五
はちみつ色の瞳に吸い込まれる。
橘が顔を背け目を伏せたのと同時に、コウジの背後から咳払いが聞こえた。
「黄三家さん、近衛の方々はすでに表門へ向かっていましてよ」
雪を踏む足音のほうへ目をやると、紫五家の若衆がいた。漆黒のつややかな髪をひっつめに結いあげ、弓や山刀などを携えている。普段のたおやかさとは異なるきりりとした佇まいだ。
「マレビトどの、その飴はわたしがいただきましょう」
「え? いや、紫五家さん、飴ならイノさんが」
「イノさん? ああ、猪の人ですね。ええ、いただきましたよ」
黒髪の美女は「それがどうしました?」と言いたげに小首を傾げた。
「確か、『いつもお世話になっちょります』っておっしゃって」
コウジは頭を抱えたくなった。
――イノさんそんな言い方じゃ駄目だよ、義理チョコ扱いされてる……!
離れようとする橘の手をコウジは強く握った。まだ心を献げていない。
「イノさんから献げられたんだったらぼくの分は必要ないんじゃ――」
「わたし、がんばってるつもりですが」
「あ、仕事? 仕事ね、うん、そうだね?」
橘にも聞かせるつもりで「仕事」を強調したが握っている手からどん引きの気配が伝わってくる。紫五家の若衆は橘へ顔を向けた。
「だいたい黄三家さん、あなただって囚人さんたち、犬の人や鱗の人から飴を受け取ったでしょう?」
「何を言う」
橘がきっ、と黒髪の美女に向き直った。
「私は気持ちを受け取れないからと断った。誰彼構わず飴を受け取るとの誹りを受けるいわれはない」
「あら、お世話になっている方から飴をいただいたわたしが尻軽だとでも?」
「ちょーっとちょっとちょっと待ったあああああ」
なぜだ。なぜこんなことになっているんだ。コウジは睨み合う女二人の間に割って入った。
「そのあの、ぼくの飴はひとつしかなくて余っていないんでその」
「でしたらなおのこと、わたしがいただきますわ」
「えっとあの」
黒髪の美女はずい、と大きく一歩橘のほうへ踏み出した。分厚い毛皮のコートを着ていてもくびれのはっきりした豊満な体型が見て取れる。もともとの美しさと相まって色気と凄みがにじみ出ている。
「マレビトどのと黄三家の先代どのとの間に何らかゆかりがあったと聞いています」
黒髪の女は真剣な表情で切り出した。
「時を経て戻ってこられたマレビトどのは先代どのに心を残しておられる。だから我らがナラク王国の人口政策に尽力しておられる」
橘が大きな目を瞠った。
「あなたの母上のために、マレビトどのはそうしておられるのです」
「ち――」
違う、とコウジは言えなかった。橘の手を握る指の力が緩む。
「黄三家さん、あなたは先代どのと瓜二つ。あなたを見るたびに苦しい恋を思い出すのです」
違う。違わないかもしれないけれど、違う。コウジ自身がどんなに言葉を尽くしても結局は同じ結論、「苦しい恋」に落ち着くのかもしれない。
――けれどそうじゃない。
他人の口で語られる「苦しい恋」と、コウジと柚子の関係は同じではない。しかし何がどう違うのかコウジは言葉にできなかった。橘が紫五家の若衆からコウジへ、ゆっくりと視線を移した。
「マレビトどのが我らが国へ来られて半年。わがきみへの忠心も認められ、そろそろナラク国民として受け入れられる頃合いです。黄三家さん、そろそろマレビトどのを解放して差し上げてはいかが」
「かいほう?」
コウジを見上げたままきょとん、としていた橘の顔に理解の色が広がった。コウジの手から橘の指が離れた。
「――解放」
「ええ、そうです。マレビトどのは過去と決別し、この国で新しい人生を歩み始めるのです。三頭犬にかこつけてマレビトどのをあなたの母上に縛り付けるのはおやめなさい」
「しばりつける……」
自分へ視線を向けないことにじれたか、黒髪の女は橘の袖をつかんだ。
「マレビトどのがあなたと向き合うとき、彼の瞳に映っているのはあなたではない。あなたの母上です」
「やめ――」
やめてくれ、と間に入ろうとした時、背後から雪を踏む足音がした。そしてコウジが握る赤い箱が奪われた。
「んなっ――」
抗議の声を上げようと振り返るとそこに立っていたのは黄三家の老当主だった。老女は箱の赤い包装紙を毟り取りながら女二人を叱りつけた。
「何をしておる」
「お、おばば」
「そ、その飴は」
箱を開け、中身を摘まみ出す。
「あっ――ああっ」
コウジと女二人が止める前に老女はぱくり、と飴を口に入れた。もぐもぐと口の中で飴を転がす。
「ふむ、ふむ……飴作りの名手と名高い牛頭翁様から製法を授かったと聞いたが、確かになかなか……」
口中に広がる甘みと酸味、香りを楽しみ和らいだ表情をきりりと引き締め直し、老女は橘と紫五家の若衆へ厳しい目を向けた。片頬が飴でぽこり、と膨らんでいる。
「小娘ども、こんなところで何をのたくたしておるか。わがきみも表門へ向かわれたぞ」
はっと顔を見合わせた女二人は路地から通りへ向かい走り出した。ずっとおとなしくことの成り行きを見守っていた吹雪丸は三つの頭のうち一つだけをコウジに向け
「ふ」
と呆れたようなため息を漏らし、橘を追って走り出した。
コウジは呆然と立ち尽くした。ぼくの飴、食べられちゃった。赤い苔桃のコンポートに託した心、橘じゃなくておばあちゃんに献げちゃったことになるのか。
「うまいぞ」
「喜んでいただけて光栄です」
――おいしくて何よりです、ぼくの心。
コウジはがっくりと肩を落とした。




