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人魚とチシャ猫  作者: 種有バジル
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進級式


 県立音義高校。ひとつの学年には6つのクラスがある。ひとクラス、40人ほど。だから、学年で240人くらい。全体の生徒数は720人くらい。学区制が無くなったことで、旧学区外の人も通えるようになった。らしい。もちろん、これだけいれば関わりのない人間の名前は顔なんかは覚えられるわけもない。


 私だって、仲のよい友人と関わりのある先生。1年生のときのクラスメイトくらいしか覚えていない。


 今日から新しいクラスになった。


 4月6日。進級式。そしてクラス替え。新しいクラスになったことで、私の所属先が増える。


 新しい教室を見回すと、少しずつグループができていた。金髪に濃い化粧。そして、タバコと酒の臭いが染み込んでいるイケイケなギャルの集団。そして、新しいクラスになったことに猿のように騒ぐサッカー部や軽音楽部らへんのイケイケ男子。それを冷ややかに見つめるヤンキー。パンケーキや雑貨の話をする女子グループ。そして、教室の影で話す、少し暗い人々。私を含め、未だに所属が決まらない人間がチラホラと存在していた。


 そして、パンケーキや雑貨の話をする女子達がチラリチラリとひとりの人間に視線を送っていた。決して私に視線を送っているわけではない。この学年でも特別に有名な男子に視線を送っていた。


 魚谷拓人。水泳部。全く私には関わりはなかったけれど、彼について知らない人はいないだろう。


 塩素と日焼けで焦げ茶になっているストレートな髪の毛。切れ長で二重の目。すうっと通った鼻筋。俗に言えば、傍目から見ればイケメン。だと思う。


 しかし、彼が目立つ理由はそれだけではない。


 彼はしゃべらない。彼の声を聞いたことがある人なんて、この学校には存在しない。


 故に、彼は「人魚王子」だなんて呼ばれている。他人とは喋らない。そして、プールの中で泳ぐ姿は、人魚の如く綺麗だという。そこから付いたあだ名が「人魚王子」。ただ、「人魚姫」と明らかに違うのは、他人に対する態度だろう。彼の視線は、氷の如く冷たいのだ。そして、相手を拒絶する。


 そんな彼の冷えきって凍ってしまった視線が、今まさに女子の群れに向けられていた。噂話をしていた女子達は黙り込んで、彼を少し睨んでから席を外した。


 私はその背中を見送る。何も思いはしない。なんとなく見送ってみた。


 次は私に冷たい視線が送られる。人魚王子は私のことを見ていた。睨みはしていない。本当に見ているだけ。私が人魚王子と目を合わせようとすると、勢い良く目を逸らした。私に何かあるのだろうか?


「どうかしたの?」


 私が魚谷拓人に話しかける。魚谷は顔ごと私を避けた。私から見えるのは彼の耳と横顔だ。


「私の顔に何か付いてたの?」


 彼は案の定、返事返さない。そして、私の顔さえ見ようとしない。人魚王子は椅子からスッと立ち上がると。早足で椅子も仕舞わずにどこかへと向かって歩き出してしまった。どれだけ人が苦手なんだろうか。噂に聞くよりも少し重症だ。


 じゃあ、彼が話すときはどんなとき?彼の表情筋が動くのはいつなんだろう?


 そんなどうでもいい質問が頭に浮かんでくる。くだらない質問は泡のようには消えてはくれず、ぷかぷかと脳の奥で揺れている。


 彼が笑うところをこのスマートフォンに写せたら、どれだけ面白いんだろうか?私のくだらないアイデアは止まらない。好奇心という名を借りた興味が私の心を支配する。彼はどこに向かったんだろうか?進級式まで残り7分。このままサボるのだろうか?


 私は好奇心を無理矢理抑え込む。このまま無難に進級式に出よう。進級式をサボったとなれば、このクラスで浮いてしまうだろう。


 そう、自分に言い聞かせて。私は静かに進級式の開始時間が来るのを待った。







 9時45分。体育館内に木霊する雑音を掻き消さんと、進級式の司会である教頭が言葉を放つ。もちろん、お決まりのあの台詞だ。


「静粛に!」


 皆渋々と会話を止める。そう、渋々と。この後に待ち構える校長の長っらしい話を控えているからだ。ここの校長はどれだけ時間が押していようと、どれだけ時間オーバーをしていても、話すことをやめない。自分の話したいことを話し終えないと気が済まないらしい。傍迷惑にも程がある。


 不良の真似事をしている一部の生徒は、この進級式をサボって、運動部の部活棟の日陰でタバコを吸っていることだろう。


 式が始まり、すぐに校長の話が始まる。この特に意味もない校長の日記を聞きに式が行われているのも当然だ。式イコール校長の語り場といっても過言ではない。


「皆さんは春休みをどう過ごしたかな?有意義でしたか?」


 世間話。こっちの春休みのことなんて、本当はどうでもいい。壇上の彼は、自分の話をしたいのだから。


 人魚の彼はとうとう教室には戻ってこず、進級式に姿を現さなかった。どこに行ったのだろう。そして、何をしているのだろう。気になる。


 私の意識は自然とこの場に存在しない魚谷へと向かっていく。校長のくだらない話なんて、私の耳には入ってこない。


 「才川」


 左隣に座る男子生徒が私に話しかけた。私にしか聞こえないくらいの小声だ。それもそうだ。話しているところが見つかれば、先生たちから注意を受ける。名指しではないが、悪目立ちしてしまう。だから、こっそりと小声で話す。周りの人も、同じく。


 魚谷へと向いていた意識を無理矢理現実に引き戻した彼に対して、少しの苛立ちを覚えながら返事を返す。


 彼の名前は、白石雪夫。真っ黒の髪の毛に、透き通る白い肌。涙黒子。そして目はぱっちりと二重だ。女の子のように整った顔は女の子の間でとてつもなく好評だ。でも、彼はいままでに彼女を作ったことがないらしい。理由は明白だ。私にもわかる。


 口が悪いのだ。外面とそぐわない。


「なに?」


「校長の話、長くね?」


 そんなことだろうとわかってるとは思ってはいたものの、実際に言われると苛立ちが募る。


「そんなことで話しかけたの?」


「そうじゃねえよ。……校長の話、かれこれ15分間は続いてる。長すぎて、寝そうになっちったわ」


「……え、長っ」


純粋に驚く。女子生徒でもないのに、何故、そんなにも話が続くのだろう。


「だろ?こりゃ、サボった方が得だったんじゃねー?あー、失敗したわー」


 サボりと聞いて、人魚の顔を思い浮かべる。


「俺も魚谷とサボればよかったなあ。あ、今度は才川もサボるべ?」


「サボらない。校長のヅラがズレるところを見るまでサボらないって決めてるの」


「いみわかんねー」


「ヅラがズレればさ、後光が差すじゃないかなって。そしたら私はすかさずカメラで連写する」


 私は両手の親指と人差し指を使って、長方形を作る。白石は吹き出す。そして、口を手の甲で押さえ始めた。


「才川、超ウケるわー。芸人になれるよ。おすすめ」


「ならないよ」


 白石はまだニヤニヤとしている。白石の中で笑いのツボに入っているようだ。


 「はあ、つまんない冗談でも言ってあげようか?」


「俺、今ならなんでも笑えるから」


 「今度の写真部のポートレート。人魚王子でも撮ろっかなって」


白石のニヤニヤがなくなる。大きな目を更に大きくして私を見ていた。どれだけ驚いているのだか。なんでも笑えると言った割に、笑えてないじゃないか。


 「……ガチ?」


「冗談って言ったよね?第一、話し掛けられて逃げるような人に被写体が勤まるわけないし。次は人物を入れないようにするの。次は、花か動物を撮るって決めてる」


「へえ。やっぱ、全国狙うんだ?」


「まあね。どうせなら、1位を目指すよ」


 私は校長の頭に目線を移す。不自然な黒の頭髪が、カツラであることを更に誇張している。白石は笑うのを止めて私の横顔を見ていた。


 「去年の雪辱を、今年には晴らすよ」


「期待してる」


 白石も校長の頭に目線を移した。校長は誰も自分の話を聞いてくれてはいない、ということに気付かずにまだまだ話続ける。今の話題は、先日富士山に登ったこと。そして、8合目で体力の限界を迎えたこと。それでも登頂したこと。そんな話をしている。


「白石がそんなこと言うなんてねえ。ま、期待しないで」


 校長はようやく周りの状況に気付いたのか、少し悲しそうな顔をした。私たちが気付かない間に、草が靡くような、サワサワという騒音が体育館を包み込んでいたのだ。私たちも発生源なのは違いないわけだけれど。


 「以上で話を終わります。一年間、学業に励むように」


それで全ての話をまとめた。校長はスタスタと舞台から降りる。代わりに教頭が上って、会を締めくくった。


 進級式は約30分。そのうち、20分は校長の話だった。長い。本当に。


 放送の指示に合わせてたくさんの生徒がのそのそと動き始める。まるでアリの行列のようなそれの中で、私は流されるままに出口へと向かった。途中で白石とはぐれ、たったひとりで知らない人間の流れに流される。


 その流れから離れようと少しずつ横切っていく。出口が見当たらない。不安にはならないが、段々とやるせなくなる。


 人と人の間を潜り抜け、なんとか人通りの少ない場所に出た。本来降りるべき階段の反対側には、体育教官室がある。そこを抜けると、運動部のユニフォームが干されているベランダのような細長い空間がある。ここには、滅多に人が立ち入らない。わずかにこの高校に生息している不良さえもいない。


 人が少なくなるまでいようと思った矢先、先客がいた。少し険しい表情でスヤスヤと眠っていた。


 「魚谷くん……?」


 人魚は驚いた顔をして飛び起きる。バレた、と言わんばかりのいい表情。


「もう進級式が終わったよ」


 このベランダの出入り口は1つ。つまり、私が入ってきた場所のみ。魚谷は完全に逃げ道をなくしている。


「別に、魚谷くんを探しに来た訳じゃないよ。人混みを避けてきたらここに来ちゃったってだけ。人が少なくなったら出ていくよ」


 私は魚谷とは距離を置いて座った。魚谷は少し安心したかのように、空を眺め始める。表情が柔らかくなった。


 魚谷は人を避けている。理由はわからないが、ここまでの避けっぷりは過去に何かがあった、と考えて間違いないだろう。声を出さないあたり、声に関するコンプレックスがあるとも考えられる。


 「今日は天気がいいね。雲ひとつない。快晴」


魚谷がゆっくりとこちらに顔を向ける。きっと、顔を合わせれば魚谷にとって、ストレスになるだろう。


「こんだけ天気がいいとなると、洗濯物がよく乾きそうだよね」


返事は聞こえないし、魚谷のことは見えないが、魚谷の意識がこちらに向いていることは感じ取れる。


 さっきから聞こえてくる足音が段々と少なくなってきている。段々とゼロに近付く。


「さ、私はそろそろ行くよ」


私が立ち上がると、魚谷も立ち上がった。魚谷も教室に帰るつもりだろう。私が動くより先に、魚谷が私の腕を掴んだ。


「何?」


 魚谷の息が荒い。ただ事ではないようだ。少しだけそよ風が吹く。風上にいる魚谷から、すえた臭いが少しだけした。日焼けしているからわかりづらかったが、少しだけ顔が青い。


「……まだ大丈夫?」


魚谷が首を横に振る。……そろそろ限界のようだ。


 ここから保健室までは少しだけ距離がある。もしさっきから気持ち悪かったとしたら、何故その時に保健室に行かなかったのか。と、聞きたいものだけれど、今はその場合じゃない。


 私は辺りを見回す。何もないことがわかると、自分の制服のポケットを探した。何もないことはわかっている。


 ビチャッという水音がした。魚谷が涙を流しながら嘔吐している。私は魚谷の横に並んで背中を擦った。約30秒間、魚谷は吐き続けた。吐瀉物の刺激臭が鼻を刺激する。釣られて、自分まで吐きそうになる。意味もなく、胃の中の物体が競り上がってくる感じがしてくる。


「やっば……。私もつられそ……」


 口の中が酸っぱくなってきた。あ、これはヤバイ。そう思った瞬間、ドロリとした液体は口の中、奥底から溢れだしていた。


「おえっ……!」


ゴボゴボと出てくる出てくる。すっかり吐き終えてスッキリした魚谷がぎこちなく私の背中を擦る。喉が痛いし、口の中は強烈に酸っぱい。もらいゲロ。約15秒間程吐いて、私は落ち着いた。口の中が酸っぱい。顎も痛い。


「はは、つられちゃった」


魚谷が申し訳なさそうに私を見ている。そして、どこか怯えていた。目に光がない。


「あーあ、吐いたらスッキリした!とりあえず、保健室だ」


 ガチャっと鉄の扉が開く音がして、中年の体育教師が飛び出てくる。加齢臭に汗臭さが混じった臭い。


「大丈夫か!?」


「私は大丈夫です。彼を保健室に連れていくので、吐瀉物の処理をお願いします」


中年の体育教師に嘔吐物、つまりはゲロの処理を押し付ける。体育教師の中田は困った顔で了承した。


 私は魚谷の腕を自分の肩に回す。そして、私たちは保健室に向かって歩き出した。

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