ソフィア
ファナとタケルが眠り薬で寝ちゃったので、ソフィアさんのお話になります。
私の母親は、国王陛下の愛人だった。
この国は一夫多妻制なので、本来ならば『国王の愛人』などという曖昧な立場は存在しないのだが、私の母親は、陛下の側室になることが決まる前に私を身籠ってしまい、そのまま出産や子育てに追われてしまったことで、正式な結婚式を挙げておらず、また、もともと病弱だったがために、私が5歳の頃に他界した。
母の死後、唯一の肉親となった陛下は、私を全寮制のメイド学校に預け、『養育費』として10年分の学費と生活費を学校に渡したようだ。
このメイド学校は、身分の高い貴族様に仕える者を育てる施設で、私は15歳になるまでの10年間を、ここで過ごした。
私の生い立ちを知っている人の中には、陛下のことを非道だと言う人もいたが、私は、陛下のお考えは『このままソフィアが王家に疎まれたまま育つより、上級貴族のメイドにでもなったほうが、幸せに暮らせるだろう』というものだったと信じている。
15歳になり、卒業を数ヶ月後に控えたある日、私は突如、学園長に呼び出された。
「ソフィアくん、君もそろそろ卒業の時期を迎える頃だ。しかし君は未だ、卒業後に行くあてが決まっていないだろう……。
そこで提案なのだが……ソフィア君、今度の〝勇者様〟に仕えてみる気は無いかね?」
勇者様といえば、4年に一度訪れるという〝闇の龍〟の生贄として捧げられる人のことだ。先日、一人の異世界人が〝闇の龍〟の生贄としてこの世を去ったばかりなので、今度の勇者様も、4年後にはこの世を去ることになる。
そんな4年後に死ぬことが決められている〝勇者様〟のお世話係などという大役、私なんかに務まるのだろうか?
「あのっ、私に出来るか全然自信はありませんが、精一杯がんばらせていただきますわ」
「ソフィアくん、君は優秀な生徒だ。きっと立派にメイドの仕事を務めることが出来ると信じているよ」
「はい、ありがとうございます」
こうして、私の居場所は、学園から勇者邸へと変わったのだった。
勇者邸での私のお役目は、〝勇者様〟のお世話係に決まった。
これは、常に勇者様のお側に控えてお世話をするという、勇者邸のお仕事の中でも最も重要なお役目なのだそうだ。
その内容の中には『勇者様に子作りを求められた場合はそれに従う』というものまで含まれていた。
子作りというのが、具体的にどういうことをするのか良く分かっていないのだけれど、勇者様の指示通りにすれば大丈夫だろうと思っている。
程なくして、新しい勇者様が勇者邸に到着した。勇者様は、とても落ち着いた雰囲気の男性で、背格好が何となく陛下に似ているかなと思った。
私が勇者様に見惚れていると、目が合ったので、慌てて自己紹介をする。
「わ、私は、ソフィアと申しますわ。勇者様のお世話係をさせていただきます。よろしくお願いします」
カーテシーとともに勇者様へ挨拶をしたけれど、勇者様は何も反応をしなかった。
――ひょっとして私、何か気づかない間に粗相をやらかしてしまったのでしょうか?
そう思い、私があたふたとしていると、勇者様の後ろからひょっこりと顔を覗かせた少女が、私に挨拶をしてきた。
「ソフィアさん、わたしはファナ。よろしくね。それで、この子はタケル。
この子は異世界『ヲヘナ』の言葉しか話せないから、あなたの言うことは伝わらないと思うけど、気を悪くしないでね」
自分よりはるかに年上であろう男性を『この子』と呼ぶなんて変な子供だ。
ファナと名乗った少女は、金色の髪をおさげにした、とても可愛らしい10歳の女の子だったが、驚いたことに、勇者様の婚約者なのだそうだ。
なるほど、勇者様には婚約者がいらっしゃったのですね。……しかし、10歳の女の子を娶るなんて、勇者様って見かけによらずお若いのでしょうか?
私はダメもとで、ファナ様に尋ねてみる。
「ファナ様、勇者様のご年齢って御存知ですか?」
「えっとね、32歳って言ってたよ」
「……え? ファナ様はもしかして、勇者様とお話が出来るのですか?」
「うんっ!」
ファナ様は満面の笑みで返してくれる。
「ううっ、羨ましいです。私も、自分のお仕えするご主人様と、お話しができたら良いのですが……」
「う〜ん……。ヲヘナ語は、覚えるの大変だと思うよ。多分、覚えるのに5年くらいかかると思う」
5年……って、お二人とも〝闇の龍〟に食べられた後じゃないですかっ! そんなに掛かってたら、頑張って覚えても意味が無いってことになってしまいます。……って、あれ? ちょっと待って?
「あの……、素朴な疑問なのですが、どうしてファナ様は、タケル様の世界の言葉が話せるのですか?」
私の質問に、ファナ様は私の耳元まで寄ってきて、声をひそめて返した。
「……あのね。ここだけの話なんだけれど……わたし、実は、タケルのママの生まれ変わりなの。それでちょっと前に、前世の記憶を全部思い出したのよ」
――えっ? 何それ? そんなことってありえるの?
私が唖然としていると、ファナ様は「このことは、わたしたちとソフィアさんの三人だけの秘密だからね」と念を押した。
まあ、そんなこと誰かに喋っても、頭がおかしくなったと思われるのがオチだから、言うはずもない。実際、私もファナ様のことを頭のおかし……いや、止そう。メイドの分際で、ご主人様の婚約者を悪くいうのは、それこそ頭がおかしい人がすることだ。
しかし、ファナ様の妙に大人びた言動を見ていると、彼女の言うことを『虚言』や『妄言』と決めつけてしまうのも憚られる。もしかしたら本当にそうなのかもと思わせるだけの説得力があった。
だから、私は彼女の言葉を信じることに決めたのだった。
その後、ファナ様は毎晩、勇者様と一緒にお風呂やベッドに入られるようになった。
彼女は婚約者なので、勇者様と出来るだけ一緒に居たいのだろう。おかげで、私のお仕事のうち大半は彼女が代わりに引き受けることとなり、私は洗濯や炊事、それと勇者様の部屋のお掃除くらいしかすることがなくなってしまった。
それは、ファナ様のお世話係になったジャンという若い執事も同じで、私とジャンは大体同じ時間帯に休憩することが多かった。
だが、彼は普段からファナ様への態度が横柄な上、仕事をサボって何処かに出かけてしまうことが多いようで、執事長さんにいつも怒られていたので、私は休憩中に、彼の怒られている姿を見ることが日課のようになっていた。
勇者様とファナ様が〝勇者邸〟に来てから半年ほど過ぎたある日、ファナ様が私に、自分はジャンと冒険者ギルドへ出かけるので、代わりに勇者様と一緒に冒険者修練場に行って欲しいと頼んできた。
この日、私は初めて勇者様と二人で出かけることになったのだが、今まで半年間ずっと、お二人を見ていたおかげか、勇者様の言葉はわからずとも、そのお考えはなんとなく分かるようになっていた。
私は、勇者様に連れられて、冒険者修練場までやって来る。冒険者修練場の場所を知らない私と、この国の言葉を喋れない勇者様だ。勇者様の案内でやって来るが、〝転送屋〟での手続きは私がした。まあ手続きといっても、転送屋さんが勇者様の顔を覚えていたみたいなので、私は自分の分の代金を払っただけなのだけれど……。
この時、初めて知ったのだが、勇者様は転送屋のサービスを無料で受けられるようだ。転送屋さんが言うには、〝勇者様〟は、国の殆どの機関を無料で利用できるそうだ。
そうして勇者様と私は、冒険者修練場へとやって来た。
ファナ様の話だと、この施設は冒険者ギルドが運営していることになっているが、実質は〝夢魔のお姉さん〟が運営している『フーゾク店』なのだそうだ。
フーゾク店というのが何をするお店なのかは分からないが、話によると〝夢魔のお姉さん〟の魔法で、眠りながら強くなれるそうだ。
「こんにちは〜。勇者様の鍛錬をお願いします」
私が、受付にいた女性に声をかけると、彼女は私と勇者様の顔を見て、にっこりと微笑んだ。
「こんにちは、今日はファナちゃんじゃなくてソフィアちゃんが来たのね?」
――えっ? 私まだ名乗ってないのに、この人はどうして私の名前を知ってるの?
私が小首を傾げていると、彼女は私に真実を告げる。
「ファナちゃんに聞いたと思うけど、アタシがこの施設を運営してる夢魔のお姉さんだよ〜。貴女の見たい夢を見せて、それを現実にしちゃうのがアタシのお仕事ってわけ。
どう? ソフィアちゃんも良い夢見たいと思わない?」
――えぇー? このお姉さん、夢魔だったの? 全然そんな風には見えないけど……。
それにしても夢が現実になるのかぁ〜。それなら――
「おっ、お姉さんっ! それって例えば私が勇者様と会話するなんてことは……」
「出来ると思うよ〜」
「ほっ、本当ですかっ? だったら是非――」
私がお姉さんにそう言うと、お姉さんは勇者様に何かを告げる。
「お姉さんも、勇者様の言葉、分かるんですか?」
「そりゃあ、私も悪魔の一つだからね。全異世界の言葉が話せるよ」
「悪魔……なのですか」
驚いた。夢魔というのは、悪魔だったらしい。つまり勇者様は悪魔と契約を交わして〝闇の龍〟を倒そうとしていたのだ。
「あー、ソフィアちゃん。勘違いしてるみたいだから言っておくけど、アタシたち夢魔は、人間に夢を見せてあげる代わりに精力を少し分けてもらってるだけで、それ以上のことはしないよ。まあ、ここではその夢をちょっとだけ現実に変えてるんだけれど……」
そうだったのか。それならあまり気を張らなくても良いのかもしれない。
「それで、さっき勇者くんに、ソフィアちゃんの修練が終わるまで待ってもらうように頼んだんだけど、『勇者くんと会話をする』のが、貴女の願いで良いのよね。お代として、精力のほかに貴女の理性を少しだけもらうけど、やってみる?」
お姉さんがそんなことを言う。理性を奪われたら一体どうなるのだろう? ちょっと不安だけど、私も勇者様とお話をしてみたい。
「や、やらせて下さいっ!」
「オーケー。じゃあ、この装置に魔力を注いでね。夢の世界へ行ってらっしゃい〜」
なんとも軽いノリのお姉さんに言われるまま、私は装置に魔力を注いだ。
★ ★ ★ ★ ★
私が夢から覚めると、勇者様が私を心配そうに覗き込む。
「勇者様……。私、貴方のことが好きです! 子作りの手伝いをさせて下さい!」
「ファァァ? ちょっと、ソフィア……落ち着いて!」
「ところで勇者様、子作りって何をすれば良いんですの?」
「……って、知らないのかよっ!」
――ってあれ? いま私、勇者様と普通に会話してた。凄いっ!
「凄いです、お姉さん。私、勇者様とお話出来るようになりました!」
「あはは、それは良かったわね。……でも、子作りの仕方知らないって、ソフィアちゃん本当にお嬢様なのね」
そうか、子作りの仕方を知らないことは、恥ずかしいことなのか……。
「……ううっ、ごめんなさい。次に来るまでには覚えておきます」
「そんなこと、覚えなくて良いからっ!」
勇者様が怒声をあげるのだった。
その後、勇者様が修練をはじめたと思った瞬間に倒れたため私が介抱しているところにファナ様がやって来て、私と一悶着あった。
この日、私はファナ様にライバル宣言をして、これからはタケル様のお嫁さんにしてもらうことを目標に生きることになったのだった。
それから3年が過ぎ、ついにタケル様とファナ様が〝闇の龍〟と対峙する日がやって来た。
この頃には、私もタケル様の側室候補になっており、タケル様からファナ様と同等の扱いを受けるようになっていた。
「タケル様、ファナ様、お二人とも無事に帰って来て下さい。私も、ご一緒できれば良いのですが……」
私は、死ぬことを運命付けられている二人に、無謀ともいえる頼みをする。
「ああ、大事なソフィアを一人残して死ねないよ。俺たちは、絶対帰ってくる。約束だ――」
「タケル〜。それ死亡フラグだから言っちゃダメだよ。……えっとね、ソフィアさん。私たち、貴女と一緒に過ごせた4年間、結構楽しかったよ。
絶対に無事に帰って来てみせるから、祝勝会の準備でもして待ってて!」
「ファナ、それも死亡フラグじゃあ……」
「あはは〜、そうだね〜」
タケル様もファナ様も、おちゃらけながらも〝闇の龍〟を倒す気満々のようだ。
「では、お二人の勝利を信じて、ケーキを焼いて待っていますね。なるべく早く帰ってきてください……」
「「だから、それも死亡フラグだってば!」」
こうして私は、タケル様とファナ様を送り出したのでした。