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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第四章

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 先王は山猫男の足近くに突き刺した槍を引き抜いた。


「例の病は潜伏期間がおよそ二週間。空気中を浮遊する病原体に触れるだけで軽度の感染が起きるほど拡散しやすい。先ほど第一の感染者が出たのならば病原体との接触はこの一ヶ月以内、よってマレビトの再来とは無関係だ。馬頭(めず)の頭領よ」

「は」


 美しい馬男が前へ進み出た。


「例の病原体な、十年前の株が漏れたと聞いたが」

「仰せの通りでございます。いかなる処分も頂戴する覚悟で――」

「それはわらわの務めではない。牛頭翁(ごずおう)よ」

「は」


 牛おっさんはコウジを抱え込んだまま先王の前へ進み出た。


「キ神の通信網の防壁を破った者はあるか」

「いいえ、破られたことはありませぬ。試みた者はあるようですが」


 先王は再び山猫男の足のすぐ近くに槍を突き刺した。びいいん、と震える槍の柄がまるまるとした山猫男の足をたたく。


「はて、例の病がどこで発生したんじゃったかのう。山猫よ、教えてたもれ」


 先王はしゃなりと一歩前へ大きく踏み出し、腰を抜かす山猫男のだぶついた顎を指で撫でた。


「ですから、その、保育所で発疹が出る病気が」


 顎を撫でられふわふわとした顔つきになった山猫男が言うや、先王は目にも留まらぬ速さで槍を上下逆さに返し石突きを山猫男の額にす、と当てた。


「発生場所が保育所だとなぜ知っておる」

「さささささ、さっきのあの、この婆がそう言って」


 すぐ近くでぺたりと雪の上に伏せたままの老婆を指さし山猫男がじりりと後ずさった。


「はて」


 先王は顔を背けた山猫男の顔の前で槍を左右に振った。


「この婆からはそのような言葉を聞いておらぬが」

「いや、だって――」


 山猫男がはっと息を呑んだ。


――おおきみ、あか、あかあか、あか。

――ああ、おおきみ、あの、あの恐ろしい病が。


 老婆は保育所で発生したとは言っていない。


「ふん、ど阿呆めが」


 先王は吐き捨てるように言うと、槍の石突きを山猫男の額にぐりぐり押しつけた。



     *     *     *


 陣の中央で王は吹雪丸とともにじっと森を注視している。緑輪党の長が人の善さそうな顔を不安げに顰めおずおずと王に声をかけた。


「キ神の計算資源をもっとシティ内へ割り振ったほうがよいのではありませんか」

「必要ない」


 王は視線を動かさず答えた。


「しかしわがきみ」

「動じるな。――不要だ。母上が抑えてくださる」

「わがきみ!」


 部下たちの視線が集まって初めて自分の声が高くなりすぎたと知った緑輪党の長は王のそばへにじり寄った。


「わがきみ。お言葉ですがお母上――おおきみは玉座を狙っておいでです」

「知っておる。だからこそこたびは母上にお任せするのがよいのだ」


 視線を森へ向けたまま王はにやり、と口もとを緩めた。そしてすう、と真剣な表情に戻り


「あとしばらく。もう少しで片がつく」


 唇をかんだ。



     *     *     *


 雪の上に点々と血のこぼれた跡が見える。黄輪党の女たちは紫輪党の面々が休んでいるところへ辿り着いた。人よりもこの党では三頭犬の傷が深い。血止めをされた大きな三頭犬が膨張式の携帯(そり)に載せられている。頭に包帯を巻いた若衆が涙を流しながら三頭犬に呼びかけている。思いの外苦戦したようだ。

 いちばんに目標と遭遇し、交戦した紫輪党はこのあと、目標を追う勢子(せこ)たちのしんがりを務めながら怪我人の救助を担当することになっている。


「人数が足りないように見えるが」

「血の気の多い若い衆が先に行ってしもうた」


 長同士が情報を交換し合っている。板の加速装置の燃料容器を差し替えながら橘は紫五家の美しい女の姿を探した。いない。おっとりとした外見のわりに熱しやすいタイプのようだ。こみ上げる不安を橘は心の奥にしまい込んだ。


 長が黄輪党の女たちを集めた。

 キ神通信窓で地図を開く。赤い大きな三角の周りを青い小さい丸のグループが囲んでいる。小さな赤い丸のグループがやってきた。赤輪党だ。


「この後しばらく、赤輪党が先頭を走る」


 キ神通信窓に新しい地図が表示された。黄輪党の長が説明しながら線を加える。


「我らは目標の進路変更に成功している。そこで我が党は迂回して――ここだ」


 長はそのまま線を引いた。線が鬼熊と赤輪党の予想進路と交わる。


「ここで目標に攻撃、そして赤輪党に代わり先頭を走る」


 黄輪党の女たちが静かに長の言葉に聞き入っている。


「他党も怪我人が出ている。その先、陣まで少々距離があるが助けは期待できない。我らが勢子の先頭を走り続けることになろう。――よいな」

「応!」


 女たちが立ち上がり、加速装置を起動する。長の指示した新しい進路に沿って黄輪党の女たちが走り始めた。風を切り、雪を蹴散らしながら橘も疾走する。



     *     *     *


 槍の石突きでぐりぐりと押されて山猫男が雪の積もる地面にへたり込んだ。


「オレじゃねえ、オレじゃねえよ」

「そうじゃろうのう。おのれは阿呆じゃからのう」

「ホントだよ、――あの引きこもり野郎とめ、めず」


 先王が槍の上下を返すより早く山猫男は言い切った。


「引きこもり野郎と馬頭の若頭領が病原体をつくって――」


 先王の構えた槍の穂先が山猫男の額に刺さる寸前ぴたり、と止まった。止まったかに見えたがつい、と山猫男の額を穂先が撫でる。


「ひいいいいい」


 錆茶縞の額に血がにじんだ。



 山猫男が「引きこもり野郎」と呼ぶのは同じ惑星出身の囚人である。元々は白かったらしい汚れた被毛の猫男で、出身惑星がかなりの預かり料金を積み上げてきた問題児だ。預かり料金が上乗せされているのは山猫男も同様だが、白猫男には別の問題がある。知能犯且つマッドサイエンティストなのだ。

 この白猫男は囚人の生活介助ボランティアに励む馬頭の若頭領の純粋さだけでなく好奇心につけ込んだ。不遇を託つ人格者を演じて心をつかみ、人類拡散連盟銀河最先端の科学知識をレクチャーして好奇心を満たし、その上で少年から情報と援助を引き出した。情報は十年前の流行病、すなわち水疱瘡。援助とは研究用の機材や資材などである。


「人類拡散連盟ではとうの昔に失われた古代の病気の素があるってんで大喜びしやがったんでさ」


 白猫男は情報だけでなく、少年に微細病原体のサンプル、つまりコウジが十年前に持ち込んだ水痘ウィルスを盗ませた。


「ふたりがかりでいじくって病気の素を増やしたって――」

「ふたり?」


 先王が槍を山猫男の目の前で左右に振る。槍の穂先をよけようとのけぞりながら山猫男が答えた。


「引きこもり野郎と馬頭の若頭領で。――ひいいいいい」

「おおきみ。質問をお許しください」


 沈痛な面持ちで馬頭の頭領が先王に申し出た。自分の後継者、息子にあたる者の不祥事である。口を挟みづらいに違いないがよほどのことなのだろう。一瞬絡んだ視線を感情の載らない表情で打ち消す。馬頭の頭領は先王の許可に謝意を表し、山猫男に向き合った。


「まずひとつ。赤ん坊が発病したと言ったな。見たのか」

「見てねえよ。保育所で最終的な実験をするって引きこもり野郎から聞いた」


 実験、とつぶやき馬頭の頭領は美しい顔を辛そうに歪めた。


囚人(めしゅうど)よ。保育所にいる赤子だけでなく我らナラク王国の民全員、例の病にはかからない。体内に抗体を埋め込んであるからな」

「――なんだよ、計画は失敗かよ」

「残念ながら違う。くだんの囚人は盗み出した例の病の素から新しい病原体をつくったのだろう。だから実験、と」


 馬頭の頭領は深くため息をついた。


「囚人よ、もうひとつ質問が――」


 その時。


「う、ううう、う」


 広場の中央にいる彼らのすぐ近くでひれ伏したままだった老婆が(きし)むような(うめ)き声を立てた。

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