第12話 森で 森で
8日目の朝。
ブルマ体操着姿の女子高生二人に挟まれて一晩を過ごすという地獄のような状況を、俺は精神を虚空に飛ばすことで何とか乗り越えていた。警戒心ゼロの彼女たち、俺が一度でも邪念を持ってしまえば、二度と引き返せない自信があった。
残された肉体は石のように固まってはいたが、何度も繰り返される弾力ある肉と肉の接触に陥落寸前まで追いつめられていた。
しかし、まだ八日目だ。この暮らしを壊すつもりはない。
朝になると、咲と結は、三人のピロリロリンと電子音を立てて友好度がアップしたんだとでもいいたげに満足した顔で部屋をあとにした。一方。俺の体は台風の中コンクリートを枕に一晩過ごしたかのように疲労困憊していた。実際に体験した俺にしか言えない感想だ。
朝は、みんなで食堂に集まり朝食をとるという習慣は相変わらずである。新体制初日から仕事をサボった結を見、樹里は随分と不機嫌な様子であったが、特に問題もなく朝食は終わった。
今日の班分け。俺は梨恵と雛子がB班である。午前は、バスカロフの廃農場で栽培のお仕事。廃農場は俺の工房の4倍の作付け面積を誇る。俺たちの胃袋を満たすのに十分、頼もしい限りだ。周囲の森林を開墾すれば、さらに農地は広がる予定だ。
1ランクの作物からは【キャロット】、【スピナッチ】、【オニオン】というおなじみの3種、2ランクの作物からは【レタス】、【ポテト】、【ジンジャー】が選ばれた。
工房の作物と違って、あくまで自分たちの食卓で消費することを考えてのチョイスだ。人数が増えたので計画的に食料を確保しないとひもじい思いをすることになる。
俺は作業をしながら、昨日のことをみんながどう考えているのかを確かめたいと考えていた。特に本来ならリーダー的な地位にあるべき梨恵の意見は是非聞いてみたい。
そんな考えを、梨恵は簡単に見抜いていた。
「あおいの考えてる通りで大体正解よ」
種まきが一息つくと梨恵のほうから、俺に話しかけてきたのだ。
「魔法少女が同じ学校に通うってのは、色々と誤魔化しが効いて便利なんだけど、当事者同士はやりにくいところはあるのよね。やっぱり、生徒と教師に間には壁がみたいなのがあるしね」
「他にも、魔法少女な教師もいるんですか?」
「いないわよ。私も8年前には、ただの生徒として入学して、去年から母校に帰ってきて先生やってるだけだからね。実は、私は最初のケースってわけなのよ。うちの学校に魔法少女を入学させるって慣例のね。そうか、あおいはまだ千明さんには会ったことがないんだよね」
「千明さんですか?」
「そう。私たちの本当の意味でのリーダー。ジ・オリジン。最初の魔法少女よ。彼女が魔法少女たちにいろいろ便宜を図るためにうちの学校を買い取ったのがすべての始まり」
学校を買い取るって、いったいいくらあればそんなことが可能なんだろうか。どうやってその資金を調達したのか、気になるところではあるが、こっちの世界の住人である俺にはあまり関係がないことだ。
雛子は俺たちの会話に興味がないのか、少し離れた場所で黙々と土を耕している。ちょっと話しかけづらい女の子だな。
「学校でもみなさん仲いいんですか?」
俺は梨恵との会話を続けることにした。
「どうかな。私の場合は、遥とは結構仲がいいけど他とはあんまり。生徒会とはあんまり関係がないからね。エリカが生徒会長で、樹里が副会長だってのは知ってたかな?」
「いえ、エリカさんの名前は時々いたくらいです」
「エリカは面白いやつだけどね。まあ好き嫌いは分かれると思うよ。生徒会に入るまでは、咲と樹里は超ラブラブだったんだけど、最近は全然かな、あの二人。まあ、愛が深いほど憎しみも深くなるって言うでしょう。好きだからこそ相手のいやな部分が許せないというのはあると思うわ。でも、私は信じてる。二人はまた元のように相思相愛に戻るってね。だから、樹里がリーダーをやる現状も見守っていきたいと思ってる」
なるほど、樹里と咲の関係というのは周りも気にしてるみたいである。
梨恵は、俺に対するうまく立ち回って二人の仲を修復して頂戴という期待を隠そうとしない。困ったものだ。
「おーい雛、ちょとこっち来て」
話が落ち着くと梨恵は、学校で仲がいい魔法少女を聞いてるぞと雛子に伝えた。
俺と雛子がまだ録に話もできていないことを気遣ってくれたのだろう。
雛子とはなすきっかけを作ってくれたことは正直ありがたい。
ピロリロリンと簡単に友好度が上がってくれると助かるんだけど。
「私、あんまり、友達とかいないので。遥は、学年が1個上だけど、時々、お買いものとか付き合ってもらってる」
いつもどおり伏し目がちにしゃべる雛子。
「買い物だったら、一度私と行きましょう。雛子とも早く仲良くなりたいです」
雛子のようタイプは面倒くさそうだったので思いっきり直球で当たってみた。
「そ、そうですか。うーん。うーん。うーん」
何か悩みだしたぞ。悩むような質問はしてないんだけどな。
「突然ですが、あおいさんは本とか読みますか」
確かに唐突な質問である。買い物はどうなった?
本を読むかっていうけど、本を読まない人間なんかいるのだろうか。読書中毒者の俺には想像ができない。もちろん俺は肯定した。
「ではでは、最近読んだ本とか教えてください」
「うん? 新撰組血風録とか軍師山本勘兵衛とか? 」
とここまで言って、俺は自分の過ちに気付いた。俺は今女子高生あおいちゃんなのだ。
読書中毒者の悪い癖で、本のことになるとついついテンションが高くなってしまうのだった。
ええっと、女子高生ってどんな本を読むんだ?本気でよく分からないぞ。どうしよう誤魔化しきれない。
「わー、新撰組ですね。やっぱりあおいちゃんとは趣味が合いそうです。」
え、やっぱりなの?案外、むこうは俺のことを好意的に見ていてくれたのかもしれない。
「やっぱり、歳さんファンですか」
と聞いてきた。歳さんとはきっと新撰組副局長である土方歳三のことだろう。土方歳三のことを歳さんと呼ぶのははじめてだぞ。俺は特に新撰組で誰が好きというのはないのだが、強いて言えば芹沢鴨?でもちょっとマイナーだよなぁ。話を合わせとくか。
「私も歳さんが大好きです。」
「おー、おー、おー」
雛子は顔を紅潮させて喜んでいる。そこまで喜んでもらえると、俺もうれしい。
「私は、ゲーム系なのであんまり詳しくないのですが、あおいちゃんは歴女系なのですね。山本勘兵衛×武田信玄とかそっち系なのですね」
うーん、何がそっち系なのかはわからないが、俺は決して歴史マニアというわけではないんだよな。どちらかというとただの本好きなのだ。
「ミ、ミステリとかも読むですよ。あ、あのシャーロック・ホームズとかですよ」
流石にディクスン・カーやヴァン・ダインではマニアックすぎるだろう。シャーロック・ホームズくらいなら、女子高生でも読んでいておかしくないはずだ……はずだよね?
梨恵は何か不思議なものを見るような目でこちらを見ている。
あれ、俺、失敗した?
「ごめん。私、雑誌しか読まないから、よく分からないの」
梨恵がすまなさそうにそんなことをいう。その様子からは本当に何も分かっていない感じだ。
安心した。この世界にホームズを知らない人間がいるとは思わなかったけど。
「ホームズ×ワトソンですね。最近ドラマ系の人は注目してると聞き及んでます」
なぜ、掛ける(×)のかは分からないが、彼女の周りにはいろいろな派閥がいるようである
「あれれ、それともワトソン×ホームズなのでしょうか。」
またまた訳のわからないことを言い出す雛子。随分と変わった女の子のようだ。
「うーん。私は、あまり深いことは分からないのでどちらもアリだと思うのですが、雛子はどちらだと思っているのですか?」
「わ、私も、全くホームズ関係は分からないので……。でも、あおいさんは私と同じオーラを感じていた、ので、ひょっとしたらと思った」
同じオーラか。彼女のワードはよく分からないけど、友達だと思ってくれるなら、それでいいだろう。
「あおいちゃんも、なかなかマニアック。でも気にすることないよ。買い物一緒に行こう。また今度、ゆっくりお話ししたい」
話がつながった。
買い物を行く約束をしたものの、それが果たされることはないだろう。
俺はもう、このゲームの世界の人間なのだから。
守れない約束をするのは心が痛む。
雛子は恥ずかしそうにしながら、にたりと笑って、元いた場所へ戻って行った。
「案外、二人はうまくいきそうだね」
俺自身は、いまいち会話が成立しているのかも怪しく、これから雛子とうまくいきそうな気配は微塵も感じていなかったが、話してみれば悪い女の子ではなさそうなので俺なりに努力はしてみるつもりだ。
◇
ネズミたちのねぐらとなっていた廃農場。光を一切遮断していたせいで、母屋の中はカビと腐敗で酷いことになっていたのだが、少しづつ整理は進み、2、3日もすればここを拠点に移り住むことができそうである。魔法少女たちは夜眠ることがないので、自分の部屋といってもそれほど活用する機会はなさそうだが、それでもプライベートスペースを持てるというのは、精神衛生上はかなりプラスのようで、みんな張り切って作業をしていた。
俺たちの役割は木材の採集である。【銀狐の森】には脅威となるようなモンスターはいないので気楽なものだった。
このまま平和な時間が過ぎればいいな。
そんな願いもむなしく昼ごはんから過ぎること数時間、俺は森の中で彷徨うことになっていた。
◇
「ここは、いったいどこなんです?」
俺の同行者は、咲と結の二人に変わっていた。作業中の俺を無理矢理に引っ張り出したのだ。
「ここは、西の森の北の方よ。」
咲が答える。そんなことは俺にも分かっていた。
問題は俺たちがどこに向かっているのか、俺たちはイシュガルド村に帰れるのかどうかだ。
◇
咲が突然結を連れて現れて、西の森に行こうと言い出したことには驚いた。
イシュガルド村に西方に広がる【西の森】。その味気ない名前が示しているのは、そこが人間たちの領域ではないということだ。【西の森】、そしてその先にある【天柱山脈西部】は鬼たちの領域である。本クエストの敵役ある八鬼将の軍勢ももおそらく【天柱山脈西部】から【西の森】を抜けてイシュガルド村にやってくると考えられる。いわゆる敵陣。
ゲームシステム的にいえば、【西の森】はあくまで【天柱山脈西部】への通路でしかなく、これといったアイテムやイベントがあるわけではない。
ハイリスク・ノーリターンの地。
「一体、【西の森】に何があるっていうんです?」
「結がね。臭うんだって。ぷんぷん」
「そうっす。いやーな臭いがするっす。これは確認が必要っす」
嫌な臭い、それだけのために西の森に足を踏み入れるというのか。
正直、結なんかは仕事をサボる理由を作ってるだけなんじゃないかと疑ったが、よくよく考えてみれば彼女なら理由もなくサボることを躊躇しないはずである。
行きたいから行く、MMOって元々そんなゲームなんじゃなかったかな。もちろん彼女たちの置かれた状況を考えれば、効率重視の攻略プレイが最良の答えだと俺は思っている。
だが、それもおせっかいなのだろう。最近の咲の言動から俺は少しづつ考えを変えている。
「わかりましたです。【西の森】にいきましょう。でも、樹里は怒ると思いますよ」
「樹里は一度怒るくらいの方がいいと思う。彼女が何を目指しているのか。彼女自身で気付くきっかけになるかもしれないよ」
咲は相変わらず強気である。
チームに不和をもたらすかもしれないこの背信行為であるが、咲は逆にチームを引っ掻き回すことでいい方向に行くと考えているようだ。それは樹里に対する信頼がなせるものなのだろうか。
まあ、深いことを考えても仕方ない。【西の森】に何かがあるとすれば、それは俺のKFO知識にない情報だ。もし、そうだとすればこれ程ゾクゾクするものはない。
「最近、いつもこの三人っすね。はみ出し者同士仲良くいこうっす」
いやいや、ほとんど結の責任だと思うんだよね
◇
【西の森】は【銀狐の森】とは違い、人の手がほとんど入っていない原生林だ。道なき道は険しく、どこか空気も淀んでいる。
普通に考えれば、こんな深い森を地図もなくあてずっぽうで探検するのは自殺行為なのだが、
KFOのシステムに絶対座標が表示されているので、何となく自分がいる位置くらいは判別できる。
「くんくん。なんかいい匂いがするっすね」
結が鼻をヒクヒクさせる。
「いやーな臭いってそれのことです?」
「ちがうっす。もっと強烈なにおいで、いー匂いがするっす。ちょっと見てくるっす」
俺が止めるのも聞かず、結は走り出した。
俊敏な身のこなしで木々の間を走り抜け、あっという間に見えなくなった。ここが足場の悪い原生林であることなど忘れさせる。
「ここはゲームの世界ってことだけど、本当に綺麗だし、どこまでも広がっていそうだね」
咲はゆっくりと茂みをかき分けながら、結の後を追おうとしている。
「私たちが冒険したのは、この世界の0.2%にも満たないくらいです。イシュガルドの周辺は自然が豊かで、とても過ごしやすいですけど、もっと過酷な世界や不思議な風景が見られるところもあるんですよ」
「そっかぁ。元の世界に戻っても、またこれたらいいのにね」
「それは難しいかもですねぇ。だから、気に入ったらゲームを買ってくださいです」
「そうだね。受験が終わったら、ちょっと遊んでみようかな」
そうしたら、ゲームの世界の俺と現世の咲はまた出会えるのだろうか。
クエストを攻略した後の話なんて、今から考えても仕方ないんだろうけど。
木によりかかる人影を見つけたのは、それから15分くらい歩いたところだ。結の奴、随分と遠くまで走って行ったんだな。
運よく見つけることができたから良かったけど。周辺には背の高い障害物はないので、見通しはいいものの倒木を潜り抜け、茂みをかき分けて行かなければ、ほんの10数メートル先の結のところにはたどり着けない。
結は地面に座り込み、木の幹に背中を預けているようだった。
「どうしたんですかー。何してるんですかー」
声をかけてみても返事はない。
明らかに様子はおかしかったが、俺は結の奇行に慣れてしまっていたのだ。俺は、周囲を警戒することも忘れ、一歩一歩と結に歩み寄る。
そこで。
そこで俺が見つけたのは、思わず目を覆いたくなるような姿の、変わり果てた結だった。