様がきれいな貝殻、があるカウンターの一番隅で宿題のプリントに手を付けていた。頭のなかを走り回っていた思考列車を緊急停車させて会話に聞き入る。けれど会話は中断されてしまい、お盆を持った沙織さんはすぐに戻ってきた。


「奏ちゃん。どうしたの」


「いえ、なんでも」


 私はよっぽど心配そうな顔をしていたのだろう、沙織さんに微笑みかけられてしまい、なんだかもうしわけない気持ちになった。


 ☆


「ねえ、沙織さん。ずっと聞けなかったことを聞いていいかな」


「うん」


 ヘブンに通いはじめて一年が過ぎ、客足が途絶えた平日、私は勇気を出してずっと聞けなかったことを尋ねることにした。それはずっとずっと気になっていたことで、そして昨日、たまたま話をした金髪の外国人のお客さんから衝撃的な事実を聞いてしまったからだ。


「沙織さんの旦那さんって、行方不明なの」


 私はカウンターの奥を見遣ることができなかった。私はずっと不思議だったんだ。マスターである旦那さんが一度もお店にやって来ないことが。


「ええ、そうよ」沙織さんは穏やかな口調だった。


「あなたがここに来るようになった半年前にね、行方不明になってしまってね。台風が近づいて波が高かったのにサーフィンに出かけちゃって、そこから行方が分からないの」


「まだ、旦那さんは見つからないの」


「そう」


 悲しさのあまり、全身の感覚が抜けてしまった。だから私がこの砂浜に来るようになったときはお店を閉めていたんだ。


「探しに行かないの」


「警察が何週間も何ヶ月も探してくれたわ。張り紙もたくさんしてくれた。けれどあの人は帰ってこない。もしかしたら私がいやになって、サーフィンに明け暮れているだけかもしれないけど」


「そんなこと」


 私はムキになっていた。ほとんど泣きかけていた。


 だって沙織さんが毎日店を開くのは、ずっと一人で頑張っているのは、旦那さんが帰ってくるのを心から信じているからだ。旦那さんが帰ってくる場所があるように。


 それが『ヘブン』って名前のカフェだなんて、なんて皮肉だろう。


「私は、沙織さんに幸せでいてほしい。私は『ヘブン』があったから、沙織さんがいたから、学校に行く勇気が湧いて友達も出来て、いまの楽しい毎日があるの。だけど神様は、そんな沙織さんから旦那さんを奪うなんて。ヘブンなんて、天国なんて、この世にないよ」


「かなでちゃん」


 私は沙織さんのかなしそうな表情も無理した笑顔も見たくなくて、お店を飛びだしたんだ。そしたら私は慣れ親しんだはずの『ヘブン』へ行くことは出来なくなってしまった。


 馬鹿だなって思う。


 あんなこと言わずに、単純に沙織さんの手を握って可愛く泣けば良かったんだ。そしたら沙織さんに嫌な想いをさせなかったし、私も大手を振ってヘブンに通えたんだ。


 ☆


 足が遠のくあいだに時間は流れ、一年が過ぎ、二年が過ぎ、私はすこしずつ大人の階段を登っていく。


 季節がめぐるたびに、私は来る日も来る日も『ヘブン』に行こう、沙織さんに謝ろうと考えては、最後の最後の行動に映すことができないのだった。


 一緒に雑誌の話をして買い物にだっていける友達もたくさん出来て、いつしか砂浜での一人反省会も必要なくなっていた。けれど心のなかにはいつだって『ヘブン』の想い出があって、私を応援してくれていたんだ。


 初めて飲んだアールグレイの温かな味わいも、私の横にいつも置いてあったしましま模様の貝殻も、優しく窓から流れるさざめきも、そしていつも包み込んでくれた沙織さんの存在も。


 気弱で臆病な私の高校生活を、ずっとずっと応援してくれていた。


 だけど素直になれない私は、ついに『ヘブン』に二度と行くことなく高校を卒業し、英語の勉強が出来る大学への入学を決めた。進学する大学は内陸地で海がなかった。


 故郷を離れるまで残り数日に差し掛かった私は、最後に海を見たいという気持ちを押さえることができず、意を決して砂浜に降り立った。


 制服を脱ぎ捨てた私の頬を、あの日と変わらない海風が撫でた。その先にひっそりと佇む海の家。看板には月日が流れてより薄くなった『ヘブン』の文字。


 思わず嗚咽が零れた。


 友達も出来た。すこし背も伸びた。けれど私は変わっていなかった。


 ずっと守られてきた。あの日からずっと。


 私はドアをそっと押した。清潔な鈴の音に続いたのは、あの日と変わらない沙織さんの優しい世界を持った声だった


「いらっしゃい」


「た、ただいま」


 私は泣きじゃくる顔を覆って立ち尽くすことしかできなかった。心に湧きあがる感謝を伝えたいのに。こんなに強くなったって、大きなったって伝えたいのに。


 いつだって私の想いは言葉を追い越してしまう。


「また来てくれるって、信じていたわ」


 そうして私は沙織さんに抱きとめられる。頭を撫でられる。


 沙織さんはいつだって、優しい世界で私を包み込んでくれる。


 ☆

 

「さて、大丈夫かな」


 私は留学のしおりを片手に、床に並べた品々を見渡していた。パスポートや航空券、在学証明書をまとめたクリアケースに、筆記用具や付箋だらけの英語の辞書、それから厳選に厳選を重ねた私服と生理用品、それから馬鹿に出来ないタオルやティッシュの数々。


 ひとつずつ漏れがないように指差し確認していく。


「よし、完璧」


 明日からはじまる留学の準備も整い、私はうう〜んと伸びをしながら、留学に至るまでの波乱万丈のキャンパスライフをふりかえる。大学でたくさんの人たちと出会った。ときには恋に落ちたし、かなしいおわかれもした。たくさん友達と笑って泣いて、ときには悔しい想いもした。けれど英語で繋がる世界はちっぽけな私自身を大きく変えてくれて、身も心も一回りも二回りも成長することができた。世界はこんなに広いんだ、知らないことで溢れているんだと驚かされる毎日だ。


 待ちに待った留学ではあるけれど、やはり心細い。けれど。


 私は部屋の片隅に行き、ハンカチが被せられた棚に置かれている宝物に手を掛ける。


 ほどよい重さに光沢があり、ひんやりとしている。表面には凹凸があるものの、さわり心地はすべすべしている。しましま模様は相も変わらず愛らしい。


 それはかつて私が故郷を離れる折り、沙織さんからもらった貝殻だった。私が気に入っているのを知っていたらしい。


 それをずっと大事にしていたわけだけど、ある日貝殻をなつかしく触っていると、カサカサと音がするのに気がついた。最初は穴に虫でも紛れ込んでいるのかと驚いたが、なかから出てきたのは丁寧に折り畳まれた紙だった。


 広げてみると、それは沙織さんからの秘密の手紙だった。そこには私の知らない、沙織さんの想いが記されていた。



 

 あなたと私が出会ったあの日、私はほんとうは、お店を片付けるつもりでした。けれどあの人とウッドデッキで海を眺めたことがふと懐かしくなり、風に吹かれていると、あなたが砂浜に立っている姿を見て、思わず見惚れてしまいました。


 雨あがりに砂浜に降り立った天使。冗談でなく、私はそう思いました。


 そして私はあなたに声を掛け、店内に招いて紅茶を入れました。あなたは眼を細めて、とても美味しそうに飲んでくれましたね。最後のお客さまが天使さまで良かったと嬉しかったものです。


 癒しの時間も過ぎ去り、ついにあなたを送り出そうとしたとき、あなたは言いましたね。「あの、また、来てもいいですか」と。


 ほんとうは断るつもりでした。だってお店は締めるつもりでしたから。けれど私は拒めませんでした。


 私は未だ帰らぬ最愛のあの人と子供を為していませんでした。


 けれどなんとなく、おこがましい話ですが、私に子供がいたのなら奏ちゃんのような子供ではなかったかと、思ってしまいました。


 恥ずかしがり屋さんながらも、瞳はまっすぐできれいな子、なんてね。


 そうして私はあなたと楽しく過ごす日々を送りました。あなたは色々な話を運んでくれました。それは私にとっては新鮮で、ほんとうに楽しかった。


 けれど私は、あの人の不在をあなたに伝えることはしませんでした。その機会はいくらでもあったはずなのに。言い訳が許されるのなら、それはあなたを子供だと侮ったわけではなく、この関係がずっと続いて欲しいと願ったから。けれど結果的に、それが優しいあなたを傷つけたのかもしれませんね。ほんとうにごめんね。


 その日から私は苦悩し、業苦の日々を送り続けました。なにが正しいのか、分かりません。あの人との想い出が詰まったお店は無言のまま私を苦しめます。もうすべてをわすれて楽になり、新しい人生を。そう考えた

ことも一度や二度ではありません。


 けれどそうしなかったのは、あの人への未練が断ち切れなかったこと、そしてもしかしたら、もう一度だけ、天使が舞い戻ってきてくれる日が来るかもしれないと思ったからです。


 あなたと過ごした一年間は、私にとってかけがえなのない時間でした。


 だれかに必要とされる。そう思えるだけで、底の見えない暗闇からもがき、抜けだすことが出来ました。心の傷を癒すことができました。


 それを教えてくれたのは、ほかでもない、楓ちゃん。あなたでした。

 私にとって、あなたという存在は、神様がこの『へヴン』にお使いになった天使そのものでした。


 ありがとう。


 あなたの未来が希望あふれる光で満ちていることを祈りつつ、私はこの『ヘヴン』であの人を待ち続けたいと思います。


 信じればいつか願いが叶えられる。

 それをあなたが教えてくれたんですから

                   “

 



 私は強く唇を噛み締めていた。そうしなければ泣いてしまうから。


 やだ、いつまでも制服を着た子供のままじゃいられないのに。


 けれどいつだって記憶が、手紙が、貝殻が、そして沙織さんとの想い出が、私を守ってくれていた。私はいつだって帰ることができる。懐かしいあの日々に。心安らかな場所に。


 私はそっと貝殻を耳に当てた。

 そこには海のさざめきが聞こえていた。それは遠い海だった。


 『ヘヴン』と呼ばれる、朝と夜が生まれてくる海岸沿いのお店。

 そのウッドデッキに二人の人影が佇み、私がいずれ生活することになる外国に微笑んでくれている。


 そんな美しい景色がさざめきから零れてくるのを、私はたしかに聞いたのだった。

「あなたは一人じゃない」

その言葉を私が物語にしようと考えた末に、このような物語になりました。


ときに生きることは困難で、終わりに手を伸ばしたくなるときもあります。

ですがもし、そんなだれかにとってこの物語が『天国』ではなく『避難所』としての意味を持つのであれば。

「あなたは一人じゃない」

その言葉が絶望に抗う力になると、私は信じています。

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