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着ぐるみ魔王  作者: 蔵樹りん
第6章
15/20

第15話

「ふう……」


 いつものように、部屋に戻ってドアに鍵を掛けてから、ほっと息を吐くノエル。


「あれで何とか誤魔化せたかなあ……」


 さっきのやりとりを思い出しながら一人呟く。


「やっぱり僕が帰ってきた事が残念だったんだろうなあ……ゼイモスさんは……」


 ――あれでしばらく大人しくしていてくれるといいのだけど。まあ、あまり持たないだろうな。懲りない人だし。


 何だかんだといっても、魔王とゼイモスの付き合いは長い。ああいうやり取りもいつもの事である。部下達の間でも、なぜあのお方はゼイモスなどを重用しているのかという噂をよくしているらしい。もっとも結論は毎回、最初に支配下に置かれた悪魔だからそれがずっと惰性で続いている、という事になっている。そして実際その通りではあった。


「よいしょっと……」


 これまたいつものようにマスクを引き抜き、置く場所を求めて首を動かす。


「マスク、お預かりします」

「うん。よろしくお願いします」


 自然な動作で自分に差し出された両手に彼はマスクを渡す。そのまま胴体から抜け出し背伸びをし……そして、何だかおかしな事態が発生していた事にようやく気がついた。

 ぎぎっと首をそちらの方向に向けるノエル。首が巡った先には、魔王の頭をいつもの隠し場所にしまっている者がいた。


「フ、フローラさん!? どうしてここに? か、鍵は……」


 驚きの余り、しどろもどろになっているノエルを尻目に、マスクを片付け終えた彼女はにっこりと微笑んだ。


「もう……大丈夫ですよ。まだ合鍵を作ったりはしてませんから。ただ単に先ほどの城門でのお出迎えの後、ノエルさんより早く戻ってきただけですよ。鍵はかかっていませんでしたからね」

「そ、そうなんだ……」


 フローラの説明の中に、なにやら恐ろしいフレーズがあったような気がしたが、ノエルはその点にはあえて触れないように努めた。それが現実になると、その、少し困る。


「それに、まだまだ言い足りない事がありましたからね……」


 そんなノエルに少しずつ近づいてくるフローラ。ノエルは気圧されるように後ろに下がるが、やがて何かに躓き、体勢を崩してしまう。お尻を受けとめる柔らかい感触。何時の間にやらベッドのところまで追い詰められていたらしい。もう、すでに立ち上がる事も出来ないくらいフローラは間近に迫ってきていた。ちょうど、今のノエルの目線はフローラの豊かな胸の辺りになる。ノエルは顔を赤らめながら、慌てて目をそらした。


「ノエルさん」


 上から掛けられるフローラの声。その声は何だか震えているように思えた。怒りで? それとも悲しみで?


「は……はい」


 目を上げる事も出来ないまま、おずおずと返事をするノエル。そんな彼を、とても暖かくて、柔らかい感触が包む。フローラの胸に頭が埋まる形で抱きすくめられた事に気付いたノエルは、顔から湯気を出しながらもがいた。


「ちょっ……!? フローラさん!?」


 じたばたとするノエル。もちろん、彼が本気になれば彼女の抱擁から抜け出すのは可能だが、ノエルにそれは出来なかった。続くフローラの声に、涙が混ざっている事に気付いたから。


「本当に心配かけて……ノエルさんはいけない主様ですね……」

「フ、フローラさん……」


 ぴたりと動きを止めたノエルを、フローラはさらに強く、優しく抱きしめる。


「ノエルさんが帰ってくる姿をこの目で見るまで、ずっと不安だったんですからね……もし戻ってこなかったらどうしよう、って」

「う……その……ごめんなさい……」


 フローラに初めて抱きしめられたあの日、泣いていたのは自分だった。だが、今はあの時自分を優しく抱擁してくれたフローラが逆に涙を流している。


 こんな時は、自分がフローラさんを抱きしめてあげるべきじゃないのか? とノエルは思ったが、それを実行に移す事は出来なかった。


 躊躇いの原因に恥ずかしいという感情も多分にはあったが、そうする事が出来ないもう一つの理由があった。それは、自分に彼女を抱擁する権利があるのか、という疑問が心の片隅にあったからだ。自分は確かにフローラの事が好きだ。だけど、それと同時にあの天使にも惹かれている。


 ――そんなこの僕に、フローラさんを抱きしめる権利があるのかどうか……。


 ノエルはそう悩みながらも、大人しくフローラにされるがままにしていた。フローラの涙はしばらくの間流れ続け、涸れる事は無かった。





 フローラが泣き止んだ後、二人は最近よくあるようにベッドに並んで腰掛けていた。ノエルの右手には主の帰りに気付いて出てきたナナが、頭を撫でられて嬉しそうにしている。そして、ノエルの左手には、フローラの右手が握られていた。正直恥ずかしいのだが、フローラがそれを望んだのだ。二人はしばらく他愛も無いおしゃべりをしていたが、やがてフローラの声音が少し真剣な物になった事にノエルは気付いた。


「ところでノエルさん、あの天使についてなんですけど……」

「は、はい」


 ノエルはその質問が来る事を覚悟していたが、やはり声が少しだけ小さくなるのを感じていた。


「一体何があったのか、ちゃあんと本当の事を言わないと駄目ですよ? 私の目を見てください」

「あう……わ、わかりました……」


 恥ずかしさに堪えながら、フローラの目を見るノエル。フローラの目は優しい光を湛えているが、何だか凄いプレッシャーを感じる。目をそらしたくなる気持ちが芽生えるのは、決して羞恥からだけではない。


「ええと、何から話せばいいのか……」

「全部です」

「は、はい……」


 ノエルは自分があの天使を、渦に飲み込まれそうになった所から救いだした事。そして、巻き込まれはしなかったが、やがて気絶し、墜落した大きなクレーターの中で彼女に自分の正体を知られた事を話した。もちろん、自分がなぜそんな恐ろしい格好をしているかについて彼女に説明した事も全部。もっとも、詳細な会話の内容は一部伏せたが。


「……ふうん。彼女にそんな事まで話しちゃったんですか……」

「は、はい。す、すみません」


 氷室のようなフローラの声に、ノエルは脊髄反射で謝罪した。フローラは凄く面白くなさそうな表情をしている。そこからは、先ほどのノエルが危険な行為をしでかした事に対する不機嫌さとは違う、別の理由によるものが感じられた。

 ノエルは何となく――そう、本当に何となくだ――彼女の不機嫌の理由が分かったような気がしたが、そこに突っ込むとますます怖い事が起きるような予感がして、あわてて説明を再開した。


「そして、その……しばらくはいろいろな話を続けたんですが……」


 最終的にノエルは、天界と魔界の境界線で最後に言葉を交わし、お互いに別れを告げたところまで語った。もちろん、最後にイーリスからキスをされた事は話していない。絶対に話せるわけがない。


「……ノエルさん。何か大事な事を隠していませんか?」

「なっ何も隠していませんよっ!! 絶対にっ!!」


 自分の手に冷や汗が浮かぶのを感じる。その手を握っているフローラにもそれは分かったはずだ。


 ――まさかこの為に手を繋いだんじゃないよな。という恐ろしい思考がノエルの頭に浮かんだ。そう、汗や生体反応で嘘を感知する手段として。特に体に感情が表れやすいノエルには効果が高そうだ。


「なんだかお部屋が暑くなってきたんでしょうか。ノエルさんの手に汗が滲んでいるみたいですけど」


 フローラは優しくノエルの手をぎゅっと掴んだ。だが、ノエルは巨大な力で自分の手が握りつぶされるのではという恐怖と戦っていた。それこそ先ほどのゼイモスのように。フローラはそんなノエルの恐怖に気付いているのかいないのか、にっこりと笑いながら続けた。


「おかしいですね、まだ窓は割れたままですし……風通しもいいのに」


 今頃になって、窓がまだ割れた状態になっている事にようやく気付いたノエル。床に散らばっていたガラスはフローラが掃除をしてくれたのだろう、綺麗に片付いていた。だが、窓の修理に気を回す余裕は今のノエルにはなく、いったいどうやってこの危機を乗り越えようかと考えるのが精一杯だった。


「本当に、他に何もなかったんですか?」


 顔に微笑を貼り付け、優しくノエルに聞いてくるフローラ。その優しい微笑みの下にいったいどんな感情が渦巻いているのだろうか。ノエルは必死で誤魔化そうと口を開く。


「ほ、本当に、何もなかったです……はい……」


 汗をだらだらと流しながらこんな事を言って、誤魔化される者などいるだろうか? しかしこういう言い逃れしか出来ないノエル。もし彼女から口付けされた事がばれたら……考えるのも恐ろしい。


 ノエルをじっと見つめていたフローラだったが、やがてほうっと息をつき、小さく呟いた。


「そうですか……分かりました」


 一体何が分かったのだろう? まさか隠している本当の事が分かったのだろうか? それとも、これ以上問い詰めても真実を言わないという事が分かったのだろうか?


 ノエルは軽いパニックを起こしながらも、ようやく彼女からの追求が止んだ事にほっとした。


「私も頑張らないといけませんね」


 ――い、一体何に対する決意なんだろう?


 ノエルは疑問に思ったが、また追求の手が伸びてくると困る。そのまま口を閉ざして待った。


 やがてベッドから降り立つフローラ。ノエルは、そっと安堵の息を吐いた。フローラは割れた窓の方へと近づき、ガラスの割れ具合を確かめ、やがてノエルの方へと振り向いてこう言った。


「この窓ですが、いい機会ですし、今度は魔界一強度が高いガラスに取り替えましょう」

「う、うん……」


 にこにこと微笑むフローラに対し、あいまいな返事をするノエル。


「それと開かないタイプの、一枚板の物にしましょうか。また侵入するものがあっては厄介ですからね」

「……う、うん……」


 ――それって僕の安全の為だよね? まさかあの天使と二度と会えないようにする為じゃないよね?


 疑惑がノエルの中に芽生えるが、そんな発言が出来るはずもなく、再び歯切れの悪い返事をするのが精一杯だった。


「窓ガラスの発注は私が責任を持って行います。取り替える日程が決まりましたらお知らせしますね」

「わ、分かりました……」

「それでは私はこれで失礼します。ごきげんよう、主様」

「は、はい……」


 フローラは優雅に一礼をして出て行った。それを見送る事しか出来ない部屋の主。柔らかな布団の上ではいつの間にかナナが寝息を立てている。


 君はのん気でいいなあ……と、ノエルは眠る子ねこのほおを軽く突付いた。





 やがて窓ガラスの納入の日が来た。目の前では業者の悪魔達によってガラスの張替え作業が行われている。椅子に腰掛けて作業工程をぼうっと見つめているノエルだが、仕事を監視されているかのような彼らはとても生きた心地がしない。ノエルが身じろぎをするたびに一々びくびくとしている。


 ノエルはやむなく沈思黙考しているかのように目を閉じた。魔王にふさわしそうなポーズを取りながら。もっとも、考えている内容はイーリスの事だったり、フローラの事だったりするのだが。


 彼女達に口付けをされた両の頬を意識するだけで、マスクの中の顔が熱くなる。フローラの気持ちはすでにノエルとて理解している。もちろん、自分がそれに対して明確な答えをまだ出せていない事も。


 けれど、イーリスの気持ちはどうなのだろう? あの時の口付けは一体どんな意味があったのだろうか。助けてもらった事に対するただのお礼? それともひょっとして……。


 ノエルの思考は堂々巡りだ。自分はイーリスとフローラ、どちらに惹かれているのだろう。頭がくらくらしてきたノエルは、つい目の前にある机を叩いてしまう。


 ――ダンッ!!


 ノエルは軽く叩いたつもりだったのだが、思ったよりも力が入っていたのだろう。大きな音が室内に響き、作業に従事していた者達がこちらを恐る恐る窺っているのが視界の端に入った。ノエルは慌てて取り繕う。


「気にするな。作業を続けろ」


 彼らは仕事に戻ったが、作業スピードが目に見えて上がった気がする。魔王様が作業の遅い事にお怒りだとでも思ったのだろう。

 まあ、早く終わる分には問題ない。ノエルは今度は何も考えないようにして作業の終わりを待った。




「あの……魔王様……作業が終了しました……」


 横から恐る恐る掛けられた声によって、ノエルはガラスの張替え作業が終わった事に気付いた。いつの間にかうとうととしていたようだ。


 ――変な寝言とか口走ってなければいいけど……。


 ノエルは寝ていた事に気づかれないように、何気なく作業者に話しかけた。


「む……そうか……どれ、ちょっと見てみるか」


 振り向いたノエルの瞳に彼らの不安げな表情が映る。おそらく、早くこの恐ろしい空間から立ち去りたいのだろう。ちょっと失敗したかなと思ったノエルだが、今更発言を取り消す事も出来ず、立ち上がり、窓辺に近づいた。


 取り替えられた窓ガラスは、周りに凝った意匠が張り巡らされ、魔王の部屋に存在するに相応しい威容を湛えている。そして一目で分かる板の厚み。確かにこれでは、ガラスを割って侵入するのは不可能に違いない。少なくとも、天使の力では……。


 ――やっぱりフローラさん、焼き餅を妬いてるのかな……。


 建前では魔王を天使の襲撃から守るという事になっているが、実際に魔王の部屋に侵入してくる天使などあのイーリス以外にはありえない。どう考えても、彼女が入ってこれないようにするピンポイントな対策としか思えなかった。


「……ご覧の通り、このガラスは魔界の中で最高の強度を誇る材料で作成されており……」


 耳に業者の説明が入ってくるが、右から左に聞き流しつつ、ノエルの思考は続く。


 ――といっても、イーリスが再び来るかどうかなんて、分からないよな……でも彼女はまた会おうって言ってくれたんだっけ……。


 あの時の言葉の意味。それは戦場で再びまみえようという意味なのか。それとも別の意味で?

 だが、もし仮にその別の理由でイーリスがまた魔王の城に来てくれるとしても、今度はこの分厚い障壁が彼女の侵入を阻んでしまうだろう。


「……我らの技術の賜物です。このガラスを破壊するのは何者にも不可能でしょう!」


 考え事を続けるノエルの側で、業者によるガラスの説明が続いていた。黙って聞いている魔王の前で段々気分が高揚してきていたのか、上気した声で説明を続ける悪魔。思考の最中だったノエルは、ぼんやりしながら彼のセールストークを反復した。


「……破壊するのは何者にも不可能……か」


 魔王の何気ない一言に、失言に気付いた彼は顔を青くしながら慌てて言い直した。


「も、もちろん魔王様は例外でございます! 魔王様に破壊できない物などこの世に何一つありませんです! はい!!」


 魔王が不機嫌になったと勘違いした彼は必死で弁解する。彼にとって、この場合必死という言葉は過言でもなんでもない。


 やがて彼にとっては長い沈黙が続いた後、魔王はゆっくりと向き直り、彼を見下ろしながら、一口でその頭を丸呑み出来そうなあぎとを開いた。


「よくわかった。ご苦労だったな」

「は、はいっ!!」


 背筋を伸ばし、返事をする彼とその仕事仲間。彼らは魔王の挙動に全神経を注いでいる。


「聞いていると思うが、報酬は担当の者から受け取れ、場所は……」

「い、いえっ!! こ、今回はサービスとさせていただきます!! 今後とも我らをご贔屓くださいませ!! それでは失礼いたします!!」


 すごい勢いで捲くし立てたあと、業者達は早足で部屋を出て行ってしまった。


 考え事をしていたために先ほどのやり取りに気付いていないノエルは、そんなに怖がらなくても……と落ち込み、後でナナに心を慰めてもらった。



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