冒険者修練場
わたしとタケルが再会してから半年が経っていたが、タケルは未だにヘウベカ語を話せないでいた。わたしがタケルと離れたくないので、ヘウベカ語を教えていないのが原因なのだが……。
尤も、既にわたしは勇者様の婚約者になっているので、タケルがヘウベカ語を話せてもなんら問題ないのだが、この国の言語体系は日本語と比べると少しだけ複雑なので、タケルにはハードルが高そうだ。
その点、わたしはタケルが召喚されるまで、完全に日本語を忘れていたため、どちらの言語も話すことができる。
簡単に説明すると、ヘウベカ語は、日本語を文節単位で逆さまにして一文字ズレているだけなのだが、中にはひっくり返らない言葉やズレない言葉があったり、ところどころ変換文法が変わったりしているので、一朝一夕で習得できるような代物ではない。
さて、そんなわけで今日も今日とて、わたしはタケルと一緒に郊外にある冒険者修練場に来ていた。
冒険者修練場とは、冒険者ギルドが運営している、『一般市民でも安全にレベルアップができる施設』だ。
本当ならば、わたしとタケルが冒険者ギルドに入って地道にモンスターを狩っていくのが筋なのだが、わたしとタケルは〝闇の龍に捧げる生贄〟なので、危険なことをするのは絶対に許されない。
けれども、わたしたちは〝闇の龍〟を倒さないと未来がないため、国王様に「せめて、悪足掻きだけはしたい」と言ってみたところ、この施設を紹介してもらえたという訳だ。
ここは、夢魔の魔法と幻影魔法を組み合わせたであろう魔法によって、眠っている間にモンスターと戦う施設で、どういう理屈か知らないけれど、モンスターを倒すと、目覚めた時に肉体が強化されているという仕組みになっているようだ。
この施設に初めて訪れた時、タケルが「これは正に『擬似フルダイブ型MMORPG』という感じだな」と言っていたけれど、わたしにはチンプンカンプンだ。
この半年の間に、わたしたちは、結構強くなっていた。
まあ、わたし自身は、10歳の町娘以上の力が発揮できないのだけれど、タケルがものすごく強かった。
タケル曰く、「この世界に来てから、何をするにしても、来る前の10倍くらいのパワーが出てるみたいだ」ということで、多分、こちらに転移した際にパワーアップしていたのだろう。
そして、そんなタケルの頭をわたしが撫でてあげると、タケルの強さは更に10倍くらい上がるということが最近になって分かった。
「タケル、今日はママのおっぱいを飲んで、戦ってみよっか?」
「いや、でもファナはまだ10歳じゃん。おっぱいとか出ないでしょ」
「えーっ? そこは気分だけでも味わってもらえれば……」
わたしはそう言うと、上着を少しだけ捲って、タケルの顔に胸を押し当てる。
「むうーっ、ファナ、やめてってば……」
タケルが少し戸惑った様子で喋る中、わたしは自分のおっぱいをタケルの口がある辺りに押し当てて強く抱きついた。
「ほら、遠慮せずに飲んで良いのよ」
そう言いつつ、わたしがタケルの着けている装置に、魔力を流し込むと、タケルが深い眠りに落ちていった。
タケルが寝静まったのを確認すると、わたしも後を追うように、自分の装置に魔力を注いだ。
夢の中に入ると、タケルの周りに十数体のドラゴンが八つ裂きにされて倒れていた。
「うわぁ〜、なんだか強そうなモンスターだったみたいだけど、倒せちゃったの?」
「ああ、なんだか知らないけど、いつもの1000倍くらい力が出てた気がする」
いつもの1000倍、つまりこの世界に来る前の10万倍ということだ。
「タケル! もしかして、これならいけるんじゃないかな?」
「おう、ちょっと試してみようか」
そう言ってタケルは指先をクルクル回して、オーダーを開始する。オーダーというのは、この夢世界を管理している夢魔に、戦う相手や装備品を注文したり、夢世界からの脱出を依頼することだ。
「オーダー! 〝闇の龍〟 難易度カオスで!」
タケルがそう告げると、世界が暗黒に包まれる。
「ファナ、しっかり掴まってろよ!」
そう言ってタケルはわたしをおんぶする。
「タケル、今日は、抱っこのほうが良い――」わたしはそう言って、タケルの体をうまく伝って、タケルの前に回り込んだ。
「ねっ! このほうが、いつでもパワー補充できるでしょ?」
そう言ってタケルの唇にキスをすると、タケルが更に強くなったのを感じる。
「まったく、しょうがねーなぁ。ファナは……」
口ではそう言っているが、タケルは満面の笑みを浮かべている。本人は気づいていないようだけれど……。
そうしているうちにも、闇はどんどん深まり、やがて、辺り一面完全な真っ暗闇に包まれた。
半年前に、初代勇者様が贄として旅立たれた際にも世界中が真っ暗闇に包まれたのは記憶に新しい。だから、これが闇の龍登場の合図だということはすぐに分かった。
でも、タケルは初めて対峙するのできっと知らないはず。わたしは、触感だけを頼りにタケルの耳元を探り当てて、囁いた。
「タケル、気をつけて! 闇の龍は、もう来ているわ」
「大丈夫、ちゃんと見えてる」
「えっ? タケル、闇の龍が見えるの?」
「ああ、こいつが闇の龍だなんて、笑わせてくれるぜ……っと!」
そう言って、タケルが動いたかなと思うと、あたりの闇が急速に晴れる。
「こんな石ころが、闇の龍……な訳ないよなぁ」
私たちの目の前には、小さな石ころが一つだけ落ちていた。
「あーあ、ばれちゃったか」
そう言って物陰から出て来たのは、修練場を運営している夢魔のお姉さんだった。
「今のは、暗黒物質の結晶。この世界の闇を魔法で凝縮して作った〝永遠の暗闇を見せる魔道具〟――つまり実態のないハリボテのようなものって訳。
アタシたちでも、さすがに〝闇の龍〟なんて再現できる訳ないっての。
でも、修練場の難易度リミットを解除することくらいなら出来るよ。負けたら本当に死んじゃうけど、それいってみる?」
お姉さんは、とんでもない提案をして来た。
わたしたちが死んだら、お姉さん的にはどうなの? 自分が人間じゃないからオッケーなのかな? でも、夢魔って確か、人の夢で精気を吸ってるんだよね。人間が滅んだらまずいんじゃないのかな?
「あー、別にアタシは、勇者くんが死んだ所為で〝闇の龍〟が人類を滅ぼしたとしても気にしないから大丈夫だよ。だって、君らが居たえーっと、日本だっけ?――の方が、美味しい人間が多そうだもん」
こ、このお姉さん、日本のことを知ってる? というか、日本語が通じちゃってる?
「えーっ? 今まで勇者くんがしてたオーダー、全部日本語だったけど、気づいてなかったの?」
「あっ……」
「まあ、アタシら悪魔にとっては、人間の言語なんて全然関係ないんだけどさ。
んで、リミット解除した難易度、やってみる?」
うーん、万一のことがあったら困るし、どうしよ――――
「もちろん、挑戦するぜ」
「えええっ? タケル、挑戦したいのぉぉ?」
「だって、死の運命から逃れるためには、何事もやってみないとって決めたじゃねーか。
大丈夫、何があってもファナだけは絶対に俺が守ってやるから」
「ううう〜。タケルがそこまでいうなら、……良いよ。わたしもタケルのこと、絶対に死なせたりしない」
今のわたし、たぶん物凄く顔がほころんでいると思う。タケルがわたしを守ってくれるって言ってくれた。嬉しすぎて、このまま死んでも良いくらいの気分だ。まあ、タケルのためにも、死ぬわけにはいかないんだけれど……
「どうやら、二人とも覚悟は決まったみたいね。では、リミット解除した難易度デスペアいってみようか。」
お姉さんがそう言って指をパチンと鳴らすと、カメラのネガを見ているような、色が反転した世界になった。
「じゃあ、せいぜい死なないように頑張ってね」
そう言ってお姉さんが消えると、目の前にはゴブリンが一体現れる。
「あれ? ゴブリンなの? コレだったらタケルのパンチくらいで倒せるのに」
「ファナ、気をつけろ。こいつ、普通のゴブリンとは比べ物にならないくらい強いぞ」
目の前のゴブリンが、棍棒を地面に叩きつけると、地面が真っ二つに割れた。
「ひゃあっ!」
わたしは、慌ててタケルの体にしがみつく。
「なんて強さなの? こんなのわたしの知ってるゴブリンじゃない。ひょっとしたらドラゴンより強いんじゃあ……」
「ああ、確かにドラゴンより強いみたいだな。でも、所詮ゴブリンはゴブリンだ」
そう言ってタケルは手にした剣でゴブリンに斬りかかる。それをゴブリンが棍棒で受け止めると、ガキンッという金属がぶつかるような音がして、タケルの持っていた剣が折れてしまった。
タケルは咄嗟にバックステップでゴブリンとの距離をとる。
「マジかよ……。こっちはミスリルソードだったはずなのに、それが真っ二つだなんて、どんだけチートなんだあいつ」
なんだか、タケルがいつになく慌てているようだ。タケルの心臓の鼓動がいつになく激しく聞こえてくる。
「タケル、ちょっと屈んでくれる?」
「ん? どうした?」
わたしは、怪訝な顔をしながら屈んだタケルを抱擁し、優しく頭を撫でてあげる。
「大丈夫だよ、タケル。ママが守ってあげるからね」
「ファナ……」
「タケル、わたしを抱っこしたままだと戦いにくいでしょう。だから……ちょっと恥ずかしいけれど肩車してちょうだい。しっかり掴まってるから」
「ああ、そのほうが戦いやすいかもな」
わたしはタケルの背後に回ると、スカートの裾を捲り上げて、屈んでいるタケルの首にまたがる。
わたしが首に乗ったのを確認したタケルは、そのまま立ち上がった。
「わわっ」
バランスを崩して落ちそうになったので、必死にタケルの額に手を回してしがみついた。
「さてと、武器がないけど、どうしようか」
「でもきっと、〝闇の龍〟と戦う時も武器は期待できないよね」
「そうだなぁ。ということは、これも実戦だと思ってやったほうが良さそうだなっと」
そう言って、タケルはゴブリンに向かって走り出す。
ゴブリンが慌てて棍棒を振りかぶった隙に、タケルのキックが棍棒を持っているほうの腕に炸裂する。
「グギェアア」という悲鳴とともに、ゴブリンの腕が引きちぎれて、そこから血飛沫が上がった。
タケルは、サッカーボールよろしく、落ちているゴブリンの棍棒を蹴り上げると、器用に右手で掴み取った。
タケルがその棍棒をゴブリンに一振りすると、ゴブリンはあっさり絶命した。
「やっぱ、ただ武器の性能が良かっただけか」
すると、世界の色が元に戻って、夢魔のお姉さんが現れた。
「いやいや、武器も強いけど、ゴブリンもちゃんと強くしてあるからね。具体的には、通常のゴブリンが限界レベル5までだとしたら、さっきのはレベル100って感じかな」
「つまり、最強のゴブリンを20倍強くしたってわけか」
「そだよー。それに〝絶対に壊れない武器〟を持たせてあるって感じかな
それで、今日はもう直ぐ子供の時間が終わっちゃうから、お店を閉めるんだけれど、続きは明日で良いかな?」
「そうだなぁ。このモードでどれだけ強くなってるか知っておきたいし、今日はここまでかな」
「タケルがそういうなら、わたしもいいよ」
「じゃあ、二人とも、お目覚めってことで……。続きはまた明日」
二人が目を覚ますと、夢魔のお姉さんがスタンプカードにハンコを押して渡してくれる。このカードを冒険者ギルドに持っていけば、クエストをこなした扱いにしてくれて報酬が出たりランクが上がったりする仕組みだ。
カードを受け取ると、いつもとは違う金色のスタンプが押されていた。
「これは……?」
「ああ、さっきのゴブリンね、Aランククエスト扱いなの」
「そ、そうなの?」
「この先も、Sランク以上のクエストが待ってるから、頑張ってね〜」
こうして、本日の修練場での特訓は終わった。
「んじゃあ早速、冒険者ギルドに行こっか」
わたしは、タケルの腕にしがみついてルンルン気分で冒険者ギルドに向かうのだった。