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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第四章

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 コウジは呆然としていた。

 初めてこの国に来たときは柚子に、そして二度目の今回は橘や王、牛おっさんたち位の高い人々によくしてもらって、


――そなたのもたらしたミズボウソウと、

――我が国の女がまだ不妊化していないという事実は、

――こういう状況を引っ繰り返すのに役立った。


 という王の言葉に甘えてしまっていた。自分がこの国の人々にとって災厄をもたらした者であるのに。



「う、ううう、う」


 先王の前でかしこまったままだった老婆の(きし)むような(うめ)き声でコウジは我に返った。牛おっさんの腕からよろめき出て、半ば雪に埋もれるようにひれ伏す老婆を助け起こす。


「おば――」


 コウジは言葉を失った。老婆の顔、襟からのぞく首、(たる)んだ皮膚にびっしりと水疱ができている。袖を(まく)ってみると、腕の内側にも水疱ができている。コウジが目を(みは)っている間にも皮膚の赤らんだ部分が盛り上がり、ごく小さな火傷のような水疱がぼこり、ぼこりとできあがった。


――おかしい。ぼくの知っている水疱瘡じゃない。


 老婆を腕に抱えるコウジの目の前で馬頭の頭領が山猫男の胸ぐらをつかみ、揺さぶっている。


「抗体、抗体はどこにあるッ」

「し、知らねえよ。そもそもこうたいって何だよ」


 力任せに山猫男を揺さぶっていた馬頭の頭領の手が急に止まった。先王、そして牛おっさんと視線を絡める。


「しまった――」


 先王が悔しげに槍を地面に突き刺した。


「キ神から報告だ。独房の――くだんの囚人の生命反応が消えた」


 牛おっさんが立ち上がった。


「独房を封鎖してまいります」

「うむ。卿自身の防護をまずしっかりとな。――抗体なり情報なり、何らか拾ってもらえると助かる」

「かしこまりました」


 ぐったりした老婆をなんとか背負い、コウジも立ち上がった。


「保育所だけでなく医療部全体も封鎖を」

「了解した。マレビトどの、防護服は――」

「ぼくはもう――」


 コウジはきっと手遅れだ。感染している。背中の老婆とともに保育所へ向かい、赤ん坊をなんとか世話しながら抗体や対症療法が見つかるのを待つしかない。

 保育所へ向かって一歩、踏み出したところでコウジの前に大きな影が立ちはだかった。山猫男とつるんでいる猫顔の男たちだ。当初山猫男から指示されたとおりにコウジの邪魔をしているつもりらしい。ただ、腹を上にしてへたり込む自分たちのボスをちらちらと見ている。その指示の有効期限が切れていはしないか、気になるのだろう。


「どけよ」


 コウジはもう一歩前へ出た。


「どけよ」


 猫顔の男たちは自信なさげな顔をして半歩後ずさったが、それでも道を譲ろうとはしない。山猫男へ視線を送る。


「どけ! どけって言ってんだよ!」


 コウジは叫んだ。


「あんたたちのつまらないメンツなんて、どうでもいいんだよ」


 語気を荒らげ、睨みつける。普段おとなしいコウジの怒りの表情を見て猫顔の男たちが驚いた。


「今大事なのは病気の人を助けること、病気をこれ以上広げないことだ。――どいてくれよ」

「う――」


 猫顔の男たちが、コウジに背負われた老婆が、そして山猫男が同時に唸った。山猫男がコートの前を開け、シャツやセーターを捲り上げ丸く盛り上がった腹を出している。その腹には水泡ができていた。


「うわ、うわあああ、熱い、か、痒い」


 ぶん! 先王が手にした槍を振るい、腹を掻き(むし)りながら転げ回ろうとする山猫男のコートを地面に縫い止めた。


「マレビト、ゆけ! 牛頭翁、この囚人を封鎖区域に放り込め! ――但し、後回しでよい」

「はい!」


 猫顔の男たちが飛び退き、人垣が割れて道ができた。コウジは走りだした。



 背負った老婆をできるだけ揺らさないよう、足を雪に取られないよう気をつけながらコウジはナラク宮へ向かって走っている。


――新しい微細病原体って新種のウィルスってことかな。


 不安が募る。


――例の病は潜伏期間がおよそ二週間。

――空気中を浮遊する病原体に触れるだけで軽度の感染が起きるほど拡散しやすい。


 かつてコウジがこの国にもたらした水疱瘡、水痘ウィルスの潜伏期間は先王が言ったとおりだ。


――先ほど第一の感染者が出たのならば病原体との接触はこの一ヶ月以内、

――よってマレビトの再来とは無関係だ。


 もしコウジがこの国に来たことでまた水疱瘡が蔓延したのならば春祭りの後、夏の時点で大流行しているはずだ。前回の大流行で得た教訓によりナラク国民全員がワクチンを接種し、水疱瘡への備えはできている。

 そのはずなのに保育所で第一の感染者が現れて数十分で老婆、そして山猫男も発症した。山猫男は独房に引きこもっていた白猫男と接触する機会があったからあらかじめ感染していた可能性もある。


――それにしてもおかしい。一斉に病気になっちゃうなんて。


 感染力が水疱瘡以上に強力だとしても、潜伏期間が水疱瘡と同じであれば免疫力の強弱により発症のタイミングは様々になるはずだ。


――潜伏期間が極端に短いウィルスなのかも。


 ちりちりとコウジの肌を違和感が走っては消える。


「う、うう、う」


 コウジの背中で老婆が呻いた。小さく軽い身体に熱がこもっている。


「おばあちゃん、しっかりして」


 意識が戻ってきたらしい老婆に声をかける。しかしコウジは何を言っていいのか分からなかった。


「おばあちゃん、――ごめんね」

「なんで、謝るんじゃ」


 苦しそうに息を切らし老婆がかすれた声で答える。


「なんでって――」


 おばあちゃんズに赤ちゃんのお世話を頼んだから。祭りの見物をしていれば、あるいは家でのんびりしていればこのおばあちゃんは苦しいめに遭わずに済んだ。


――そもそもぼくがこの惑星に来なければこんなことにはならなかった。


 十年前、ほんの少し立ち寄っただけのこの世界で柚子と出会ったばかりに彼女を苦しめ、彼女の大切な人々を苦しめ、彼女の名誉と健康を傷つけ、死に追いやった。忘れたつもりはなかったけれど


――ぼくのせいで。


 この国の人々をまた苦しめている。

 背中で老婆が身動ぎする。呼吸が苦しげだ。


「わしらは、麦や(かぶ)を育て、馴鹿(じゅんろく)や三頭犬を養い、熊を狩る」

「おばあちゃん、無理して話さなくていいですよ」


 老婆は熱に浮かされ、さらに饒舌(じょうぜつ)になった。


「植物も動物も、生きとし生けるものすべてが身近でありながら我らは、――自分たちが生命の輪、循環から超越しとるような気になっとった。黄三家の亡くなった娘が病を持ち込み、孕んでも、自分らは動物ではないと――現実から目を背けておった。わしはな――」


 コウジは立ち止まった。人の気配のない道はとても静かで、コウジと老婆のそれぞれの荒い息が響く。


「黄三家の亡き娘を責めた。あの娘はわしらが未知の病に翻弄されるただの獣だと身を以て示した。悔しかった。恐ろしかった。あの娘が逆らわないのをいいことに、わしらは寄って(たか)って責めた。あの娘が亡くなった後も――墓を焼いた」


 何か言いたくても言葉が出てこない。コウジの頬を熱い涙が伝う。


「悔しがり、恐れ、それでもまだ自分らが誇り高い超越者だと思っとった。赤子を抱くまで――そう思っとった」


 老婆がコウジの背中に顔をあてる。すすり泣く声がくぐもった。

 この国の人々はクローン体として生をうけ、七歳になるまで培養ポッドで育つ。自力で歩くことも話すこともできず、生活すべてを大人に頼る赤ん坊は当初、珍しい生き物のように思われていた。


「泣いて喚いて糞や尿を垂れ流し、乳を吸い、笑い、這い、寝返りを打ち、立ち上がり転ぶ。赤ん坊は日に日に育ち、我らに似てくる。同じ人間なのだ。弱々しく頼りなく、そして愛らしい。霊廟の遺伝子からつくられなくても赤子らは同じ人間なのだ。わしらはやっとそれを知った」


 老婆はしばらくすすり泣いた。


「マレビトどのよ、頼む。赤子を助けてやってくれ」

「――」

「わしはこの病でどうなっても、焼かれてもかまわんのじゃ、黄三家の亡き娘に辛くあたったむくいじゃからの。――でも赤子は違う」


 老婆はぎゅう、とコウジの肩をつかんだ。


「この世に生まれ落ちてまだ一年にもならない。あの赤子らには何も罪はない。助けて、助けてやってくれ」


 おおお、と老婆は泣き崩れた。


――まず病気の人を助けること。そして病気をこれ以上広げないこと。

――そうだ。ぼくにはやらなければならないことがある。


 コウジは老婆を背負いなおした。


「微細病原体からすれば罪のあるなしは関係ないですよ。免疫力――病気と闘う力があるかどうか、それだけです。いきましょう」


 一歩、また一歩。雪の積もる道を踏みしめ、だんだんと足の運びを速めてコウジはナラク宮へ、保育所へ向かった。


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