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 どうしたものか。

 名残惜しく柚子と別れた後、コウジは困っていた。いつもなら膝かっくんみたいに道を踏みはずした後、すぐに出てくるがさがさした道のようなものが見当たらない。この世界に来た時に頭を打って昏倒したのがいけなかったんだろうか。昏倒している間にがさがさした道のようなものが時間切れで消えてしまったんだろうか。今まで道を踏みはずした先の世界で昏倒したこともなければ、人間と出会ったこともない。


 このままこの世界にとどまるんだろうか。


 森の中にぽっかりと空いた日当たりのよい広場のような場所で、コウジはぽつねんと独り膝を抱えて座っていた。

 森の縁、地面を這うようにして生える丈低い木に、釣鐘のような小さな白い花が頬を寄せ合うように咲いている。木々がまばらになったあたりにたくさん咲くその花々が風に煽られ一斉にしゃらら、と音を立てるような気がする。


 元の世界に還ったら――。


 森の中を風が渡る。白い釣鐘のような花々が一斉に首を振る。森の中にしゃらら、と花の形をした小さな鐘が一斉に鳴る音が満ちる。


 コウジはため息をついた。

 うまく元の世界に還ったとして、あの屈辱的な面接の場面に戻ると言うことになる。あの後、自分なりにベストを尽くすとしても、コミュニケーションを取る努力をするとしても、とても後味の悪いひとときになるのは間違いない。

 こういうことをあと何回繰り返せばいいんだろう。何を、どうすればうまく行ったんだろう。そもそも、うまく行くってどういうことだろう。

 コウジの頭の中に後悔と失意と混乱とがじわりじわりと満ちる。


 いっそのこと、ここに残ってしまえば――。

 向こうに戻ってもどうせうまく行かないのだし。


 森の中を冷たい風が渡る。花の形をした小さな鐘がしゃらら、しゃららら、と音を立てる。


 ふ、と気配を感じてコウジが顔を上げると、木の陰に子どもが立っていた。

 ヒトの子どもではない。腕から肩にかけて、そして脚、耳と目の周りがくっきりと黒い熊。ふわふわの白黒ツートンカラー、カラーリングだけでなくおちゃめな仕草で大人気のパンダだ。パンダなんだと思う。どこかが動物園で人気の愛嬌ある希少動物と違う気がするのだが。


「こんなところに、パンダ?――」


 少し離れたところで二本足で立っていた仔パンダは、四つん這いになると幼獣らしいあどけない足取りで近づいてきた。距離を詰め、安全圏ぎりぎりの位置にやってきた仔パンダはコウジを見つめて首をかしげた。角度が変わった時、目の周りの黒い模様に隠れていた目がちらりと見えた。垂れ目のように見える模様なのに実際の目はつり上がって小さく、その鋭い瞳の奥に赤い炎が不思議に燃えている。その炎に魅入られたコウジはゆっくりと仔パンダに手を差し伸べた。


「わふ!」


 がさがさと茂みをかき分け、三つ頭の仔犬が飛び出してきた。三つ頭のうちのひとつがコウジの手を甘噛みする。


「ど、どうしたの」


 反射的にコウジが手を引っ込めると、仔犬は振り返り、仔パンダと対峙した。太い足で地面を踏みしめ、三つの頭、耳すべてを仔パンダに向けて低く唸りだした。仔犬だが、こちらは仔パンダと違って迫力ある隈取模様だ。鼻に皺を寄せ、牙と目を剥く警戒の表情が怨念を体現しているようにも見える。

 しかし、体格差が大きい。ちょっかいを出して怪我をしたら大変だ、と仔犬に手を出そうとしたところ、仔パンダの目がまた光った。


「コウジ、触るな! 手を出しては駄目だ」


 背後遠いところから柚子の叫ぶ声が聞こえた。同時に、森から大きなものが飛び出す。


「牛?」


 違う。頭が三つついている。牛よりも大きな三頭犬だ。

 バギーのような乗り物を牽いた大きな三頭犬は広場の真ん中に飛び出すとぴたりと止まり、


――おお、おおおおおおおおお。


 あたりの空気すべてを震わせ、吼えた。

 後輪で大きく円を書きながら滑り、車体を揺らし停止したバギーから柚子が飛び降りた。走りながら弓を片手に握り、(えびら)から矢を引き抜く。コウジから少し離れたところで立ち止まった柚子が弓を構えた。


()ね。()く去ね」


 矢が狙うのは仔パンダだ。仔パンダはコウジに目を据えたまま、動かない。小さく鋭い目の奥に赤く禍々しい炎が揺れた。

 そこへ


――ごお、おおおおおお。おおおおお。


 遠くから大きな音が聞こえてきた。大きな三頭犬の咆哮より大きい。背筋が震えるような叫びなのに生き物の発する声でなく、電車や飛行機の轟音のような無機質な響きがした。

 仔パンダが視線を遠くへ向ける。目から禍々しい炎が消えている。くるりと向きを変えると仔パンダは森の中へ消えて行った。


「コウジ、大丈夫か」


 柚子が駆け寄り、コウジの手を取った。


「触ってない?」

「あの仔熊に、ってこと?」


 柚子は真剣な表情でうなずいた。


「あれは鬼熊の仔だ。親を呼ばれてはかなわん。それに」


 柚子がコウジの手をぎゅ、と握る。冷たかった表情ががらりと変化して、見上げる柚子の目にコウジを気遣うあたたかな色が見える。コウジはどきどきした。


「鬼熊はただの熊じゃない。印をつけられると厄介だ」

「印?」

「どこまでも追いかけてくる」


 柚子は厳しい目を仔パンダ、もとい、鬼熊の仔が去ったほうへ向けた。


箙 (えびら):

矢を入れて肩や腰に掛け、携帯する容器のこと。靫(うつぼ、ゆぎ)とも呼ばれる。

(ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%99 より抜粋)

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