第11話 宴・後編 政治は夜動く
樹里が持ち出したのは、木板に描かれた時間割表のようなものであった。そこには俺たちの名前が書かれているのが見える。
それにしても、今の状況では紙さえも貴重品なんだよなぁ。紙とペンの代わりにさっそく木板と墨を用意するという樹里の中世ライフへの適応力の高さは流石だ。
樹里は、木板をテーブルの上に置くと内容の説明を始める。
「我々も今日から、9人体制となった。そこで今後は3人で1班を形成し、各作業を分担してもらうことにした。偏りの無いように毎日班のメンバーは変更することとする。あおいはまだ、完全に魔法少女になっていないから深夜と早朝に関しては特別扱いとし、睡眠を認める。以上、異論があれば言って欲しい」
俺は心の中で低い唸り声をあげていた。たしかにいずれはこうなると予想していたが、樹里が何らの兆候も見せずにここまで準備しているとは思わなかった。俺の知らないところで事態が動く、それだけはまずい。
「我々の当面の活動は、【銀狐の森】と【縞々海岸】の哨戒活動,天然素材の収集活動、素材を用いた製作活動だ。各班には、午前の部、午後の部、宵の部、深夜の部、早朝の部それぞれに活動内容を割り振っている」
各部は4時間だから、20時間が仕事の時間。憩いの時間は3度の食事だけとなる。俺だけは特例で8時間の睡眠時間を用意してもらっているが今後、自由行動が制限されるのは間違いない。このままでは俺が工房を独占している現状にまで変更が加わってくるかもしれない。
クエストの攻略という視点から見れば樹里の提案は俺の考えに近い。いかに効率よくリソースを拡大していくか、それは俺が彼女にレクチャーしたことだった。しかし、俺は、自分が持つ特権を手放すつもりは無かった。そうでなければ俺は俺のウソを守りきれない。
しかし、すでに特別扱いを受けている俺がここで口を挟めるような状況にない。誰か反対する奴はいないのかと静かに周りを見渡す。
「樹里。これは一体どういうこと。貴方はどういう立場から、そうやって何でも勝手に決めてしまおうとするの」
声を上げたのは意外にも咲だった。その目は鋭く樹里に向けられていた。そんな咲を見るのは初めてだった。
「どういう立場もありはしないさ。私が決めるわけではない。私はあくまで提案しているだけだ。異論は聞くと言っている。それに何でも勝手に決めるとは随分と乱暴な言い方をするものだな。今の状況を考えればこのようなシフトを組む必要があることは誰もが分かったいることだろう。誰もしないから私がしたまでのことだ。問題があるかな」
いつもの樹里らしくない、棘のある言葉選びだ。
咲も毅然として一歩も退くことがない。負けじと反論する
「今日だって、ノルマがどうだといって真希に非道いことを言ってたじゃない。ノルマって何よ。ノルマなんていつ決まったの? 貴方が、なぜそれを責めることができるの」
「ノルマという言葉が気にくわないなら改めよう。だがそれが何になる。私たちを取り巻いている現状は変わらないのだぞ。一人が身勝手に任務サボることを認めていいと思うのか。そんなことを認めていればチームの秩序は保てなくなる。それくらいの道理はわきまえていたと思っていたが」
二人の言葉が熱を帯びてくる。周りにいる者誰ひとりそれを止めようとしない。ただ黙って行く末を見守っていた。
「真希は私たちのずっと先輩じゃない。貴方いつからそんなに偉くなったのよ。問題があるならきとんと話し合うべきじゃないの」
「ものの正しいか間違っているかに歳の長短が関係あるものか。私も真希が任務をサボっていたなどとは思っていないよ。しかし、サボった人間を庇うことは、なお罪が重いと言えるのではないかな」
「かばうことが悪いこと? じゃあ、助け合うことは悪いこと? なんで今まで通りじゃあいけないの? 朝ご飯を一緒に食べながら、その日何をしようか話し合う。それじゃだめなのかな」
「私の方法がより優れている、それだけだ。咲、君は今私たちが置かれている状況を理解しているのか。私たちが何者なのか忘れてしまったのか。それを思い出してなお、私を糾弾するのか、私が間違っていると」
「私たちが何者か、それはよく分かってるよ。分かっていないのは樹里、貴方よ。私は貴方が間違っているなんて思ったことはない。貴方がしようとしていることの意味も分かっているつもりよ。でもね。でも、樹里。貴方の考えは、怖いことなのよ」
「怖い? 全く理屈になっていないな。咲、君がそんな愚かな……いや、理屈の分からない人間だとは思っていなかったよ。残念だ」
それはいつものクールな樹里ではなかった。そして、同じように普段はおとなしい咲がここまで熱く語る姿は意外だった。
その場の全員が二人の動向に注目していた。結を除いて、テーブルの料理に手を付ける者はもう誰もいなかった。
「もはやシフト制だけの問題ではないことは明らかか」樹里はそう前置きをした。
樹里は全員をゆっくりと見回し、静かに宣言を始めた。その姿は荘厳ささえ感じられる。樹里には天賦の才能があった。
「突然で悪いが、私はこのチームの仮リーダーを決めようと思う。こうすることが混乱を治め今の状況を打破するシンプルな方法だと思う。今後は、チームのメンバーはリーダーが決めたことに従ってもらう。もちろん、リーダーは多数決で決め、いつでも多数決で解任することができるものとする。立候補者はいるかな」
そういうと樹里は、様子を覗いながら静かに手をあげる。
一瞬、遅れて勢いよく手を突き上げる咲。それは樹里への挑戦状だった。
「悪いけど、立候補じゃなくて推薦です。私は真希を推薦します」
突然のことで驚く真希。苦々しく顔を歪める。リーダーという柄ではない、本人はそう思っているのだろう。
「真希が一番の年長者。だから、真希がみんなの意見を聞いて彼女が決めるべき」
咲はそう理由を説明した。事態は俺のコントロールできないところまで来てしまっていた。
樹里も咲の反抗までは予想していなかったようだ。しかし、それをきっかけにここで一気にチームの権力を握ろうと考えたのだろう。おそらくは、単にそれが最も効率がいい方法であるという理由から。
「では、年長者から。タイフーン・マキがこのチームのリーダーにふさわしいと思う者。挙手を願おう」
再び勢いよく手をあげる咲。しかし、それに続く者はいない。
真希の方を振り向く咲。真希は手を横に振って答える。
「すまないが、私は棄権する」
咲は周りを見渡すが誰も目を合わそうとはしない。
俺と咲の視線が合う。先に視線を伏せたのは咲だった。
「それでは、私、ライトブリンガー・ジュリこそが仮リーダーにふさわしいと思うものは挙手をお願いしたい」
自ら手をあげる樹里。遥、雛子、加南子もそれに倣う。少し遅れて梨恵と結もまた手をあげた。最後にそっと挙手する俺。勝敗はあっけなく決した。
咲には悪いが、やはり理屈としては樹里に分がある。それに、この状況は小手先でどうに引っくり返せるものではない。しばらく様子を見るしかない。
「ありがとう。私は皆の期待に沿えるよう努力をしたいと思う」
全員の礼を述べる樹里。それは新しい体制が生まれた瞬間だ。
「今夜、深夜の部の分担だが、今日のA班は私と咲とあおいだ。咲、君は頭を冷やして来い。今日はゆっくり休むといい。今日は私は一人で動く」
咲は樹里とは目を合わせようともせず、一言を発しなかった。
俺が咲に近寄ると、顔を伏せてしまう。その姿は随分と憔悴しているように見える。ささやかな反抗、それが彼女の全力だったのだろう。
「ごめんね。楽しい送迎会にしてあげたかったのに」
咲はそういうと小走りで階段を昇って行った。
俺は誰かと話しをしたかったが、遥と加南子が真希を連れ出していった。深夜の部はすぐに始まる。梨恵、雛子、結の3人の近くには樹里がいる。
俺は諦めて工房へ足を向けた
◇
その日は寝てしまうこともできず時間だけが過ぎて行った。時間は深夜0時を回ろうとしていた。ちなみのこの村には時計はない。すべてシステム上に表示されている。システム画面の存在は。ここが現世ではなくKFOの世界だと強く認識させる。
俺は今日起こった変化を整理し、今後の方策を練っていた。といっても、いいアイデアなんて浮かぶものでもない。魔法少女たちを眺めてみるとやはり、リーダーとして動けるのは樹里しかいない。
年長者の真希や梨恵、能力的には申し分ないはずだ。しかし、二人ともあえて一歩引いた態度を取っている。それが成長の芽を摘むことになることを恐れてのことだろう。
あと3日でクエスト10日を迎える。それは、第1の大規模イベントが発生するタイミングだ。それが終わるまではこれ以上の混乱を生むのは得策ではないか。
そんなことを考えていると、真夜中の訪問者があった。
咲だった。
扉を開けると、枕を抱えた彼女がそこにいた。気まずいところもあったけれど、できる限りそんな様子は見せないように笑顔で彼女を出迎える。
「お泊り会の約束してたから。丁度いい機会かなと思って」
たしかに勢いでそんな約束をしてしまっていたな。
丁度いいという意味では、こちらも同じだ。彼女の思惑は確認しておきたい。
部屋に入るや否や、咲はものすごい勢いで話を始めた。俺はせっかく部屋に案内したのだから、ベッドの寝心地やら、西向きの部屋で西日がキツイという話でもしようと思っていたが、そんなくだらない話に時間を潰すのは惜しいようだ。
咲と樹里が学年も同じで、魔法少女になった時期も同じなので昔は随分と仲が良かったらしい。中学校は違ったけれど、高校で一緒になるとそれこそ毎日に一緒にいたそうだ。
「昔の樹里はもっと強かったのよ。あおいには分かる? 今の彼女はずっと怯えているのよ」
「怯えている? どういうことですか」
核心部分になると咲の言葉は抽象的になった。咲の言葉の真意は俺には分からなかった。
しかし、咲が樹里に告げた「それは怖いことよ」という言葉の意味は分かっていた。
「咲は樹里の考えが怖いことっていったです。私もそう思うです。でも、それって、仕方ないんじゃないですか」
「怖いこと」。それは俺が一度KFOの世界を去った理由と同じものだと思う。MMOでトップ集団であり続けるために必要なのは徹底した効率主義である。プレイングに不満があるチーム・メンバーを「努力が足りない」と切り捨てたこともあった。
ヴァージョン・アップの当日には、優先すべきクエストの順位は決まっていた。それを面白くないといったメンバーの気持ちを俺には理解できなかった。
チーム・メンバーにノルマを課すことや、単調作業を何十時間と行う精神力も持っていて当然だと思っていた。今にして思えばそれが精神力と言えるものなのかどうかも怪しいのだが。
半年に一度、俺たちのチームは大きい分裂を繰り返していた。それだってメンバーのプレイスタイルの違いからくるもので、むしろ好ましいものだと思っていた。全プレイヤーが攻略組に属する必要はない。カジュアル・プレイだって否定はしないさ、さようなら。大きなチームに吸収されることに反発してチームを割ったこともあるし、逆に他のチームとの合併に反対したメンバーを追放したりもした。
そんなことが何度かあった末、ある日KFOの世界を去ったのは俺の方だった。
俺はまだ、昔の俺の考えを全否定することはできない。何が正しくて、何が間違っているかの結論はまだ出ていない。それだけに、咲が「怖いこと」と表現した、得体のしれない何かについてはよく理解できた。
しかし、これはゲームじゃない。
「でも、私たちがやってるいることはゲームじゃない」
「魔法少女は戦争をしているわけじゃない」
二人の声が重なった。
戦争じゃない。俺には咲の言葉の意味が分からなかった。
ずっと魔法少女なんてアニメの中だけの存在だと思っていた。そんな俺が偉そうには言えないが、彼女たちがしていることは結局殺し合いではないか。もちろん、俺は殺し合いを否定しない。現に彼女たちはこんなゲームの世界に閉じ込められているのだ。敗北によって失うものはあまりにも大きい。負けられない戦い。それは結局、戦争と呼ぶべきものだ。
俺はその場で咲の真意を問い質しかったが、それは叶わなかった。
その直前、俺は西の窓にちらちらと揺れる影を見つけた。俺がそれを疑問に思うより先に、その影は丸い塊となって窓からへの中へと転がり込んできた。
ごろごろ、それは部屋の中央でぴたりと止まった。
「ずるいっすよ。お泊り会にはボクも参加するって言ってたじゃないっすか」
塊に見えたのは体を丸めた少女の体だった。彼女は体勢をほどきゆっくりと立ち上がる。
窓から飛び込んでくるというアクロバティックな登場で俺たちを驚かせたのは、もちろん結だ。
「結、仕事はどうしたんです?」
「もちろん抜け出してきたっすよ」
それが、当然のように答える。まあ俺もそうだろうと思っていたんだけど。
思えば今日の騒動の原因は結にあるともいえる。咲もいるこの場で、彼女が一体どう考えているのかを聞いてみたい。
「結は、なんで樹里をリーダーに投票したんですか? 樹里のやり方だと結はこれから苦労しそうだなーって思うです」
「うーん? ボクは誰がリーダーでもルールを守るつもりは無いから同じかな」
なんと予想外に回答がきた。結という少女、ホンモノである。
「結はそれでいいと思うよ」
咲はそういうけれども。
「それに、咲先輩にもボクの一味みたいに思われると迷惑がかかるでしょ。咲先輩は別に僕を庇いたいわけじゃないっす」
結も結なりに考えている部分もあるんだな。
咲もおためごかしに結に何かを言うつもりは無いようだ。
「そんなことより、ピロートークっすよ。お泊り会と言えばピローっす」
咲と同じように結もまたしっかりと枕を抱えていた。
それだけでない。結は、いつの間にか体操着とブルマの姿に変わっていた。物理的に着替えたのではなくシステムメニューを使って装備を変更したようだ。
「私も、眠るのは久しぶりだし、今日は三人で一緒に寝ようか」
咲も賛同してそんなことを言い出した。
あとはもう俺は流されるままである。
咲も、結からデータを借りて体操着に変身。気が付けば、俺は、体操着姿の咲と結に挟まれる形でベッドの中で固まっていた。
「ベッドが小さいんだからもっと近くに寄るっすよ」
俺はもうまな板の上の鯉だ。
なるようになれ。
夜は更けていく。