十八
* * *
狩りは成功裡に終了した。勢子や救助係の兵たちも陣に続々と集まってきている。途中、想定外のトラブルが発生し怪我人が出たが、死者はいない。陣は互いの無事を喜びあう女たちの和やかな雰囲気に包まれた。
雪の上で橘はへなへなとくずおれた。隣で紫五家の若衆がぐったりとへたりこんでいる。
「ほんとうに、ありがとうございました」
「――ああ、雪原の。気にしないでくれ」
紫五家の若衆は首をかしげて心ここにあらずの橘を見つめた。
「何か気がかりでも?」
「ああ、いや。ちょっと気が抜けただけだ」
橘はシティの方角に向けていた視線を黒髪の女に戻した。
――すまん、しくじった。皆にシティの非常事態を。
長のその言葉を耳にしただけで橘は実際に何が起きているか知らない。祖母は、党の皆は、
――マレビトは。
無事だろうか。橘は狩りの成功に沸く陣の中心にいる王へ目をやった。
「ようやった、よい狩りであった」
喜びの声をかけてくる兵たちに笑顔を返しながら王は濃いグレーのバイザーの影でキ神と通信していた。
――計算資源を可能な限り医療部へ。
晴れやかに笑む王の唇が震える。
* * *
しゅこー。しゅこー。しゅこおおおお。防護服の呼吸器は息が詰まる。しかし呼吸が浅くなっていても牛頭翁はため息をつかずにいられない。
「あー、はいはい。仕方なかろう、今は」
はじめは恫喝めいていた囚人たちの訴えだが、だんだんと泣きが入ってきた。安いとはいえない預かり料金を支払ってでも、何なら上乗せしてもいい、と押し付けられた彼らは人類拡散連盟各地でお荷物になっていただけあって手がかかる。
感染症の原因となった病原体を作り出した白猫囚人の独房は、本人のコミュニケーション嫌いからか、山猫囚人たちの協力によるものなのか、他の囚人から隔離されていた。
しゅこおおおお。牛頭翁は白猫囚人の独房を前にため息をついた。
「うむ。それにしても囚人の管理が行き届いてないな」
看守の虐待の痕跡があるわけではない。放置されすぎているのだ。
白猫囚人の独房には冷蔵庫や検査機器、情報端末、実験器具などが所狭しと並んでいた。牛頭翁はしばらく前に耳にした噂話を思い出した。
――なるほど。馬頭の若頭領への遠慮を理由にしたサボタージュか。
職業倫理の不足もあるが、それだけではこれほどの器具、機械が看守の目を盗んで搬入されたことの説明にはならない。保育所や囚人房の維持管理に牛頭党馬頭党の幼年体が駆り出されていることからしても人員不足は否めない。
「囚人の選別基準を見直すか」
試験的に囚人房の外で過ごす時間の多い者とそうでない者に分けているが、いずれ囚人の中から準ナラク国民として正式に受け入れるために体制を整えなければならない。
「どうにかする――にしてもどこから手をつけたものか」
しゅこおおおお。目の前の独房からの情報収集、ナラク王国の政治、いずれともとれるぼやきだ。牛頭翁はため息をついた。
――あー。俺、忙しいんだけども。
そう言って拒否したかったが牛頭翁は懇願に応じた。呼びに来た猫頭の囚人は感染症の発疹でぼこぼこになった顔に埋まりかけた目を涙で曇らせている。
「もう手がつけられないんで」
「縛り付けておけと言ったはずだが暴れたか」
「それはやってるんで。――もうオレ、見てられない」
めそめそする猫頭の囚人自身も高熱と発疹の痒みで辛いはずだがそれどころでないということか。牛頭翁は伴われて囚人房の一室に近づいた。
「――! ――!」
呻き声が独房の外まで漏れている。牛頭翁は足を止めた。目を潤ませしょぼつかせる猫頭の囚人が掌を上にすす、と独房の入り口を示す。
「オレらもがんばったんでさ。でもこれが精一杯で」
しゅこおおおお。嫌な予感がする。しかし今更引き返すわけに行かない。牛頭翁は独房へ足を踏み入れた。
「んんん、んん! ふがんん――ん、んんん!」
「なんだ、これは」
「んふ、ふがんんん――!」
山猫囚人が丸い腹を上にして寝台に寝ている。いや、転がされている。雁字搦めに縛られた山猫囚人が、釣り上げられた魚のようにびちびちと跳ねている。獰猛でワイルドだった山猫顔、その口には穴のたくさん開いた玉が噛ませてあり、頭部にくくりつけられている。
「オレら、考えたんで。お頭がぶつぶつを掻き壊さないようにって。でも――」
「そうか」
考えた結果がこれか。まるまるとした腹、肥った身体に這う縄目。呼吸を妨げずしかも舌を噛まないようにと選ばれた玉状の口枷。なんと屈辱的な。
「でも――お頭がこんなに苦しそうで……!」
「お前ら分かっててやってるんじゃないのか」
山猫囚人を拘束しているみょうちきりんな道具はなんだ。
しゅこおおおお。
――誰が囚人に縄など、と思ったがまさかあの方の遊び道具か。
その奇矯な道具が先王のものである可能性に思い至り、牛頭翁は防護服越しに頭を抱えた。
「祭りが終わったらちゃんと医療部が診察するから。いつ終わるかってそれは――」
牛頭翁がこめかみに指を当てようとして防護服のマスクに触れた。
――狩りは無事成功したか。
各党の長、王と先王宛てにキ神経由で報せが届いた。牛頭翁は陣で軍配を握っているであろう恋人に思いを馳せた。
「牛頭のだんな、ほんっとにもうオレらの手に負えないんで」
猫頭の囚人の愁訴が牛頭翁を物思いから引き戻す。
しゅこおおおお。牛頭翁が大きな鼻の穴で太いため息をついた。
「狩りが終わった。これから微細病原体の分析作業が始まる」
「じゃ、じゃあ……!」
猫頭の囚人の顔がぱあっと明るくなった。
「すぐにどうこうなるわけではないが、医療部がなんとかしてくれるだろう。しばし待て」
いくぶん気が楽になったらしい猫頭囚人と、ベッドの上でびちびち跳ね続ける山猫男を残し、牛頭翁は独房を後にした。マッドサイエンティストの残したものから何が何でも抗体をつくる手がかりを探さねば。薄暗い囚人房の廊下を防護服に身を包んだ巨体がのしのしと進む。
※ 玉状の口枷=ボールギ☆グ




