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着ぐるみ魔王  作者: 蔵樹りん
第7章
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第19話

 シルヴィアは恐怖した。初めて目の当たりにする魔王の威容。それは、かつて見たモノクロの画像などでは到底表現できなかった威圧感を絶えず撒き散らしている。シルヴィアは声を震わせながらも、魔王を取り囲んでいる天使達に命令した。


「あ、貴方たち、何をしているの? 早く取り押さえなさい!」


 シルヴィアの命が下されるが、すでに魔王の実力を目にしている彼女達は、顔を見合わせるばかりで動こうともしない。なお、処刑を見に来ていただけの他の天使達は、魔王が近づいてくるのを見た時に、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていた。


 ノエルは、シルヴィアを通り越してイーリスを見た。イーリスもノエルを見返す。イーリスは微笑んだ。それに対して、ノエルも魔王のマスクの中で小さく微笑む。

 イーリスの無事が確認できたノエルの心に多少の余裕が生まれた。いつもの、魔王としての振る舞いをする余裕が。


「ふん……これが天界を守る精鋭達か……大した相手では無いな。このまま、お前達の城にまで攻め入ってやろうか?」

「な!?」


 自分の部下達が馬鹿にされた事、さらに、このまま城にまで攻め入ろうなどという、大胆不敵な発言にシルヴィアは驚きの声を上げた。もっとも、その発言とて誇大な物ではない。魔王を取り囲む天使達にはその事がよく分かった。


「くっ……一体どうして魔王がこんな所に……」

「ほう……お前はおかしな事を言うな。まあ、勝てない相手に己の部下を仕掛けるようなやり口の奴には理解できんか」

「な、なんですって!?」


 小馬鹿にするような発言に、シルヴィアの槍を持つ両手が震える。自分をこんなに見下すような奴はこいつで二人目だ。そしてこの魔王もあのイーリスと同じような、訳の分からない事を言うのだ。


「一体どういう事よっ!?」


 叫ぶシルヴィアに向かって、ノエルは答える。


「なに、簡単な事だ……イーリスは俺のモノだ! 誰であろうと俺のモノを傷つける事は許さん!!」

「なっ……!」


 予想もしなかった答えにシルヴィアは絶句した。後ろのイーリスも口を開けてぽかんとしている。


「な、何を言っているの!? 貴方は悪魔なのでしょう!? どうしてそんな奴が天使を守ろうとするの!?」


 ノエルは、やれやれと首を振る。


「ふん、小さい奴だ……俺にとっては、悪魔だの天使だのといった違いは、大した問題ではないのだよ」

「そんな……」


 目の前にいる異形の者から出てくる言葉は、シルヴィアの理解の範疇を超えるものだった。ノエルはこれで話は終わりだとばかりに、槍を持つ天使を厳しい目で見据える。


「さて、くだらない問答はこれで終わりだ。そちらから来ないのならこちらから行くぞ」


 シルヴィアはその宣告にハッとして身構える。だが、すでにその時にはもう魔王の姿は目の前に迫っていた。


「遅いな」

「あがっ!?」


 腹に叩き込まれた強烈な一撃に、シルヴィアの体がくの字に折れる。もちろん魔王としては手加減した一撃だったのだが、シルヴィアは反応すら出来なかった。


「ふん、イーリスならばこれくらい避けていたぞ。弱すぎるな、お前は!!」


 ノエルは吠えながら、周りを囲む天使の群れに、ぐったりとしているシルヴィアの体を投げつけた。慌ててその体を受け止める天使。動揺と恐怖のあまり身動きの取れない彼女達に向かって、ノエルは口を開く。


「そいつを連れてさっさと消えろ。そして、お前達の真の主に魔王の言葉を伝えよ。天使長イーリスは貰い受けた、とな!」


 天使達はどうすればいいのか分からず、顔を見合わせるばかりだ。それを見たノエルは苛立たしげにこう言った。


「おい? 俺はそこまで気長じゃあ無いんだがな!? さっさと行け! 俺の気が変わらん内にな!!」


 それを聞いた天使達は皆悲鳴をあげ、慌てて逃げ去った。もはや隊列も作らず、我先にと。


 そんな憐れな姿をノエルは見送り……やがてイーリスに向き直ると、そのあぎとを開いた。恐ろしい魔王の口から、ノエルとしての優しい言の葉が紡がれる。


「ごめん……遅くなって……」


 神妙なノエルに対し、イーリスは俯いたまま、黙って首を振る。来てくれた事だけで十分だと言いたげに。


「待ってて、すぐに戒めを解くから……」


 イーリスを縛り付けている十字架に近づき、ノエルは鉤爪の付いた手で器用にイーリスの束縛を解いた。自由になったイーリスは、ノエルに抱きつくように、彼の懐に飛び込んで……。


 その瞬間、ノエルの目に火花が散った。いきなり、下顎をものすごい衝撃が襲ったのだ。不意を突かれて跳ね飛ばされたノエルは、やがて彼女が自分に向かって強烈なアッパーを入れてきた事に気付く。ノエルはわけも分からず戸惑いの声を上げる。


「い、いきなり何をするのさ!」


 ノエルの叫びを聞いたイーリスがゆっくりと顔を上げた。ノエルは彼女の表情を見て、ひっ、と小さく悲鳴を上げてしまう。


 イーリスの瞳は憤激に燃え、凄惨な相貌でノエルの事を睨みつけていた。どうやら、さっき俯いていたのは悲しみによるものではなく、純粋な怒りによるものだったらしい。


 だが、すでに怒れる野獣を束縛する物はない。イーリスは顔を真っ赤にしながら溢れる感情に任せてノエルに拳の雨を降らせた。


「い、いたたたたたっ!? ちょ、ちょっと待って! 落ち着いて! 僕が何かした!?」

「こ、これが落ち着いていられるかっ!! さっきオマエは何て言った!? ワタシがいつオマエのモノになったっ!?」


 怒りが原因かと思われた顔の赤みだが、何分の一かは羞恥心によるものだったらしい。いや、ひょっとするとせいぜい何万分の一程度の割合かもしれないが。


「まったく! あんな事を! 大声で叫ぶ奴があるか!!」

「ご、ごめん! ほんとにごめん!」


 先ほど逃げていった天使達は、こんな光景が繰り広げられているなどとは想像もしないだろう。中天を過ぎた太陽が下降線を描き始めるまで、彼女達は子供じみた喧嘩を続けた。喧嘩というには、余りに一方的なものだったが……。





 しばらくして――ある程度イーリスの気が済んでという意味だが――二人は白い十字架が立つ島の中央で向かいあっていた。いつぞやのように正座をした魔王と、不機嫌そうに腕を組んで見下ろしている天使という妙な構図で。

 もっとも今回はノエルが着ぐるみを着ているままという事もあり、前回のそれよりも滑稽な風景となっていた。


「あの……その……イーリスさん……」


 なんだか、この前も同じような事が合ったな、と思いつつノエルはおずおずとイーリスの機嫌を伺った。あんなに気持ちいいくらい殴りつけていたのに、まだ気に入らない事があるらしい。イーリスはムスッとした表情を崩さなかった。


「ええと、その……僕はイーリスを助けに来たのであってですね……」

「ほう……また恩を着せようとするのか? そして、自分のモノとしたワタシを好き放題したいと?」

「い、いやっ! そんなつもりじゃ……」


 もごもごとマスクの中でつぶやくノエル。イーリスは不機嫌そうにそっぽを向いた。しばらくそのまま横顔をさらしていたイーリスだが、感情も少しは治まったのかやがて向き直り、ノエルを正面から見据えて言った。


「しかし……オマエは一体これからどうするつもりだ?」


 イーリスはようやく建設的な事を口にした。一方的な暴行が収まった後、なぜイーリスが処刑されそうになっていたかを彼女の口から聞いたノエルは、その事について先ほどから考えをまとめていたのである。

 ノエルは立ち上がり、イーリスの反応を恐れながらも自分の案を彼女に伝えた。


「ええっとね、僕に考えがあるんだけど……イーリス、僕と一緒に魔界に来るつもりはない?」


 イーリスはもう天界にいる事は出来まい。だとすればこうするしか無いはずだ。だが、元第六天使長は悲しそうに首を振った。


「それは……無理だ。いくらなんでも、この間まで敵対していた連中と同じ所に行く訳にはいかない。悪魔どもとて同じだろう。敵であるワタシを許しはすまい」


 彼女の答えは予測できたものだ。しかし、ノエルもここで引く事は出来ない。イーリス一人守る事が出来なくて、自分の大願が叶うはずもない。


「うん、分かってる。でも、これは僕にとっても大事な事なんだ。いつか、魔界と天界の戦争を無くし、平和な世界を造るっていう目的の……」


 イーリスは険しい顔をしたままだ、ノエルは負けるものかと声に力を込める。


「その……最初はうまくいかないかもしれないけど……でも、必ずやり遂げて見せる。君を傷つけようとする悪魔がいても、絶対に君を守る。だから……君には最初の一人になって欲しい。僕が作る、魔界と天界とが一つになった新しい世界の、最初の一人に……」


 ノエルは言いたい事を言い終えた。だが、イーリスは相変わらず顔をしかめたまま、こちらに視線を合わせようともしない。やっぱり駄目か……と、うな垂れたノエルの耳に、彼女の微かな声が届いた。


「……たくない」

「えっ?」

「そんな建前は聞きたくない!」


 イーリスはノエルを睨み付けた。その瞳は、怒りと悲しみが混ざり合ったような色合いをしていた。そして、ほのかに見えるもう一つの感情……それは、恥じらい?


「オマエはまだ肝心な事を言ってないぞ! さっきのような建前はどうでもいいんだ! ワタシはオマエの口からそれを聞きたい! ワタシの為にここまで来てくれたんだ! 違うとは言わさないぞ!」


 もう、隠しようもないくらい顔を真っ赤にしながらまくし立てるイーリス。さすがに鈍感なノエルにも彼女の言いたい事は分かった。そして、自分がその単語をまだ口にしてなかった事も。


 ノエルは激しく動揺した。い、言わないといけないのかな、やっぱり?


「う、うん……ご、ごめん。最初にそれを言うべきだった……」

「ふん……」


 そっぽを向くイーリス。そんな彼女を可愛いと思いながらも、ノエルはその肝心な事を口にしようとした。


「えっと、その……」

「馬鹿! そんな大事な事を、マスクをつけたまま言うつもりか!?」


 イーリスは軽く浮き上がり、ノエルのマスクを剥ぎ取ってしまう。恐ろしい魔王の顔の下から、とても愛らしい少年の顔が飛び出した。もちろん、その顔は羞恥ですでに真っ赤になっている。

 マスクを脇に抱えたまま、イーリスはノエルを促した。こちらも、顔をこれ以上ないくらいに赤く染めながら。


「さあ、言え。聞いてやる」

「う、うん……」


 ノエルは軽く深呼吸をし、今まで伝えていなかった自分の想いを口にした。魔王としての言葉ではなく、ノエルとしての言葉で。


「その……僕は、き、君の事が。イーリスの事が好きだ。天使だとか悪魔だとか、そんなのは全く関係なく……」


 ノエルが、たどたどしく想いの篭った言葉を告げる。イーリスも、一言も聞き漏らさぬよう静かに聴いていた。


「……君の事をずっと守っていきたい。ずっとそばにいて欲しい……駄目かな?」


 やがてノエルの告白が終わる。イーリスはしばらく何も言わずに黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。感無量と言った面持ちで。


「馬鹿……駄目じゃないさ……」


 やがてイーリスの瞳から美しい雫が零れた。


「必ずだぞ? 必ずワタシの事を守れよ……ずっとだからな?」

「うん……誓うよ。神でも悪魔でもなく、天使の君に……」


 それは、悪魔と天使という相容れなかった者が初めて心から結ばれた瞬間だった。

 天は高く、雲間からは美しく光が差して。

 天使の梯子と呼ばれるそれが、二人を優しく祝福していた。



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