東京オリンピックの夢
英樹と初めて朝を迎えた慶子に、
「話がある」
と言った英樹。
英樹は、慶子のほうを見た。
陽は少しずつ高くなっていく。台所の小窓から爽やかな風が慶子の頬を撫でる。
「慶子、東京に一緒に来て欲しい。」
「英さん・・・」
「慶子のお母さんのこと、仕事のこといろいろと考えることはあると思う。
慶子とは、高校のときから5年付き合ってきた。俺は慶子を幸せにしたいと思っている。
だから・・・」
慶子は考えた。看護学校進学の夢を果たせず、介護の仕事に就きたくさんの試練を乗り越えた。1月には介護福祉士の受験も控えている。英樹との生活は憧れだ。しかし、今の自分のままでは高学歴で仕事をバリバリにこなす英樹には・・・
そんな慶子の顔を見て、英樹は
「わかった。」
そう言ったのである。
ここはフラワーフィールドカンパニー。
10月10日はさくらの誕生日で、慶子たちと誕生会をしている。菓子作りが趣味の豊治は手作りのマロンケーキをプレゼントする。慶子のギターとまおの踊りでパーティーは盛り上がる。
サクラは話す。
「52年前の今日、東京でオリンピックがあってね。陸上や砲丸投げ、バレーで選手が活躍したよ。一人息子の正志も大学生でオリンピックを見に行ったよ。正志が小さい頃には、一緒に陸上の選手の真似をしてかけっこしたものだよ。今でも息子がかわいくてしょうがない。」
サクラ目にキラリと光るものが見えた。豊治は深い息を漏らし涙を流した。
慶子は、英樹から持ちかけられた東京行きの話が気になっていた。食器を落としてしまう慶子を見て、豊治が言う。
「慶子ちゃんどうしたんだい。彼氏にでもフラれれたのかい?元気出しなよ。わしがいるじゃないか。わしが忘れさせてあげるよ。」
「豊治さんみたいな年上からそんなこと言われても嬉しくないわ。豊治さんのばか。」
そういって慶子は泣き出した。豊治は慌てた。
「おいおい慶子ちゃん」
サクラが言う。
「そういうこともね、私たちにもあったよ。でもそんなことよりも人生楽しいことはたくさんある。ほら、まえにやった“あ”のつく言葉だって奥が深いだろう。」
まおが吠えた。
「ぁわん!」
慶子はハッとした。
「アルプス、アンデス、アパラチア」
「ありくい、アメフラシ、アメーバー」
豊治も答える。サクラは…
「アイスクリーム。青のりのたくさん載った豊治さんの焼そば」
それから3人と1匹は、焼きそばパーティーへと突入した。
焼きそばを焼きながら豊治は話す。
「わしの夢は、この体が動くようになって慶子ちゃんにスケートボードをしているところを見てもらうことだ。4年後の東京オリンピックの種目にはスケートボードも入ったんだ。だから、わしもスケートボードをする。」
「4年後って、私は何をしてるのかしら?」
慶子が言う。
「慶子ちゃんは、今の彼氏と結婚してきっと赤ちゃんを抱っこしてわしのスケートボードを見ているよ。」
そう言う豊治にサクラが、
「豊治さん、いいこと言うねえ。夢はね、叶うと思えば叶いやすくなるんだ。そして、恋愛も仕事もうまくいくと思ったほうがうまくいくんだ。」
そこに、真っ黒な闇が頭上から降りてきた。そして、かのブラックベーダーが言う。
「そのとおりだ。諸君、前向きに生きていくが良い。諸君が前向きに生きてこの施設に長くいると無駄な経費がかからず施設は黒字になる。経営者たるもの、社員や利用者の幸せも願うものだ。」
「お前は、S1333星で介護施設の社員に携帯電話を売るノルマをかけているというタコな経営者か?」
と、豊治が言う。
「タコとは失礼な。わしにはな、ほらここにも手がある。イカだ。」
「何しに来たんだ?」
という豊治に、
「この施設をのっとりに来たんだ。こんな前向きな社員と利用者がいる施設は儲けのためにいいからなあ。」
そういう、ブラックベーダーに慶子は言う。
「そんなことないわ。日本の制度はドンドン変わって介護報酬も引き下げられる動きになるわ。だから、私たちがどんなに働いても事業所は儲からない。設けようと思っても上手くいかないから。お金儲けのために日本の介護施設を経営するのは止めといたほうがいいと思う。」
「なるほど、木下君は何も知らないと思ったけどいろんなことを勉強するようになったんだなあ。その調子で介護福祉士の勉強も頑張るが良い。」
そう言うと、ブラックベーダーは闇の中に消え、また辺りは明るくなったのである。
現場にいるのは、慶子のような真面目な介護職がほとんど。慶子は、ドンドン知識や技術を身につけていきます。
しかし・・・
民間の参入、介護報酬の削減、無資格者の登用、総合支援事業・・・介護現場にとって辛い話ばかりです。その中で、慶子が現実とどう関わっていくか、そして、夢の世界が現実をどう変えていくのか・・・そんなことを考えながら執筆しております。