十三
「んびゃあああああああああ」
「ぎゅ、ぎゅ、ぎゅああああ」
「じゅええええええええええ」
姪っ子たちの同時多発ぐずり夜泣きを何度も経験してきたコウジだがそれでも思う。阿鼻叫喚だ。あたふたと慌てて赤ん坊をなだめにかかるコウジに対し、馬頭の頭領はさすがにデキる男だ。ただのイケメンではない。すっぱりと切り替え息子とともに診察に集中している。
「マレビトどの、すまぬのう」
「祭りの途中で戻ってきてもらってすまぬのう」
当初老人の具合が心配だったが、症状が深刻なのは表門までやってきた老婆だけのようだ。おばあちゃんズの「すますのう」攻撃を躱しながら赤ん坊をあやし、大人の罹患者を休ませる臨時の寝台を用意した。
診察が終わり、痒みを抑える薬を塗ったり、おむつ交換やミルクを済ませると、赤ん坊たちはうとうとと眠り始めた。さすがに泣き疲れたのだろう。コウジは赤ん坊のひとりの頭を撫でた。びっしりと水疱のできたおでこの眉のあたりを顰めているのがかわいそうだ。おばあちゃんズや先王も眠っている。
「マレビトどの、ちょっとよいか」
馬頭の頭領がちょいちょい、と手招きをするので保育所外の廊下へ出た。
「患者が増えた」
やはり。コウジは目の前が暗くなったような気がした。
「ただし、後から発症したのは山猫男の取り巻き、そして地下囚人房に残っていた者たちだけだ」
ゴメズ楼地下深いところにある囚人房はもともと内側からロックを解除できない仕組みになっている。だから牛おっさんは囚人房のあるゴメズ楼をまるごと封鎖することにしたらしい。
「おおきみのご指示を後回しにしたことになるが、非常時だから問題ない。まずは未罹患者を病原体に晒さないという牛頭翁のお考えは正しい」
少ないキ神通信網のリソースをやりくりして表門前にいない国民に伝染病発生を知らせ、病原体の発生場所と目されるゴメズ楼の出入りを禁止した。
以前猖獗を極めたものとよく似た伝染病。十年という年月は詳細に記憶をとどめておくには長い。しかし、ナラク国民は完全に忘れてはいなかった。牛おっさんの指示を受け入れ、表門前の広場で天幕を設置し静かに待機しているという。
「問題の微細病原体だが」
馬頭の頭領が表情に疲れをにじませた。
「息子の話をどこまで真に受けていいか分からん」
「しかし――」
「ああ、いやいや、息子が信じられないわけでなく――これだけのことをしたのだ、本来は信用に値しないのだが、あれは外見こそ小さく幼いがとても優秀で、頼りになる子どもでな」
嘘を言っていないのは間違いないと馬頭の頭領は言う。コウジも同感だ。
「自死してしまったとかいう例の白猫囚人にどこまで騙されているのか、そこが現時点では分からん」
例えば。微細病原体をつくることについて、白猫男は動機は純粋な科学的好奇心だと言ったらしい。
「その病原体を撒き散らすのは故郷の星に対する復讐なのだそうだ」
「何もここで撒き散らさなくても」
「まったくだ。それにうっすら関わりがあるのだが、白猫囚人は先ほどの山猫男や取り巻きの猫男たちにたいそう邪険にされていたそうでな」
要するにいじめだ。これがナラク入りする前からの因縁だというから恐れ入る。いじめる側には「ちょっといじってやった」「構ってやった」程度の意識しかなかったのだろう。「仲良くしてやった」などと考えていたかもしれない。しかしいじめられた白猫男は根に持っていた。
「言われた通りに祭り当日に保育所で発症するよう仕掛けを作ったんだそうだが、山猫囚人たちにも密かに感染させたのだと」
「実際に山猫さんたちは感染、発症しましたからね。話は合ってる」
「息子には抗体を打った、と言ったらしいのだ」
うーん。ふたりで考え込む。白猫男が少年を安心させるために嘘の薬を与えたのかもしれないし、実際に抗体を接種したのかもしれない。少年はまだ発症していない。若くて体力、免疫力が強くて微細病原体の勢いを抑えているのかもしれない。今のところは。
微細病原体、すなわちウィルスは生物であると言い切れない。しかし、生物によく似た振る舞いをする。
「微細病原体は自己複製する」
遺伝子を複製し、代を継ぐ。ナラク国民の命のつなぎ方と似ているかもしれない、とコウジはちらりと考えた。馬頭の頭領が語り続ける。
「微細病原体を培養して解析しなければ詳細は分からない。単純に十年前の例の――ミズボウソウと等しく扱うのはどうかと思うのだ」
確かに素人のコウジからしても同じ病気だとは思えない。馬頭の頭領は大きな手で顔を乱暴にごしごしこすった。月色の美しい被毛がちょっと乱れる。イケメンは毛並みが乱れてもイケメンだ。お疲れであるようだが。
「狩りが終われば――キ神の計算資源を病原体の解析に回せるだろう。それまでは対症療法でしのぐほかない」
「分かりました。あの!」
踵を返しかけた馬頭の頭領は再びコウジと向き合った。
「若頭領なんですが」
息子の話だと知るや、馬頭の頭領は俯いた。いつもはぴん、と立っている耳が申し訳なさそうにふるりと動く。
「国民に、連盟から預かっている囚人たちに、そしてマレビトどの、あなたにも申し訳ないと思っている」
「そんな――」
馬頭の頭領は目を伏せた。
「息子のしたことは取り返しがつかない。わたしは頭領職をわがきみにお返し申し上げることにした」
「それって――」
「息子の代で我が家は断絶にする」
黄三家の老当主も
――我が黄三家は断絶することになった。
同じことを言っていた。あのときは決定事項を伝えられただけだった。この馬男の家の処遇はまだ決まっていない。ポニー頭の優しい少年を恋しがり、しかし寂しさに耐える春宮の姿。コウジは俯いて顔を見せようとしなかった少女の頑なな様子を思い出した。
しょう‐けつ【猖獗】
[名]悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。猛威をふるうこと。「コレラが―を極める」
「秋から流行している悪性の感冒は未だ―していた」〈宮本・伸子〉
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/108133/m0u/%E7%8C%96%E7%8D%97/
(提供元:「デジタル大辞泉」)




