五
金髪巨乳美女が好みのタイプ、と言うとたいていの人は笑う。コウジもときどき、ウケを狙って口を滑らせることがある。母や姉たちはため息をつき、中でも次姉の多美は「このおっぱい星人が」などと吐き捨てるようにコウジを罵倒するけれど、そうじゃない。
そうなんだけど、そうじゃない。どのおっぱいでもいいわけじゃない。金髪で顔がかわいくて巨乳、すべての条件を満たしていれば誰でもいいわけじゃない。そこに「気立てがよくて」「いいにおいがして」「声がかわいくて」が加われば誰でもいいわけじゃない。
コウジには忘れられない金髪巨乳美女がいる。
五年前、コウジは就職活動で苦労していた。就職活動はたいへんだと相場が決まっている。振り返ってみればみんながみんな苦労していたんであって、とりわけコウジだけが苦労していたわけではない。それでも、コウジは辛かった。「就活というのはそんなもんだ」と慰められれば辛く、「自分も駄目だった」と友人と同じ苦しみを共有しても辛かった。
「きみはねえ……、当社に向いてないですねえ」
面接官が俯いて書類に何かをゆっくり書きこみながらぼそり、とつぶやいた。ここで「え?」などとうろたえてはいけない。コウジは気を引き締めた。これが音に聞く圧迫面接とかいうものではなかろうか。
「御社に入社して以降の頑張りを見ていただきたいと思っております」
「そう……」
面接官はため息交じりに言う。手元の書類にゆっくりとペンで何かを書きこんでいる。
「……みんな、そう言うんだよねえ」
圧迫面接はストレス耐性を見極めるためにされると聞く。だから、圧迫されている時は「自分の評価は高いんだ、能力や考え方は評価されているんだ」と考えろ、とアドバイスされる。決して黙りこんだり、怒ったりしてはいけない、と。
しかし、コウジには目の前の面接官が自分を高く評価しているように見えない。そこにチャンスがあるように見えない。
ここしばらくずっと虚ろにうつむいていた面接官がため息をついて顔を上げた。
「きみさあ、――他の子たちとどこがどう違うわけ?」
顔を上げたついでにゆっくりと動き続けていた手もずれた。面接官は手元の紙、コウジの評価シートにペンで落書きしていた。線が撚れていたり、無意味な記号だったり、他の仕事に意識が行ってフローチャートを書いてしまったり、そんなものではない。手元に集中しなければ描けそうにない、そこには萌えアニメのキャラクターがやけに上手に描かれていた。この面接官はコウジの話など聞いていない。
じわじわとした痺れが凝り、急速に圧力が高まる。頭の中でその痺れがが爆発する。コウジはそう感じた。
――何を答えたってもう駄目だ。
――他の学生とどう違うかなんて、ぼく自身が知りたいよ。
――ぼくはこの面接官から、この会社から、社会から拒絶されている。
――冷静に、冷静になれ。でも。
――どうすれば、どうすればいい……?
パニックに陥りかけたその時、がくり、と力が抜けた。
――ぶ……ん。
周りの空気が振動している。空気だけでない。コウジの身体も振動している。身体の随所に触れた小さな振動同士が干渉しあって大きな波になり一気に身体すべてを揺らした、そんな気がした。
コウジは道を踏みはずした。
踏みはずしたついでに足を滑らせ、ずっこけた。ずっこけてがすっ、と頭を打った。
久々に道を踏みはずしたコウジに感慨に耽る暇などなかった。
ここはどこ、でもなく、帰り道は、あのがさがさとした道のようなものはどこだ、でもなくコウジがまず感じたのは
――痛い……!
だった。
ふんかふんか。ふんか。ふんか、ふんかふんかふんか。
ふわふわしたものが忙しなくコウジの顔を撫でる。くすぐったくて身を捩るとふわふわしたものはコウジの胸に乗り、顔をぺろぺろ舐めまわす。舐めまわしながらくんくん、きゅんきゅん愛らしい声で鳴く。仔犬が三匹……
「――え? 一匹なの?」
ふわふわしたグレーと白の毛が、顔面に隈取をかたちづくっている。首を傾げるもの、あくびをするもの、ぺろぺろ舐めるもの、ころころふくふくした胴体に頭部が三つ。
ケルベロス? 神話の怪物にしてはずいぶん愛らしい。仔犬にしてはぶっとい脚を踏ん張り三つの頭それぞれにくんくん、わふわふとにぎやかに主張している。小さな頭部をコウジの手にすりつけてくる。撫でれ、というわけだ。顎だの輪郭あたりを撫でてやると尻尾をぷりぷり振って喜ぶ。こりゃたまらん。コウジがにやけながら仔犬をかまっていると、ざり、と土を踏む音がした。目を遣る。
つま先の向こう、離れた場所に人が立っている。毛皮のコートに身を包んだ少年、だろうか。地味なニットの帽子から明るい金色の髪が躍り出るようにこぼれている。きりりとした眉を僅かに顰める他は表情はない。大きなアーモンド形の目のはちみつ色の瞳にも感情は映っていない。
その少年はこちらに向けて弓を引いていた。




