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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第四章

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十六

 慌てて体勢を立て直し、橘は限度いっぱいに加速した。十秒、二十秒などと贅沢は言わない。一秒でも長く熊を引き離し負傷者を離脱させなければ。

 ぎゃりぎゃりぎゃり――。

 ここまで加速すると危ない。起伏を躱せず板の先が少し雪に埋まればバランスを崩し転倒してしまう。


――(おそ)れるな。やれる。


 膝でバウンドの衝撃を吸収しバランスをとり橘は滑走した。キ神通信窓の地図上で自分を示す黄色い丸印と目標の赤い三角の距離が少しだけ離れる。視線は前に据えたまま、腰のホルダーに手をやる。先刻半分残したままの燃料容器の位置を手で確かめた。


――よし!


 あと少しで負傷者が視界に入る。滑走しやすい平らな場所を選び橘は腹に力を入れた。


「立て! そして陣に向かって走れえええええ!」


 緩く下り勾配が始まった。風が重く感じられる。身体を低くして抵抗を減らし、橘はさらにスピードを上げた。


――見つけた!


 橘の声が届いたのか、前方でのろのろと動いている人間――毛皮に身を包んだ女に橘は腕を差し伸べた。


「掴まれええええええッ!」


 がつん、と腕に衝撃が走った。急激な減速で身体が後ろへ引っ張られる。


「うおおぉらあああああ!」


 手を掴んだ負傷者を前に放り投げるつもりで橘は踏ん張った。


「このまま走る、来いッ!」

「はい!」


 今ここで共倒れになるわけに行かない。橘は進路の変更をせず目標の鬼熊を連れたまま予定通りのルートを走り、一人分の加速装置で負傷者もいっしょに引きずって滑走すると決めたのだ。

 負傷者は橘のかけた言葉を正しく理解して手を掴んだ。相手もただぼんやりうずくまっていたわけではない。加速装置が作動しないなりに立ち上がり、助走を始めていたのだがどうしてもスピードの差が大きい。負傷者の手を掴んだ橘は肩から腕が抜けそうなほど衝撃を受けたが、負傷者が正しく意図をくんでくれたおかげで何とか体勢を崩さずに済んだ。


 ぎゃぎゃぎゃぎゃ、ぎゃり、ぎゃりぎゃりぎゃり――。

 急激な減速で加速装置が軋む。目標との距離が縮んでいる。縮尺の小さいキ神通信の地図上ではすぐ後ろまで迫っているように見える。


――落ち着け。


 ここで心を乱し、共倒れになれば確実に熊の餌食になる。時間を稼いで体勢を立て直さなければ。橘はつないだ負傷者の手を強く握った。 


「このまま滑走し、大瘤で飛ぶ!」

「了解!」


 なんとか持ちこたえてくれ――祈るような気持ちで負傷者と手をつなぎ、滑走する。下り坂でもあり、徐々にスピードが戻ってきた。しかし


「ふ……ふうっ……」


 空耳ではない。熊がすぐ後ろにいる。橘の視界が狭まり、肌が粟立った。

 ぎゅう。負傷者の指がきつく掌に食い込む。その圧迫で橘は我に返った。大瘤が迫っている。下りの傾斜、その角度がきつくなり滑走のスピードが増す。細かな地面の起伏を膝で吸収しインパクトに備える。つないだ手の先で隣の女も同様に身体のばねにエネルギーを蓄えているのを感じる。


――風!


 ふうッ――がああああッ!

 飛翔に備え身をかがめた女二人の頭上を銀色の光が走った。目で追わなくても分かる。


――吹雪丸!


 足下がぐぐ、と盛り上がった。大瘤だ。頂上を蹴り、橘は負傷者とともに飛んだ。


「り*********ろ!」


 背後で二匹の獣がぶつかる気配がする。二人の女は同時に雪原に着地した。



「紫五家の――あなただったのか」


 雪を蹴散らし急停止した橘を見上げたのは黒髪の美しい女だった。こんなところで何を、と口をついて出そうになるのを抑え、橘は腰のホルダーから加速装置の燃料容器を取り出した。燃料ゲージが半分あたりにあるのを確認して紫五家の若衆は顔をほころばせた。


「ありがとうございます」


 腰をかがめ加速装置の燃料容器を交換する紫五家の若衆に橘は短く問いかけた。まだ息が整っていない。


「怪我は」

「たいしたことはありません。弓手を痛めましたが走れます」

「履帯は」


 ぎゃぎゃぎゃ、と空回りさせ加速装置の駆動を確認しててから紫五家の若衆はしっかりとうなずいた。


「問題ありません。――行きましょう」

「応」


 目の前の黒髪の女の頬は紅潮し、目にはぎらぎらとした危うい光が宿っている。いつもどおりの丁寧な言葉遣いなのに、普段のおっとりとしてふんわりとしたやさしい雰囲気とはまるで違う。狩りに出発する前の、マレビトへの執着を隠しもしなかった貪欲なところもまた目の前の美しい女の一面だと橘は知った。女のこの欲深さが今は頼もしい。自分をシティに連れ帰ってくれる気がする。

 バイザーに映るキ神通信窓の地図を見ながら橘は身体回りに装着した武器を確認した。山刀、鉈、小刀、(えびら)。弓を持つ手を傷めた紫五家の若衆が自分の矢を橘の箙に移す。地図上で黄色や赤、青、紫の丸印が近づいてきている。しかし勢子(せこ)たちはまだ遠い。動きが鈍いわけではないが前線が乱れたので情報が錯綜している可能性もある。


「紫五家の、時間がない」


 いったん感情的に燃料切れを起こすまで走りしくじった目の前の女に、橘はシティの変事を伝える気にならなかった。ここでまた無茶をされては困る。


「二人で熊を陣へ誘い込む。そのために目標の片目を射る」


 橘は熊と吹雪丸がもみ合う様に目をやり、弓矢を用意しながら短く説明した。


「はい」


 頭が冷えたのか、紫五家の若衆は落ち着いた声で応じた。

 二人は大瘤を迂回し、もみ合う二匹の大きな獣を射程に収める位置に移動した。

 鬼熊の耳は黒い。しかし先ほど橘が射抜いたので片耳に不自然な赤い部分が見える。雪原の白。鬼熊の白と黒、吹雪丸の白とグレーの被毛。モノトーンの世界に赤く血が散る。二匹の獣はお互いの喉に喰らいつこうと()んず(ほぐ)れつもみ合っている。


「吹雪丸――!」


 橘は矢をつがえ、弓をぎりぎりと引き絞った。


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