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着ぐるみ魔王  作者: 蔵樹りん
第4章
10/20

第10話

「あの魔王がヘルハウンドを大量に飼育し始めた、ですって?」


 シルヴィアは部下の報告書にサインをしていた手を止め、聞き捨てなら無い情報をもたらした一人の天使の顔を見つめた。その天使は、自分が主人の関心を引ける情報を持ち帰れた事に満足を覚えながら、興奮冷めやらぬ様子で上申を続けた。


「はい……何でも魔王の城の、とある一画を埋め尽くすほどの魔犬の群れを、手ずから育てあげているとの噂です」


 シルヴィアは左手で頬杖を突き、右手に持った羽根ペンをくるくると回し始めた。これは彼女が考え事を始めた時の癖だ。配下の天使は彼女の沈思黙考を妨げぬよう、口を閉ざして上官の次の行動を待った。


 悪魔達の尖兵としてよく使われる地獄の番犬。その恐ろしい獣達を増産し始める理由。誰が考えても答えは一つしかない。


 だが、その答えの結末をただ見守るだけでは面白くない。出来る事ならば、これをさらに自分の為に利用できないものだろうか?


 やがてシルヴィアは天使らしからぬ酷薄な笑みを浮かべた。その笑みを部下に見られぬよう、顔を俯けながら。

 自分のにやけた顔が治まるのを待って、シルヴィアは顔をあげ、黙して待機している先ほどの部下に命じた。


「イーリスをここに連れてきなさい」

「は? 今謹慎中の、あのイーリス様でございますか?」

「そう、あの元第六天使長のイーリスよ」


 シルヴィアは『元』の箇所を強調して言った。ああもう、早く行きなさい。笑いがまたこみ上げてきちゃうでしょ。


 シルヴィアの心の声が聞こえたわけでも無いだろうが、彼女の部下は一礼すると、自分の主の部屋を出て行った。


「ぷぷっ!! あははははっ!! イーリス。貴方、名誉ある死を望んでいるのでしょう? 心優しい私がその願いをかなえてあげますわ!」


 一しきり笑った後、シルヴィアの目がすうっと細められた。止めの一撃をどこに打とうかと迷う、殺戮者のように冷たく。





「シルヴィアが呼んでいる、だと?」


 自室で謹慎処分を甘んじて受けていたイーリスだが、思わぬ来客と、その者が告げた用件に眉をひそめた。


「だがワタシは現在、上の命令に従って謹慎しているところだ。それに逆らうわけにはいかん。すまないがその頼みを聞く事は出来ないな」


 しかし、そんなイーリスに使者は冷たく反論した。


「お言葉ですが、今、貴方は天使長の階級を一時的に剥奪されています。ならば、シルヴィア様は貴方の上官。そして、これはシルヴィア様の頼みではありません。命令です」


 む……と唸るイーリス。だが、眼前の天使の言う事がこの場合正しいだろう。反発する気持ちを押さえこみ、イーリスは使者の後に従った。


 この時の彼女には分かるはずも無かった。もうこの部屋に二度と戻る事が出来ない、自分の運命を。





「命により、イーリス殿をお連れしました!」


 シルヴィアの部屋の中で、イーリスを連れてきた天使は胸を張って上官に報告する。シルヴィアは満足そうに微笑み、口を開いた。


「ご苦労でした。貴方はもう下がってかまいませんわ」


 彼女の部下は一礼し、部屋を出て行った。扉が閉じられ、静かな部屋の中で、第七天使長と、元第六天使長が向かい合う。先に口を開いたのはシルヴィアの方だった。


「こんにちは、イーリスさん。ご機嫌いかが?」

「最悪だな」


 彼女の嫌味に、イーリスが吐き捨てるように答える。シルヴィアは別に気分を害した様子もなく、にこやかに口上を続けた。


「あらあら、相変わらず口が悪いですわね。今となっては私は貴方の上官なのですよ?」

「確かに今現在、階級ではオマエの方が上になっている。だがワタシはオマエの直属の部下になった覚えは無い。一応、オマエの部下の顔を立たせる為に呼び出しには応えてやった。ワタシに何をさせたいのか知らないが、これ以上命令に従う義務は無いだろう?」


 言い捨て、踵を返そうとするイーリス。だが、シルヴィアはイーリスを従わせるカードを持っていた。必ず、彼女が食いつくであろう切り札を。


「うふふふ……私は貴方に、もう一度あの魔王と戦うチャンスを与えようとしていますのよ?」


 イーリスの動きが止まる。彼女はゆっくりとシルヴィアの方に向き直った。


「……どういう事だ?」


 シルヴィアの微笑みが一瞬醜悪にゆがむ。釣り針にかかった魚は大きい。あとはこれをとり逃さないようにしなければ。シルヴィアはしばらく勿体ぶった後、開口した。


「地獄の番犬、ヘルハウンドをご存知ですわね? 貴方は謹慎中だったから伝わっていないでしょうけど、最近になってあの魔王がヘルハウンドを大量に繁殖させつつある……という情報を掴みましたの」


 イーリスはシルヴィアの顔を睨みつけている。


 ――嘘を言っているとでも思っているのかしら? 全く無礼な奴ですわ。


 シルヴィアは内心毒突きながら、外面は聖者の笑顔で語り続ける。


「もちろん、その目的は戦争の際の兵隊とする事に決まっていますわ。魔王が直々に鍛え上げている地獄の番犬の群れ……これを殲滅できれば、あの魔王に一矢報いた事になるのではなくて?」

「……ふむ、悪くないな。だが、なぜワタシにやらせる? オマエの配下にやらせても問題ないはずだが?」

「何を仰るの? 私はただ貴方の仲間として、汚名を返上する機会を与えたいと思っただけですわ」


 白々しい事を言うシルヴィア。もちろんイーリスとてこんな戯言を信じるはずは無い。

 だが、イーリスは必ずこの誘いに乗るだろうとシルヴィアは確信していた。彼女は戦いの中に自分の価値を見出す者だ。その事を誰よりもイーリス本人が知っていた。やがて、黒髪の天使はこう答えた。


「……いいだろう。その命令に従おう」

「うふふ……貴方ならそう言ってくれると信じていましたわ。イーリスさん」

「おためごかしはいい。それからワタシの戦装束は返してもらうぞ。まさか裸で行けとは言うまい?」

「うふふふっ! それも少し見てみたかったですわね。でも安心なさいな。もう地下倉庫の番人に伝えてあります。貴方の装備は好きにしてもらって構いませんわ。もちろん門の使用も認めます」

「ふん、手回しのいい事だ」


 イーリスはシルヴィアに背を向け、歩きだした。

 別に彼女が何を企んでいようと構わない。むしろ、あの悪魔に一矢報いるチャンスが出来た事にイーリスは感謝すらしていた。


 シルヴィアはうっすらと笑みを浮かべたまま、イーリスが消えた後の扉をしばらくの間見つめ続けていた。





 天使達の住むまばゆいこの城にも、光の届かない場所はいくつか存在する。イーリスが訪れたこの地下倉庫もその中の一つだ。彼女は倉庫の番人に用件を伝え、自分の装備を取り戻す。


「まさか、こんな事になるとはな……」


 イーリスは防具を身につけながら一人呟く。久しぶりに纏う白い戦装束は、やはり身体になじむ。もはや着用する時に姿見を確認する必要もない。最後のパーツを身につけ終わると、彼女はこれも使い慣れた自分の細剣を手にした。


「ひょっとしたら、これが最後の戦いになるかもしれん。頼むぞ、相棒」


 彼女は刀身に口付け、鞘に収めた。

 相手はあの恐ろしい魔王だ。戦いを挑んでもおそらく今まで通り、手も足も出ないだろう。しかし、地獄の番犬を増産するという計画を阻止できれば、少なくとも奴の鼻を明かす事が出来る。あの傲慢な態度を打ち崩す事が出来る。

 もちろんその暁には、奴も自分を今までのように見逃しはすまい。だが、それでもいいのだ。


 この薄暗い闇の中で、イーリスの姿は小さく、だが気高く輝いていた。

 やがてその光は城を飛び出し、雲を突きぬけ、ただ一直線に進んだ。魔王が住む漆黒の城を目指して!





「ふふっ、今日は何やら嵐が来そうですわね。何事もなければよろしいのですけど」


 窓の外に目を向けながら囁かれた上品な声は、まさしくその何事かを期待しているとしか思えない音色を持っていた。

 彼女は羽根ペンを机の上に置き、背中を震わせる。イーリスを前にしてずっと押さえ込んでいた感情が間欠泉のように湧き上がって来たのだ。


 しばらくの間、第七天使長の部屋を哄笑が包んだ。



   ◇ ◇



「天使が一名、この城に向かっているだと?」


 玉座の間に、聞く者に恐怖を抱かせるおぞましい声が突きぬけた。それだけでこの広間に立つ者達は竦みあがってしまう。

 だが一番震えているのは、その声を発した魔王の前にひざまずき、事態を注進している彼の部下だ。怯えながらも主の機嫌を損ねぬように、はっきりとした声で報告を再開する。


「は……はいっ……!! 物見部隊の報告によりますと、向かってきている敵はおそらく、あの第六天使長かと」


 ――第六天使長! それはあの黒髪のイーリスだ!


 魔王こと、ノエルの心は弾んだ。だがそれを部下達に悟られる訳にはいかない。ノエルは不機嫌を装い、豪華な椅子にふんぞり返って尊大に言い放つ。


「ふん……今まで生き残れていたのは俺が手加減をしてやっていたからだというのに……慢心でもしたか。愚かな奴だ」


 自信にあふれる魔王の言葉。それに追従するかのように、列の後方にいた赤い悪魔が慌てて踊り出て揉み手をしながらこう言う。


「い、いやいやいや、全くその通りでございますな! あの女ときたら、魔王様の温情も理解せず、またもこのような事をしでかすなど……本当に馬鹿な奴でございます!!」


 先ほど自分が言った事とはいえ、イーリスを馬鹿にされてカチンときてしまうノエル。だが、やはりそれを周りに気取られる訳にもいかず、吐き出す声の中に傲慢さを織り交ぜてさらに言い募る。


「その通りだ……そろそろあの女にも、自分の愚かさを思い知らせてやるべきかもしれんな……!」


 心の中で、ごめんなさい、イーリス……と謝るノエル。そんな事がもちろんゼイモスに分かる訳も無く、彼はさらにおべっかを述べ始めた。


「へっへっへ……もちろんでございます……あのクソ生意気なアマに貴方様のお力を示してくださいませ!! きっといい声で鳴く事でしょう!!」


 魔王の牙がギリ……と鳴る。それはもちろん、ゼイモスに対する怒りのあまりに歯を食いしばったノエルの口から漏れた音だ。

 だが配下の悪魔達は、きっと偉大な我等の主が戦いを前にして高揚している自分を押さえ込んでいるのだ……とざわめき、恐れおののいていた。

 ……ただ一人を除いて。


「にゃあにゃあにゃあ」


 広間がいきなり水を打ったかのように静まり返った。そして、その場にいる全ての悪魔がおかしな声を発した者の方に振り向いた。悪魔達は驚愕を顔に貼り付けて。ノエルは冷や汗を滝のごとく流しつつ。


 皆の視線の先には、メイド長のフローラがいた。彼女はにこにこと微笑んでいる。悪魔達は、彼女の先刻の言語と、今の笑顔の意味が分からずに再びざわめき、ノエルはその笑顔に秘められた何かを感じ取って恐怖していた。


 全員、フローラの続く言葉を待つが、彼女は何も言わない。ノエルはおずおずとフローラに話しかけた。彼女の発言に不機嫌になった魔王、という演技をして。


「フローラよ。今の発言はどういう事だ? 何の意味がある?」

「あら、申し上げてもよろしいのでしょうか? 主様?」


 フローラの揶揄するかのような物言いに、再び周りの悪魔達がざわめく。何と恐れ多い事を言うのだこの女は? ついに魔王様の恐ろしさに当てられて、おかしくなってしまったのか?


 部下達のどよめきを片手を上げる動作だけで黙らせ、フローラを睨みつける魔王。しかし実際は、ノエルの方がパニックを起こしかけていた。


 ――ど、どうしよう、どうしよう……そうだ! と、とりあえず二人で話をしよう!


「ふん……本来ならばメイドの戯言など聞き流すところだが……よかったな、今日は寛大な気分なんだ……後で俺の部屋に来い……それからお前たちも仕事に戻れ! 解散だ! あの天使についてはまだ城にやって来るまで時間がある。もう少し近づいたら再度知らせろ!」

「は、はいっ!」


 魔王の大声におっかなびっくりのゼイモスは、ピンと背筋を立てて返事をする。ノエルは玉座から立ち上がって階段を下り、そのまま部屋に向かって歩きだした。背中にフローラの視線を感じ、びくびくとしながら……。


 残された悪魔達はフローラに関わりたくないのか、皆こそこそと出て行った。他のメイド達も複雑な表情をしていたが、やがて自分達の仕事に戻って行く。さすがに彼女に事情を問いただす度胸のある者はいなかった。


 一人取り残されたフローラ。しばらくして彼女の口から漏れ出た声が、誰もいない広間を漂った。ノエルさんが悪いんですからね……と。



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