十四
人は自ら作り上げ肥大させた社会に耽溺している。輪の中心にいようと、外れかけていようと社会の中にいなければ生きていけない。
それはこの惑星ナラクにおいてもそうだ。
コウジの知るどんなコンピュータよりも進んだキ神システムや通信アイテム、星間航行技術を有し、クローニングで代を継ぐ。惑星ナラクのガイア由来人類文明はコウジからすればオーバーテクノロジー社会だ。しかしこんなに技術が進んでいても人はひとりで生きていけない。役割が細分化され、産業、製品やサービスが増える。一見選択肢が増えて便利になっていいことずくめのようだが場合によってはそうでもない。細分化された役割を担う人間が減り衰退の途上にあるナラク王国の場合は特にそうだ。
女たちが馴鹿や針豚を畜養し畑を耕し、男たちが食料品や日用品、機械などを加工する。コウジと馬頭の頭領が向かい合う廊下をぼんやりと照らす電球一つ、一枚のハンカチ、スプーン一杯の砂糖ですら、人々の協業を前提とした社会に属さなければ手に入れることができない。ただでさえ人口減少にあえぎ辛うじて機能している社会から厳しい惑星ナラクの自然へ放り出されてしまえば。
――きっと生きていけない。
身体の小さいポニー頭の少年の頼りない姿がコウジの脳裏を過ぎった。
「断絶なんて駄目です。独戸にしてはいけません」
「しかし――」
「若頭領はまだ子どもです」
「息子はいずれわたしの地位を継ぐことになっていた。あと三年、壮年体になれば頭領となり医療部の長を継がなければならない場合もある。――わたしが若くして頭領になったのと同じように。だから息子はその自覚を持っていて然るべきだった」
「若頭領はまだ責任を負う立場に立っていません。――若頭領が生涯かけて償わなければならないことなんでしょうか」
言いたいことはたくさんある。それなのに喉が塞がったかのようにコウジは言葉に詰まった。
「償い、か」
美しい馬頭にいわく言いがたい表情が走った。しばらくコウジと視線を絡めた後、苦しげに言った。
「わたしは罪の軽重をはかる立場にない。――ところで」
馬頭の頭領は話題を変えた。
「マレビトどのは微細病原体に詳しいか」
「いいえ」
「そうか」
顎に手を当てイケメン馬は唸った。
「ミズボウソウという例の病だが、抗体はできても特効薬は作れなかった」
爆発的に流行してナラク王国をパニックに陥れたこの病気に対抗する方法は症状を抑え緩和すること、蔓延を防ぐために抗体を接種すること、そのぐらいしかなかった。いったん発症してしまえば、自然に備わった生体防御機能が体内での病原体の増殖を抑え感染細胞を排除し症状が消えるのを待つほかない。
「もうひとつ、微細病原体を破壊するという選択肢もある」
水疱瘡の原因となる微細病原体は膜を被っている。これは宿主、すなわちヒトの細胞物質に由来する脂質でできている。元がヒト由来の物質で包まれているため異物と認識されず、免疫システムから攻撃されない。
「病原体のこの性質が患者の生体防御機能を撹乱する一方で、この膜さえ破壊すれば病原体が不活化することが分かっている」
「ふかつ、か?」
「病原体が増殖しない状態のことだ」
それはすばらしい、と目を輝かせたコウジに対して、馬頭の頭領は力なく笑った。
「ただどんなにがんばって不活化しても増殖の速さに追いつかないし、感染者の体内で不活化させるわけにも行かない。不活化の具体的な方法は例えば石けんで手を洗うとか、患者の分泌物を消毒したりとか」
それ、普通の風邪予防。ウィルスを壊せるかもしれないからと赤ん坊やおばあちゃんズ、先王に石けんを飲ませるわけにいかない。コウジはがっかりした顔をしないよう唇を引き結んだ。
「――このことが判明したのは例の病の流行が終息へ向かいつつあったころでな。ま、それはいい。とにかく予備知識も対症療法もなかった前回とは違う」
馬頭の頭領の目に力が戻ってきた。
「我らは学んだ。ただ病原体の蔓延に手を拱いているだけではない」
「じゃあ今回は」
「例の病原体と同じ抗体を使えれば楽でいいのだがそうじゃない可能性が高い」
確かにコウジの知る水疱瘡より症状が激しいような気がする。がっくりと肩を落とすコウジを見て馬頭の頭領は苦笑いした。
「病原体、白猫囚人の残した資料を分析するためにキ神の計算資源が必要だ」
「それって――」
「そう。今、キ神はシティ内部の計算資源を霊廟の管理と情報収集に限定している。わがきみが鬼熊狩りを優先されているためだ」
「そんな……!」
プライオリティの設定がおかしい。そう言いかけたコウジを馬頭の頭領はとどめた。
「すべてではないが、わがきみのもとにシティ内部の情報も伝わっている。おおきみや牛頭翁の動きが疫病の蔓延を食い止めていると判断されたのだろう。それに――」
馬頭の頭領の言葉は扉の向こうから聞こえてきた
――んぎゃああああああああ。
――びょ、びょええええええ。
――どしゃああああああああ。
けたたましい泣き声にかき消された。驚いたように目をぱちくりさせて馬頭の頭領は声を張り言い直した。
「鬼熊狩りは順調に進んでいる。そう長くはかからないだろう。わがきみが戻られるまで我らが――」
「患者の体力が落ちないよう看病する、と言うことですね」
「その通りだ。――それにしても赤ん坊たちは賑やかだな」
「ぐったりしているよりましです。ぼく、中に戻ります」
「うむ。わたしも手伝おう」
二人はうなずき合い、保育所へ戻った。
* * *
王と緑輪党の待つ陣が視界に入るまでまでもう少し。雪原は少々混雑している。
ぎゃりぎゃりぎゃり。ぎゃり、ぎゃりり。
女たちが鬼熊を囲んでぐるぐると回り、矢を射かけている。
「あんたたち、持ち場に戻りなよッ」
「う――ッるさいわ、後からたらたら入ってくんな!」
罵り合う女たちのけたたましい声に刺激されたのか、鬼熊が動きを止め、後ろ脚で立ち上がった。
――ごお、おおおおおお。
空気を震わせる咆哮に驚き、女がひとりバランスを崩し転倒した。怒り狂う熊が女に狙いを定めた。
「叢雲、ゆけ!」
横から猛スピードで茶色い塊が突っ込む。三頭犬だ。立ったままの不安定な体勢だった鬼熊は腰に衝撃を受けもんどり打ち転倒した。
――ごおおおおおお!
――おおおおおおお!
熊と犬が対峙する。
二匹の獣が威嚇し合っている間に転倒した女が立ち上がり、木立の奥へ入っていった。
「持ち場に戻れ!」
黄輪党の長が他党の勢子に怒声を浴びせた。
「えええええ」
「久しぶりの狩りなのにいいい」
「馬鹿者どもが!」
党の長の中でも馬頭の頭領と同様に若い黄輪党の長が顔を真っ赤にして怒る。
「早くこの狩りを終えなければならん。我らは一秒たりとも無駄にできんのだ」
いかに長にしては若いとはいえ様子がおかしい。狩りで頭に血が上っているのとも違う。他党の女たちがしん、と静まりかえった。
「非常事態だ。我らではない。シティで非常事態が起きた」
熊を囲んでいた他党の女たちも、黄輪党の女たちも、一斉に熊に背を向け走り出した。
「こ、こら、持ち場を離れるな! 今シティに戻ってもどうにもならんぞ!」
黄輪党の長の制止も耳に入らない。狩りで興奮した女たちの間にパニックが伝染した。




