表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
着ぐるみ魔王  作者: 蔵樹りん
第7章
17/20

第17話

「あ、あのねフローラさん……」

「なんですか? ノエルさん」


 にこにこしながら聞き返してくるフローラ。ここはいつもの魔王の部屋。時刻はすでに夜遅く、魔王のノエルも就寝の時間だった。そう、もうベッドに入る時刻なのだが……。


「な、なんでフローラさんまで、ベッドの中に入ってこようとするのさ……」


 フローラにお休みの挨拶をし、寝ようと思ったノエルに、なぜかフローラは追随してベッドに入ってこようとしたのだ。もちろんメイド服の姿のままで。


「あら、もちろんノエルさんをお守りする為ですよ? またいつあの天使が襲ってくるかわかりませんし」

「だ、大丈夫だよ、窓だって新調したんだし……」


 ノエルは窓に視線を投げながら答える。業者が去ったあと、一度試しにガラスを殴ってみたのだがびくともしなかった。当然、本当に割れたら困るのである程度は手加減したが、少なくともあのイーリスの攻撃よりも強い力で試してみたのは確かだ。だが、分厚い板は軽い振動を返しただけで、ヒビ一つ入らなかった。


「あんな頑丈なガラス、壊せる天使なんていないよ」

「あら、ひょっとしてご自分で試したのですか?」


 一瞬フローラの顔に怖い笑みが浮かんだような気がして、ノエルはぎくりとした。別に悪い事をしたわけでは無いのだが。


「い、いや、その。どれくらい硬いのか、ちょっと気になっちゃって。ついね」


 あはは、とごまかし笑いをするノエル。フローラはそんな彼をにこやかに見つめている。


 ――うん、何だか凄く怖い。


「と、とにかくこればっかりは駄目だから! 悪い噂が立っちゃうし!」

「私は構いませんよ? 悪い噂が立っても」

「~~!! だ、駄目なものは駄目です! 諦めてください!」


 顔を真っ赤にするノエル。フローラもそこまで本気では無かったのか、しぶしぶ引き下がる。


「仕方ありませんね……分かりました。今日のところは帰ります」


 ――今日のところは、か……。


 ノエルは気になるフレーズを耳にしたものの、何とか諦めてもらう事に成功して安堵する。


「ではおやすみなさいませ、主様」

「う、うん。お休み、フローラさん」


 優雅に一礼をして歩み去っていくフローラ。そして、ドアを開けて出て行く時の彼女の恐ろしい呟きがノエルの所にまで届いた。


「悪い噂が立つと困るのなら、最初から立てておけばいいんですよね……」


 ――いや、あの、フローラさん?


 ノエルの視線の先で、扉がフローラによって静かに閉じられた。ノエルは呆然としながら、最後に聞こえたそれが空耳である事を願った。



   ◇ ◇



 天界に浮かぶある孤島で、最近天使達の姿が多く見られるようになった。普段だれも住む者などいないただの浮島だが、彼女達はそれぞれ己の職務をこなし、黙々と働いている。指揮を執るのは、第七天使長シルヴィアだ。もっとも、近い内に部隊の再編成が行われ、彼女は七番目の天使長ではなくなるとのもっぱらの噂だが。


「さあ、急ぎなさい。あまり時間はありませんわよ!」


 彼女は天使達に対して声を張り上げる。浮かれた調子が出ないように注意して。表面的には、同じ天使長であったイーリスの処刑を、やむを得ない事だと受け入れているように見せかけていた。


 ――かつては人望が厚かったイーリスを処刑するのですから、楽しそうにするのはよくないですわ。


 そう自分に言い聞かせているのだが、唐突に湧いてくる笑みをかみ殺すのに苦労する。そんな時はうつむき、周りからその表情が見えないようにするのだ。きっと、何も知らない者達には、イーリスの処刑を悲しんでいるように見える事だろう。


 ――まったく、魔王さまさまですわね。神ではなく、悪魔に感謝する事になろうとは夢にも思いませんでしたわ。


 シルヴィアは実際に会った事もない、宿敵の魔王に対してすら優位な気持ちになっている自分を感じていた。モノクロの映像の中でイーリスにキスをされていた間抜けな悪魔の王。天使達は、恐ろしい恐ろしいと口々に言うが、一体どれほどの事があろうか。


 ――まあ、いつか戦う日も来るでしょうけど、この事に免じて命だけは助けてあげてもいいですわよ。魔王さん。


 ひとしきり心の中で魔王をこき下ろした後、シルヴィアは今やらねばならぬ事を思い出し、気持ちを入れ替えた。魔王の事は後。まずは処刑を滞りなく行うのが肝要だ。


 シルヴィアの指示が無い間も天使達はよく働いていたのだろう。何時の間にか、島の中心に大きな十字架が立てられていた。その白い磔柱をシルヴィアはうっとりと眺めた。これに張り付けられるイーリスの姿を早くも瞳の中に映して。



   ◇ ◇



「馬鹿野郎! これは間違いない情報だ!」


 軍議室の中に大きなだみ声が響き渡る。何の事はない、いつものゼイモスの与太話だ。周りの悪魔達もまたかと思ってほとんど気にも留めていない。運悪く話し相手として認識された一人の悪魔だけが、うんざりとしながら牙の生えているその口を動かした。


「はあ……全く何なんだよ……天使達の領地で何を見たって?」


 ようやく悪魔の関心が自分の方に向いたのを喜びながら、ゼイモスはこれまたいつもの、ヒヒッという醜悪な笑みを洩らして話を続けた。


「いや、俺様の直属の配下に遠目が利く奴がいてよお……なにやら変なものを見たっていうんだよ!」


 またお馴染みの、部下の手柄を転じて自分自慢か……悪魔は嫌そうにしながらも仕方なくゼイモスに話の続きを促した。


「だから……その変なものってのは何だって聞いてるんだよ!」

「何でもそいつの話だとなぁ……何やら大きな十字架だってんだよ! それが、天界の島の一つに立てられてるんだと!」

「はあ……? 大きい十字架? 何だ、そりゃ?」


 その質問、待ってましたとばかりに舌なめずりをして、にやにやと話を続けるゼイモス。


「へっへへ、お前知らないのかよ。そうだよな。まあ、魔界であれを知ってる奴なんてほとんどいないからな」


 ゼイモスに馬鹿にされるという屈辱に顔を赤くしながら、好奇心は抑えきれなかったのか、悪魔は声を荒げながら尋ねた。


「何だよ! もったいぶってないで答えろよ! そんなに大した話でもないんだろ!?」

「へへっ……それが結構大した話なんだぜえ? その十字架の正体はな……処刑台だよ」


 怖い話をする時のように、恐ろしそうな声色で話すゼイモス。だが、所詮ゼイモスなので、大した効果はない。


「処刑台? 誰が誰を処刑するってんだよ?」

「もちろん天使が天使を処刑するのさ! 理由は知らんがな! しかもここからがこの話の目玉でよ……」


 一旦言葉を止め、もったいぶるゼイモス。聞き手の悪魔も多少興味が出てきたのか、大人しくゼイモスが話を続けるのを待っている。


「その十字架に張り付けられているのは、黒髪の天使だそうだ!」

「黒髪の天使? おい、それってひょっとして……」

「そうだよ! あの第六天使長のイーリスって奴さ! 黒髪の天使なんてまずいねえからな……間違いねえ!」


 ゼイモスは得意そうにヒヒヒと耳障りな声を出す。相手が驚いている事に満足しているのだろう。ますます調子に乗った口ぶりで続けた。


「と言っても処刑の理由はさすがの俺でも知らんがな。でもあのイーリスが処刑されるってんなら、こっちにとってもいい事さ!」


 その時、入り口から突然入ってきた大きな影が、ゼイモスの首を掴み、宙吊りにした。そのゼイモスを持ち上げている太い腕は、怒りのあまりか小刻みに震えている。


「おい……! それはどういう事だ!?」


 突然の乱入者はこの城を統べる魔王だった。彼は、怒りに赤く輝く目でゼイモスを睨みつけ、声を震わせる。周りの悪魔達も騒然とし、魔王とゼイモスの両方に視線を投げかけている。


「ぐべぼぼっ!? ご、ごれは、魔王ざま! ご、ごぎげんうるわじゅう……!!」


 ゼイモスは自分がこんな目にあっている理由も分からず、吊られたまま挨拶をする。だが、もちろんそんな事を魔王が望んでいるわけではない。


「挨拶なんてどうでもいい! さっきの話だ! なぜイーリスが処刑されなければならないんだ!?」


 激情のあまり手に力が込もる魔王。ゼイモスは苦しみに悶えながらも魔王の問いに答えた。


「ぐぼがぼべあっ!! も、申し訳ありばぜん! 理由ばでばわがりまぜん! ただ、天界の孤島でじょげいがおごなばれるどいうごどぐらいじかっ!!」

「なんだと……!!」


 ますますゼイモスの首が力強く絞められる。ゼイモスが死を覚悟したその瞬間、魔王の手がゼイモスの首から離れ、彼はつぶれたヒキガエルのようにべちゃっと床に落ちた。周りの者達も魔王の怒りの原因に見当もつかず、遠目に見守る事しかできない。


 魔王はしばらくわなわなと震えていたものの、唐突に彼らに背中を向け、急ぎ足で軍議室を後にした。悪魔達はそれを唖然として見送った。





 ――そんな……イーリスが処刑されるだって!?


 早足で城内の廊下を進むノエル。その足取りは荒く、また速い。ノエルの足は、いつも彼が単独で戦場に向かう時によく使う楼閣を目指していた。そこには天使達の門と同じような、出撃用のカタパルトがある。

 もちろんそこから飛び立ち、イーリスを救い出すつもりだ。天界の奥深くまで行った事など無いし、さすがに今回は無事に帰れるかどうかも分からないが、じっとしてなどいられない。


 しかし、一体なぜイーリスは処刑されてしまうというのだろう。まさか、自分に負け続けたのが理由なのだろうか。もしそうだとしたら……。


 塔への入り口が見えてきたその時、ノエルの足が止まる。視線の先に、人影を見出したからだ。

 ここに来る事を予想されていたのだろうか。ノエルは驚きながらも自分を待ち受けていた者の名前を呼んだ。


「フローラさん……」


 つい、いつものノエルとしての喋り方をしてしまったが、幸いこの辺りに他の悪魔の気配はない。フローラもそれは知っているのか、特に気に留めないようだ。なぜか、胸にナナを抱いている。


「何があったのか大体理解しています。そして、ノエルさんがそれに対して一体どうするつもりなのかも」


 フローラは、とても悲しそうな、しかし強い意志の篭った視線でノエルを見つめながら口を開いた。魔王のプレッシャーなど全く意にも介していないかのように堂々と。


「分かっているのならば、そこを通してください。僕は行かないといけないんだ」


 もちろんノエルも引く気は無い。ノエルとしての口調で、今までフローラに投げかけた事のない厳しい声音で彼女を退けようとする。フローラも負けじと言い返した。


「さすがに今回ばかりはいけません。危険すぎます。天界の奥にまで入り込んで、無事に戻ってこれる保証なんてどこにもありません」


 フローラの言う事は正しい。実際、彼の魔王としての実力が、そのような場所にまで通用するかどうかは分からないのだ。だが、ノエルもそんな事で自分の意思を曲げはしない。


「フローラさんの言う通りだ。でも、僕はそう簡単にはやられない、心配しないで。僕はあの次元の裂け目からも逃げ延びた男なんだから……」


 フローラを安心させようと努めるノエルだが、彼女は首を振った。


「ノエルさんは天使を甘く見すぎです。今まで戦った事がある相手は、何だかんだ言っても所詮は天使長止まりでしょう? あまり自惚れないでください」


 もはや、メイドと魔王という身分の差も考えない、辛辣な言葉をノエルに投げつけるフローラ。ノエルも一瞬口ごもる。しかし例えそうだったとしても、ここで止める訳にはいかない。


「フローラさんの気持ちも良く分かるよ。でも、僕は必ず……」

「ノエルさんは私の気持ちなんて分かってませんっ!!」


 フローラはついに叫んでしまった。ノエルは何も言えず、戸惑ったようにフローラの顔を見た。彼女の瞳からやがて一滴の涙がこぼれる。


「そんなにあの天使が大事ですか!? ノエルさん、私の事を見てください! あの天使ではなく、この私を……!!」


 あふれ出す涙を拭う事もせず、思いの丈をノエルにぶつけるフローラ。ノエルとてもちろんフローラの気持ちは理解していた。だが、こんなに真剣に彼女の想いを考えた事があっただろうか。彼女の好意を理解しつつ、それに甘えていたのではないだろうか。フローラの涙を見ると、ノエルの心は痛んだ。


 フローラとイーリス。自分はどちらが本当に好きなのかという疑問を放置したまま過ごし、結局今この瞬間になっても答えは出ていない。彼女が涙を流すのは自分自身のせいなのだ。


 ――だけど、それでも僕は……。


 ノエルは一歩を踏み出した。


「ごめん、フローラさん……僕は愚かでフローラさんの想いにもしっかりとした答えを出さずに、そのままにしていた……はっきりとした答えを出して、今の関係が壊れるのが嫌だったから。僕がフローラさんを選ぶにしろ、あのイーリスを選ぶにしろ」


 少しずつ近づいてくるノエルを、フローラは涙を湛える瞳でじっと見ている。ノエルの言葉を一言も聞き漏らすまいと。


「そして、今でも結局答えが出せないままなんだ……僕はフローラさんが好きなのか、それともイーリスが好きなのか」


 ノエルはさらに歩みを進め、手を伸ばせばフローラを抱きしめられる距離まで近づいた。フローラはそんな魔王を見上げ、口上を待っている。ナナは近づいてきたご主人様にじゃれつこうと、フローラの腕の中でノエルに向かって前脚を伸ばしている。ノエルはフローラを見つめ、優しく自分の想いを告げた。


「その……僕はフローラさんの事が好きだ……でも、あの天使、イーリスの事もきっと、同じくらい好きなんだ。だから、今は彼女を助けに行く……それじゃ、駄目かな?」


 何も言わずにノエルを見上げるフローラ。やがて、彼女は俯き、ノエルに対して背を向けてしまった。


「駄目に決まってます……結局、次元の裂け目が発生した時と変わってないじゃないですか……」

「う……」


 涙混じりのフローラの指摘に小さく呻くノエル。実際彼女の言うとおりなのだから、反論など出来るわけもない。


「全く、ノエルさんは優柔不断過ぎます……そんな事では魔王なんてやっていけませんよ……」

「うう……」

「要するに、ノエルさんは女たらしなんですね……きっと私の他にも泣いている女がいっぱいいるんだわ」

「い、いや、その……」


 なんだかだんだんと愚痴っぽくなってきた。ノエルは言い返す事も出来ず、たじたじとなる。


「本当に……せっかく、ついに魔王様がフローラを毒牙にかけたという噂を広め始めたのに、意味がないじゃないですか……」

「ちょ、ちょっと待ってっ!?」


 なんだか凄く気になる発言をしたフローラに、さっきまでの雰囲気も忘れて慌てるノエル。背を向けたままのフローラは、そんなノエルの反応にどうやらくすくす笑っているらしい。やがて、彼女はゆっくりとノエルの方へと振り向いた。まだ涙の跡が残るその顔に笑みを浮かべて。


「ふふっ、嘘ですよ、ノエルさん。そんなに慌てないでくださいな」


 にこにことするフローラを呆気に取られて見つめるノエル。そんなノエルに対して、フローラは喝を入れるかのように言った。


「ほら、ノエルさんしっかりしてください。あの天使を助けに行くのでしょう?」

「う、うん……」

「もう止めたりはしません。早く行って下さい。ただ……」

「……?」


 フローラはそこで一旦言葉を切り、真剣な表情で魔王を見上げ、口を開いた。


「必ず無事に帰ってきてくださいね……私、待っていますから……」

「……うん! 必ず戻ってきます!」


 ノエルは力強く頷くと、塔へと駆け出す。

 やがて楼閣の頂上から彼は空高く舞い上がった。イーリスを救い出す為に。

 フローラは小さくなっていく主の姿を見上げながら、ぽつりと呟いた。


「まあ、さっき嘘ですと言った事も、実は嘘なんですけどね……」


 彼女の腕の中で、ナナがにゃあと可愛く鳴いた。まるで、お主も悪よのう、とでも言っているかのようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ