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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第五章

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十五

 快晴。秋の陽光は和やかだ。がらんどうの部屋に涼風が渡る。白いカーテンが大きく膨らみ、しぼむ。

 靴を履く。馴鹿(じゅんろく)のコートを羽織る。空の背嚢(はいのう)を肩に掛ける。コウジは空になったクローゼットの扉を閉めた。庭から母親が孫たちと花壇を囲むにぎやかな気配が伝わってくる。生まれてから今まで暮らした家。ともに育った姉たち。父親が亡くなり、入れ替わるように姪っ子たちが生まれ、楽しいだけではなかったけれど思い出深い。


「多美姉」

「なあに?」

「多美姉が同居を決めてくれて、よかった」

「そう?」

「うん。母さんをよろしくね」

「コウジ?」


 部屋のすぐ外、廊下で多美が居心地悪げに足を踏み換えている。

 コウジは窓から差し込む陽光に目を細めた。

 目の前にがさがさした道のようなものがある。それは窓や家の壁を突き抜け外へ、虚空へと伸びている。白いカーテンが大きく膨らんだ。

 コウジは窓へ向かって一歩、また一歩足を踏み出した。


――ぶ……ん。


 身体のまわりで小さく渦を巻くように何かが振動する。振動同士が共鳴し合い揺れが大きくなりがくり、と膝から力が抜ける。そして


――ぶ……ん。


 空気が震えた。



     *     *     *


「コウジ――!」


 踏み込んで多美は自分の声に驚いた。


――今わたし、何て言ったの……?


 部屋はがらんどうで開け放した窓からさんさんと陽光が差し込み明るい。白いカーテンが風をはらみ呼吸するようにゆったり大きく膨らみ、しぼむ。

 部屋には誰もいない。そんなことは最初から分かっていた。分かっていたはずなのに――。


「多美?」


 夫が部屋に入ってきた。腕の中で次女のみふゆがぐずっている。


「どうした、大きな声なんか出して」

「分からない」


 ここは亡父の書斎だった。遺品を整理していずれ子ども部屋に――だから片付いていてもおかしくない。全然おかしくない。

 みふゆが窓を向いて


「あー、あ――あああああああ」


 泣きはじめた。よーし、よしよし、と夫がなだめてもおさまらない。困った顔をする夫に代わり多美はみふゆを腕に抱いた。普段のぐずり方と違う。不満や不快、苦痛でなく、赤ん坊は悲しみを訴えているように見える。


「なんだろう。分からない。だけど今わたし――大切なものを失くした気がする」


 腕の中の赤ん坊に頬ずりしながら多美は窓を見た。庭から子どもたちと老母の笑い声が聞こえる。こんなに明るく幸せなのに身を切られるようにつらい。



     *     *     *



 多美が自分を呼ぶ声が遠くなる。

 いつもと違う。がさがさした何かは水平方向の道でなく、滝の中に空いたチューブ状のトンネルのようだ。そのトンネルの中をコウジは落ちていく。頭上高いところで、世界が閉じるのが見えた。


――さようなら、ぼくの世界。



 コウジは道を踏みはずした。


――ぶ……ん。


 周りの空気が振動している。空気だけでない。コウジの身体も振動している。身体の随所に触れた小さな振動同士が干渉しあって大きな波になり一気に身体すべてを揺らした。振動のチューブを滑り落ちてコウジは世界が開いたのを感じた。

 どさり、とコウジは放り出された。身体の周りには振動がまだ渦巻いている。だんだんと弱まりつつある渦の中に突然、腕が伸びてきた。その腕がコウジの胸ぐらをつかみ、力強く渦から引きずり出す。


 地味なニットの帽子から明るい金色の髪が躍り出るようにこぼれている。きりりとした眉が僅かに顰められ、はちみつ色の瞳に感情が揺れる。


――ああ、間違いない。


 まぶたの裏に刻まれた亡くなった恋人の面影とよく似ていて、それでいてまるで違う。


「橘」


 コウジは目の前の美しいひとを抱きしめた。


「私をひとりにしないでくれ、コウジ」

「もうどこにも行かないよ、橘」


 一緒にいたい。好きだと言いたい。また会いたい。言えないと思っていた気持ちを伝えたいから帰ってきた。

 背後で(わだかま)る気配、がさがさとした道のようなものが薄れ消えていくのをコウジは感じた。


「ありがとう、橘」

――ぼくのことを憶えていてくれて。


 自分の道、人生をこの世界でひらいていく。

 額。頬。唇。コウジは橘にくちづけた。やわらかくあたたかく、吐息が絡む。


 森の縁、地面を這うようにして生える丈低い木に、釣鐘のような小さな白い花が頬を寄せ合うように咲いている。森の中を風が渡る。木々がまばらになったあたりにたくさん咲くその花々が一斉に首を振る。森の中にしゃらら、と花の形をした小さな鐘が一斉に鳴る音が満ちる。

 ひんやりとした空気を陽光がほんのりとあたためる。ナラクシティの森に春が来た。



(続く)

これにて第五章終了でございます。第六章連載再開までしばしお時間くださいませ。


<追記>

……というつもりだったのですが思いのほか多忙になってしまい新章再開の目処が立ちません。いったん完結にいたします。お読みくださいましてありがとうございました。

いずれ続編で。またお会いしましょう。


<さらに追記>

2015年3月16日に続編『そしてぼくは道を踏みはずす (二)』( n7063co )連載開始しました。今後もどうぞよろしくお願いいたします。


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