花火
~好きな人と見た花火
それはきっと、心に深く刻まれるもの~
照りつける太陽の下、慶子は繁華街にある福祉系専門学校のエレベーターを上っていた。
昨日仕上げた課題のアセスメントの資料7枚をのコピーをホッチキスでとめたものを大事に持って。教室に入り、六人がけのテーブルのいつも座っている場所に座った。その班では慶子が一番乗りでぽつぽつと班のメンバーがいつもの席に座った。
「モデルの鈴木花子さんって、こんなに穏やかで意欲があるなら自宅でもいけるんじゃないの?」
「うん、これからはこういう人は地域で見るように変えていこうとしているからね。」
「結局、人は衰えていくのが自然なのにね。」
「何がいいのかわからないよね。」
これから、慶子が作ったケアプランを班のメンバーの中で発表し講師の先生に査定してもらう。
一方、ここは豊治の三男の信哉の家。今日、嫁の恵美と李花が退院し家族三人の暮らしが始まる。李花をベビーベットに寝かし、姑と夫婦はお茶を飲んでいた。
「ほんとうにおとなしい子だね。よく寝てる。」
「そうなんです。病院でお腹がすいたときの声は人一倍大きいんだけどそうじゃないときは本当に良く寝てるし、笑うし、助産婦さんが褒めてました。」
そう話していると李花が目を覚まし、グスグスと泣き始めた。
「はいはい、ちょっと待ってね。」
すると、いよいよ声は大きくなり隣の家に聞こえんかのような音量になった。
「恵美さん、早くお乳をあげてよ。」
信子がはらはらして言う。
「はい。少し泣かせないと・・・」
恵美は落ち着き払っている。
新米ママの子育ては、おどおどして子どもが泣くたびに心を痛めて「泣くんですよ」と病院に電話して「赤ちゃんは泣くものですよ」とたしなめられたりする例もあるが、このママの場合は肝が据わって落ち着いて、そして情報もあり頼もしい。
「李花、おっぱいなの?ちょっと待ってね。」
そう言って李花を抱き、ベットに腰掛ける。
「変な飲ませ方するのね。」
と言う信子に、
「この抱っこの仕方は、フットボール抱きと言うんだけど乳房に対していろんな向きで赤ちゃんを抱っこしないと乳腺が詰まってしまうのよ。」
と話す。すると、乳をうまく吸えずに李花が
「エエン・・・」
と泣く。
「お義母さん、ごめんなさい。授乳中は話しかけないでください。」
信子に気を使いながらも、恵美はハッキリと言う。
授乳が終わり、恵美は少しウトウトした李花を縦に抱き背中を優しく叩いている。
そのとき、ピンポーンとインターホンの音がし、寿司屋が来た。信哉がお金を払い寿司を受け取ってきた。
「お金は私が払うよ。」
という信子に、
「今日はいいよ。さあ、食べよう。」
と信哉が言う。
茶碗蒸しを食べながら信子が聞く。
「これで、いくらなの?」
「並だからね。4200円の税込みだよ。」
と信哉が答える。
「私が信哉たちを育てたときにはオムツは全部手洗い。でもばあばやお父さんが手伝ってくれた。そして、地域も温かかった。今は、何でもあるね。紙おむつにベビーバス、離乳食だって。でも、今は何をするにもお金が要る。」
と信子は悲しげである。
翌日の午後、慶子はフラワーフィールドカンパニーにいた。
サクラに話しかけている慶子はサクラの耳の中に大きな塊を発見した。
「サクラさん!大きな耳垢がある。聞こえはどう?」
するとサクラは、
「そう言えば最近耳の聞こえが悪くなったように感じるよ。取ってくれる?」
「そうでしょう。耳垢、取りたい。」
慶子の目は少しやんちゃな感じに変わった。
「坂田看護師。サクラさんの耳に大きな耳垢があるんですけど、取れますか?」
慶子は尋ねる。この時間は坂田看護師もわりとヒマで、他の利用者とコミュニケーションをしていたところであった。坂田看護師が、サクラの耳を覗き言った。
「確かにこれは大きい。ピンセットでしか取れないね。ペンライト持ってる?」
慶子は夜勤のときに使うペンライトを出した。
サクラは坂田看護師に耳を見てもらい、気持ちよさそうにしている。それを見ていた豊治も、
「ワシのも取ってくれよ。」
と言う。
「順番です。」
と、ペンライトでサクラの耳を照らしながら慶子が言う。ペーパータオルの上に丸い耳垢やらせん状の耳垢が並ぶ。それから、しばらく利用者の耳垢とりがあっていた。この件に関して、翌日看護主任から二人に指導が入った。読者の皆さん、真似しないで。失敗したら大変。大きな耳垢は耳鼻科で取ってもらいましょう。
しばらくすると、豊治の妻信子が来た。豊治が信子に言う。
「お前、しばらく来れないって言ったのにどうしたんだ?」
「それがね、李花が生まれる前から李花のお風呂は私が入れると思っていたし、恵美さんも一ヶ月はゆっくりと休んで欲しいと思っていたんだけど、お風呂はベビーバスを使って夫婦二人で入れてるし、恵美さんはしっかりしてるから私が手伝うことは何もないのよ。私のときとはぜんぜん違って。」
そう言う顔は悲しげだった。
そばで聞いていたサクラが言う。
「信子さんのお嫁さんは良いほうですよ。私は息子が結婚した時からこう決めてました。息子の人生のためには全て嫁に任せるのが良いと。あるとき、嫁と仲良くしたいという気持ちが起き、嫁にプレゼントあげました。嫁はプレゼント開けもせずにゴミ箱に捨てていました。夫が戦死したあと女手一つで育てた可愛い息子の嫁にこんな仕打ちをされるなんてと思いました。でも、嫁は所詮他人。他人に息子を委ねたんだ。だから私は嫁にはお金をあげることにしました。そしてこの話は家族の誰にも言わずにお墓に持っていくことに決めてるんですよ。話してしまえば息子と嫁の仲が台無しになってしまうじゃないですか。私が何も言わなければいいんだから。それよりも私は、自分の人生を楽しく生きることに専念したいと思います。それが私に出来る全てだから。」
信子はその言葉を聞き、言った。
「サクラさん、ありがとう。サクラさんが辛い過去のことを話してくれたから、私もサクラさんのように楽しく生きることを考えますね。」
立秋を過ぎた頃、慶子の施設では亡くなった利用者の追悼会が行われた。祭壇に祭られた写真の中には、夜勤のときに慶子が救急車を要請し搬送先の病院で亡くなった方の写真もある。慶子がそんなことをしみじみと思い出しているときに、サクラもまた亡くなった人のことを思い出す。
「私は、71年前に夫(政夫)を亡くしました。その頃、息子の正志は乳飲み子でした。私が正志を産んだときの夫は本当に嬉しそうだった。『男の子だ!俺の跡取りだ。でかしたぞ』って。それはそれは、正志を抱っこしてはあやして正志の笑い顔を見るのが一番の楽しみでした。そんな幸せも束の間、赤紙が来て夫は戦場に行きました。私は、乳飲み子を死なせまいと必死に食べ物を調達し、そして、夫の帰りを待っていました。けれども、神様はなんて意地悪なんだろう。アメリカの魚雷を受けて沈められたと聞きました。今でも、アメリカが憎い。でも、これまで生きてきて、アメリカ人とも出会いアメリカ人も私たちと同じように生活していると思ったとき、なんで戦争をしたんだろう。なんで、私はあのとき提灯行列を楽しんでいたんだろうと悔やまれてしょうがない。」
そう言って涙を流した。外では、ヒグラシが鳴いていた。
夕方、慶子は祭壇の後片付けのために施設に残っていた。暗幕をたたんで箱の中にしまっていると遠くからパンパンッという音がした。今日は花火大会の日だ。慶子は英樹と行った去年の花火大会を思い出した。
大濠公園で、人ごみの中英樹とはぐれてしまい英樹を探しながら花火を見て英樹をやっと見つけたとき、英樹は
「俺がいなくても慶子花火は見たか?離れてても慶子も花火が見られて良かった。」
と言ったのである。
サクラもまた、政夫と見た花火を思い出していた。浴衣姿のサクラの手に政夫の手が触れ、政夫がそっとサクラの手を握った。サクラの頬が赤くなり、かいた汗に夜風が当たり心地よい感じがした。
慶子がサクラを見ると、サクラは浴衣姿になり男の人と花火を見ている。
「サクラさんのご主人さんだ!!」
慶子は目を開いた。豊治が言う。
「もうすぐお盆だからきっとサクラさんの旦那さんが帰って来たんだよ。」
サクラと亡き夫は暗がりの中で語り合っている。
「あなた、ずいぶん長い間どこに行ってたの?」
「そう言うなよ。俺もお前と正志を守るために必死に戦って、お前のところに戻るために必死に歩いて来たんだ。見たくないものもたくさん見たよ。正志やお前そして、俺たちの孫にはこんな思いをさせたくない。」
二人の話は、ずっとずっと続いていた・・・
花火の音も・・・
9月の話へと続く
亡くなった祖母は、生前、私に「国を戦争に導かない判断力を持つことが大事」と語っていました。
戦時中、祖母は東京にいて母の兄を5歳で栄養失調で亡くしました。母も戦時下の生まれですが、母を死なせまいと必死に働いてきたそうです。
母は、私に言います。「今、生まれてくる子どもたちの顔が泣いているように見える。」と。そして「子どもたちにこれからの未来が見えているように思える。」と。
私は、小説の登場人物のサクラさんやサクラさんの夫に祖母や母の言葉を投げかけ聞いてみました。すると、小説に出てきた言葉が返ってきたのです。