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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第一章

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 しばしそうしてじっと遠くを見ていた柚子がコウジに視線を戻した。そしてぎゅうぎゅうとコウジの手を握りしめていることに気づき、ぽ、と赤面し手を放した。


「ぶ、無事でよかった」

「ありがとう。――その、助けてくれて」


 あの仔熊が親熊を呼んでいたら無事ですまなかったであろうことはコウジにも容易に想像がつく。空気だけでなく森の木々、地面まで震わせるような咆哮だった。


「もう帰ってしまったかと思ったのだけれど――」


 柚子が苦笑した。


「これがそわそわするものでな」


 足下に仔犬が座っている。三つ頭を揃えてじいっとコウジを見つめ、しっぽをぷるぷると振る。コウジは身をかがめ、


「ありがとね」


 と声をかけ、三つ頭をそれぞれになでた。邪念怨念がこめられていそうな隈取模様なのに、なでられてくふん、くふんと目を細めて喜ぶさまが仔犬らしくあどけなく愛らしい。

 柚子は巨大な犬の胴輪を外し、バギーから大きな洗面器のようなものを取り出し、革袋に入った水を注いだ。


雷切(らいきり)、よう走ってくれた」


 がふがふと三つ頭交代で水を呑む巨大な犬の胴体をぽん、ぽん、とたたき、(ねぎら)う。



 親犬が仔犬に毛づくろいしてやる様子を眺めながら、コウジはいたたまれない思いに苛まれていた。


「何か――手伝うこと、ある?」

「うん。そうだな、天幕の設営は――いや、いい」


 柚子はコウジのきょとんとした顔を見て、途中で口をつぐんだ。そしてバギーの荷台から棒やら布のようなものやらを運び出し、てきぱきと組み立て始めた。手際がいい。


「そうだ。石を集めてくれ。――これ、こういうので、濡れていないものがいい」


 柚子はそう言うと、足下に転がる大きな石を拾い、コウジへ差し出した。受け取ると、ずっしりと持ち重りする。


「かまどを作る。数は多いほうがいい」

「分かった」


 小ぢんまりした円錐形のテントを張り終えた柚子がやってきて、いっしょに石を拾ってくれる。そうしてテントに続き、かまどの設営もできた。コウジが物珍しさにきょろきょろしているうちに柚子は火を熾し、湯を沸かし始めた。作業がひと段落したようだ。コウジは柚子の隣に腰を下ろした。


「もう、ここにはいないと思っていたのだがな」


 炎から目を離さず、柚子がぽつり、と漏らした。


「うん。――帰り道が分からなくなっちゃったんだ」

「そうか」


 柚子が微笑んだ。えくぼのできた頬を焚火の明かりがゆらゆらと照らす。


「我はうれしい。少々――名残惜しかった」


 ぼくも、と答えたコウジの小さな声が届いたかは分からない。



 二枚下ろしにされた大きな魚の干物を焚火で炙る。柚子が干物をちぎり、ハーブソルトのようなものを軽く振ってコウジに手渡す。炙られて弾けた脂と塩が口中で魚の身の旨みと一体となる。素朴だけどうまい。他に芋を蒸し焼きにしたものとハーブティーのようなもの、それだけだったがコウジは勧められるまま食べた。


「おいしいね」

「口に合ってよかった」


 三頭犬の親子も魚の干物をむしゃむしゃと食べている。


 食器をまとめた柚子のあとをついていくコウジのあとを、仔犬がちょこちょことついてきた。

 静かな森の奥から微かに水の音がする。しばらく歩くと、地面がやわらかな苔に覆われた場所に出た。岩から水が大量に湧きだし、小川ができている。湧水口から少し離れた場所で皿洗いを始めた柚子に(なら)い、コウジも手伝った。痺れるほど水が冷たい。

 一度、仔犬が湧水口に近いところで水遊びをしようとした。柚子が立ちあがり、仔犬の首根っこをわし、と掴んで湧水口から遠ざける。


「こら。水の湧き出るところを汚してはいかん。遊ぶならもう少し下の方にせよ」


 ゆっくりと言い聞かせる。人間の言葉が分かるのかな、という疑問がコウジの顔に出ていたらしい。


「名をつけてやればもっと聞きわけがよくなるはずなんだが――まだ幼くてな」

「名前、まだないの?」

「うむ、まだない」


 仔犬の隈取カラーリングの三つ頭が揃ってじっとコウジを見上げる。口を開けて舌を半ば出し、はふはふ言いながら尻尾を振っている姿は機嫌のよい笑顔にも、「お前を呪ってやる」という邪悪な笑みにも、そして単純に何かを期待しているようにも見える。

 将来、あの迫力満点の親犬のように大きくなりそうだ。三つ頭の隈取カラーリングも地獄の番犬ケルベロス風に成長した姿とマッチするだろう。鬼熊の仔とコウジとの間に割って入ったあの時、森から飛び出してきた姿は銀色の疾風のようで、鋭く、そして頼もしかった。だからかもしれない。ふ、と降って湧いたようにコウジの脳裏をイメージが過った。


「じゃあ、吹雪丸というのはどう?」

「え? ちょ……」

「わふ! わふわふ!」

「お、うれしいか、そうかそうか! お前の名前は吹雪丸だ」


 足にまとわりつく吹雪丸を抱き上げ、コウジは頬ずりした。そして先ほどの柚子の真似をしてゆっくりと語りかけた。


「吹雪丸、柚子の言うことをちゃんと聞くんだ。柚子の言いつけをしっかり守ること。柚子の家族を守ること。――いいな、吹雪丸」

「わふ! わふわふ!」


 あ、あ、と背後で柚子がわなわなしている。吹雪丸を抱いたコウジが振り返ると、柚子が困ったように笑った。


「――あれ? いけなかった?」

「ちょっと――困るが、まあ、結果よしとしよう。これもコウジのつけてくれた名が気に入ったようだ。なあ、吹雪丸」

「わふ!」


 よくよく考えればよそん家の仔犬に勝手に名前をつけてしまったわけだ。コウジは慌てた。


「柚子、ごめん」

「いや、かまわない。――吹雪丸か、良い名だ。強い女にふさわしい。な、吹雪丸」


 仔犬とじゃれる柚子の嬉しそうなようすに見惚れてしまい、コウジはとっさに問い返すことができなかった。

 吹雪丸はメスなのか。強い女にふさわしいってどういうこと?


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