十二
ナラク宮が近づいてきた。コウジの背後から
「マレビトどの」
息を切らしながら駆け寄ってきたのは馬頭の頭領である。先王を背負っている。褐色の肌が真っ赤に、そして水泡がびっしりとできている。先王も謎の感染症にかかっている。
――ああ、そういえば。
先王は山猫男をなぶる際、一度だけ彼の顎を直に指で撫でていた。
「あれだけ微細病原体由来の感染症についてお教えしましたのに。触っちゃ駄目です、と」
「すまぬ」
「寝る間も惜しんでお教えしましたのに。触っちゃ駄目です、と」
「そなたは眠くなると妙に口数が多くな――いや、ほんとうにすまなんだ」
「いつもいつも話半分に聞き流されるからこのような――マレビトどの」
馬頭の頭領が怪訝な表情でコウジを見つめる。背負われた先王も眉を顰めた。
「顔に先ほどはなかったぶつぶつが……しかし既に治りかけのようにも見えるのう」
皮膚にちりちりする違和感が多少あるものの、コウジからすれば耐えられないほどではない。違和感の他は体調に変化もない。それよりも発疹と高熱に苦しんでいる老婆と、だんだん症状が重くなってきている先王のほうが優先度が高い。そして医療部の長である馬頭の頭領もこれから発症するに違いない。道端でのんびり話し込んでいる場合ではないのだ。
四人がナラク宮前の広場に辿り着くとそこにポニー頭の少年がいた。ぽつねんと座り込み、小さな身体がますます幼く頼りなく見える。
馬頭の頭領が、親の手を煩わせない優秀な後継者だった少年を前にして言葉を失った。のろのろと立ち上がった少年は虚ろに俯き口をいったん開き、何か言いよどんで無言のまま口を閉じた。
馬頭の頭領親子を中心に鬱々として気詰まりな空気が渦を巻いている。しばし沈黙がその場に居座った。
しかしそうのんびりしてもいられない。背負った老婆の身体がますます熱い。首に回された腕の力が抜けてしまっている。コウジは思い切って
「ちょうどよかった」
ポニー頭の小柄な少年に声をかけた。
「手伝ってほしいと思っていたところなんだ。さ、行こう」
責められることもつらければ、責められないこともまたつらい。かける言葉を失った大人に囲まれ小さくなっていた少年がコウジの言葉に反応しのろのろと身体を動かした。
ポニー頭の少年も加わり、五人でナラク宮の内部を医療部目指し足早に進む。
保育所は医療部の中でも庭に面した日当たりのよいエリアをあてがわれている。人数が増えればまた別の場所に移動することになるかもしれないが、ある程度まではここで保育をすることが決まっている。保育所が移動するほど人数が増えるのはまだ先のことになりそうだ。春祭りの後に生まれた赤ん坊が三人、その後夏から秋にかけて三人、生後三~八ヶ月の赤ん坊が合わせて六人いる。今のところ妊娠の兆候がある女性体がいるという話は聞かない。
医療部の入り口に着いた。
「患者は……」
言いかけて馬頭の頭領は息子を見つめたまま沈黙してしまった。
ポニー頭の少年に罪があるのは明らかだ。主犯ではない。マッドサイエンティストの白猫男に唆されたのは間違いないが後ろ暗くなければ父親、あるいは他人に許可を求めるなり相談するなりすればよかったのである。
しかし、少年はそうできなかった。
新しいシーツやタオルを渡すとき少しだけ躊躇があったり。挨拶など同じ言葉を交わすパターンが定まりつつあったのにほんの少し生じた空白に遠慮が見えたり。
少年は心を開き掛けた人物が自分にがっかりする姿を見るのが怖かった。白猫男との間に心の隔てができるのが嫌だった。約束された地位、先天的な矮躯に関係なく慕ってくれる少女より新しい交誼を優先した。
少年は父親と似た美しい目を涙で曇らせ、俯いた。
ここまで大騒ぎになるとは思っていなかった。でもよくないことだと分かっていた。
「えっと、医療部の入り口でずっと黙り込んでいても仕方ないと思うんですが」
コウジが口を挟んだ。空気を読まない性分だと思われているような気がしないでもないがこの際どうでもいい。
「でも入る前に中の様子を知りたいです」
「――それもそうだ」
やっと馬頭の頭領が動きを取り戻した。
初め言いよどんでいた馬頭の若頭領だが、元来賢い少年だけに質問の意図をくみ、的確に情報を提供した。
保育所では赤ん坊六人と老婆五人が発症した。但しここにコウジの背中でぐったりしている老婆は含まれていない。この老婆は赤ん坊がひとり、ふたりと発症するのを見て仰天し、保育所を飛び出したのだという。広場で発症したこの老婆、山猫男、先王を含めると赤ん坊六人、大人八人ということになる。
「感染経路によってはまだ増えるかもしれない」
「じゃあ、ぼくたちが動けるうちに看護体制を整えた方がいいってことですね」
「そういうことだ」
馬頭の頭領の目に理性的な光が戻ってきた。
医療部の中はしん、と静まりかえっている。
春の祭りと違って、熊狩りに参加しない者のほとんどが表門に集まっている。狩りに出た人々にサポートを求められるかもしれないため、医療部スタッフの全員が表門近くの天幕で控えている。
だから静かなのだと分かっていても不安が募る。コウジたちの足取りは自然と速くなった。
――んぎゃああああああああ。
――びょ、びょええええええ。
――どしゃああああああああ。
保育所の扉の前で一行は立ち止まった。高熱でつらそうにしていた先王が顔を上げた。
「これは何だ」
「赤ちゃんです」
「音響兵器でなく?」
「赤ちゃんです」
全員ぐったりしていたらどうしようと悪いイメージばかりがぐるぐると脳内を回っていたのでコウジはむしろほっとした。
「確かに普段より賑やかですが、泣き声もないよりずっとましです」
「――これがましな状態とは」
一行は保育所に足を踏み入れた。
【矮躯】わい‐く
背丈の低いからだ。短身。短躯。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/237375/m0u/%E7%9F%AE%E8%BA%AF/
【交誼】こう‐ぎ〔カウ‐〕
友人としての親しいつきあい。よしみ。「―を結ぶ」
[補説]目上の人に対して用いると失礼にあたる。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/72250/m0u/%E4%BA%A4%E8%AA%BC/
提供元:「デジタル大辞泉」




