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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第四章

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「ああ、刻限だ」


 橘が吹雪丸を連れて去った。しばらくするとざわめいていた広場がしん、と静まりかえる。背の高い女が広場の中央へ進み出た。

 王だ。後ろに近衛の女たち、そして吹雪丸が控えている。プラチナブロンドの髪が陽光を集め、眩しくなるくらい明るい。褐色の肌。切れ長の目。静かで穏やかなたたずまいながらグレーの瞳に覇気がうかがえる。


「り*********ろ――!」


 なんだって? コウジは耳を疑った。「リア充、爆発しろ」、王様、そうおっしゃいませんでしたか。


――いや、聞き間違いだよな。


 益体もない、そして物騒でお下劣この上ないネットスラング、ルサンチマンの叫びを日本から遠く離れた、本来接点すらない異世界で耳にするなんて。そんなことある訳がない。周囲の人々はじっと広場中央の王を見つめている。真剣で熱のこもった表情だ。


「冬眠せず我らがナラクシティを脅かす鬼熊が出現した。数は一頭。しかし相手は大きい。冬毛に身を固め、やすやすと射貫くことなどできぬ」


 固唾を呑んで王を見守る群衆の熱気がうねるようだ。

 牛頭と馬頭の少年ふたりが大きな盆のようなものを持ち、静々と広場の中央へ進み出る。王の前の台に盆のようなものを載せた。盆には小さな皿のようなものがたくさん、そして皿それぞれに一つずつ飴が載っている。王は無造作にひとつ選び、つまみ上げた。王の細くたおやかな指に挟まれた小さな飴が陽光を受けてきらりと輝く。中に真っ赤な木いちごが入っている。


「民よ、祭りだ」


 王は飴をつまんだ手を高く掲げ


「り*********ろ――!」


 と凜々しく宣言し、飴を口に入れた。おおお。人々がどよめく。

 コウジは正直なところ、「民よ、祭りだ」「リア充、爆発しろ」でなぜ「おおお」なのか、さっぱり理解できない。できないがひとまずそんなもんなのだろうと飲み込むことにした。異世界生活半年にして身につけた「郷に入れば郷に従え」スタイルである。コウジが内心首を傾げているうちに祭り開始のセレモニーが終了したようだ。

 広場が賑やかになった。シティ入り口へ移動を始める人の流れに乗りゆっくり歩きながらコウジは周囲を眺めた。

 牛頭の男、馬頭の男が意中の女に小さな箱を渡している。渡された女は頬を赤らめ微笑む。箱を開けずにポケットにしまう者、開けて中身を口に放り込む者、リアクションは様々だ。

 森でコウジたちを守ってくれた赤毛の兵士がいた。ネズさんが赤毛さんに小さな箱を渡している。ぽんぽん、と頭を撫でられてネズさんが嬉しそうにしている。葦毛の馬頭の男が赤毛さんに声をかけた。にこにこと微笑み合っている。ネズさんの献げた飴は義理扱いされそうだ。

 広場や石畳の路地、いろいろなところで甘々カップルが出現している。まさに「リア充、爆発しろ」的光景だ。


「それにしても何でナラクで『リア充、爆発しろ』なんて聞く羽目になるんだ」

「発音が正しくないようだな」


 いつの間にか橘が隣を歩いている。吹雪丸も一緒だ。


「り*********ろ」

「リア充、爆発しろ」

「いや、そうじゃない。り****、*****ろ」

「リほへぁジュふう、ぬふぁクりゅふツらロ」


 うーん。橘が足を止め、腕組みをした。混雑を避け建物の陰に入る。


「発音は幾分近くなった気がしないでもないが、なんだかたどたどしいな。正しくはこうだ、り*********ろ」


 コウジには「リア充、爆発しろ」と聞こえる。なんなんだ、この益体もない、そして物騒でお下劣この上ないネットスラングまがいのかけ声は。


「冬、鬼熊は巣穴で眠る」


 仮死状態になるタイプの冬眠ではないが、巣穴を暴くなどよほどのことでない限り、鬼熊は厳冬期に活動しない。しかし、毎年ごく少数だが冬眠し損ねる鬼熊が出る。秋に十分に餌を食べられず飢えるのが原因と言われている。腹を空かせた鬼熊からするとナラクシティは餌が豊富にある生肉ビュッフェのように見えるのか、冬になると鬼熊がシティの人々や家畜を襲う。そこで防衛のために、ナラクの人々は秋から冬の初めにかけて馴鹿の放牧や狩りの他に鬼熊探索の斥候を放ち、情報を集める。


「毎年、一頭を目標にして大々的に狩りをする。それが冬の祭りだ」


 冬眠できない鬼熊が複数うろついている年もあるが、一頭狩れば他の熊はおとなしくシティから距離をとるのが常だという。生き物相手だ。例外がないわけではない。シティの壁を破って侵入する熊を撃退するケースも生じるらしい。


「なるほど」


 しかしその鬼熊の習性と「リア充、爆発しろ」との関連がコウジには分からない。


「例のかけ声が何を意味するのか、時が経ちすぎて分からなくなったと聞いた」


 ナラク国民の祖先が播種船団に乗り宇宙をさまよっていた頃。船団に乗り合わせた少数民族の死と再生の祈りの儀式が伝わり、一部残っているという説が有力だという。「り*********ろ」というかけ声の勇壮な響きがナラクの人々に好まれているらしいが、コウジには「リア充、爆発しろ」にしか聞こえない。複雑な気持ちになるが、ここナラクでは気持ちを奮い立たせることばだと考えることにした。


「鬼熊に比べると我々は小さく弱い。三頭犬の力を借りてもなお弱い」


 橘が目を伏せた。

 鬼熊を狩るのは命がけだ。熊も獲物をもてあそぶためにシティを襲うのではない。生きるためにそうする。だから熊だけでなく人も必死だ。情報を集め、戦略を練り、周到に用意してもなお冬の祭りで死者が出ることがある。


「り*********ろ」


 顔を上げ、橘はきりりと表情を引き締めた。


「ナラクの地で生き延びるために我らは戦う。このかけ声は我らに、最強の戦士となるための力を授けてくれる」


 獣の荒い息づかい。血で汚れた口もと。視界いっぱいに広がる大きな影。コウジの脳裏に秋の森で遭遇した大きな熊の姿、身体と心を支配した恐怖がよみがえる。


「あんな恐ろしいものと、ほんとうに戦わなければならないの?」

「鬼熊からシティを守るのは我らナラクの女の義務だ」

「でも、心配だ」


 あんな大きく恐ろしいものに立ち向かえば無傷ではすまない。無傷どころか。竿を担いで楽しげに森の奥へ向かい、帰ってこなかった女たち。コウジは秋の森の惨事を思い出し震えた。


「冬眠し損ねた熊は腹を空かせている。冬の森に獲物はほとんどいない。鬼熊を狩らねばシティに、人々に被害が出てしまう」


 橘はコウジの手を取った。


「務めだから、ただそれだけではない。――私がそうしたいのだ」

「でも、――きみの身に何かあったら」


 つないだ手を引き寄せ、コウジは唇を当てた。細く頼りない橘の指先が冷たい。

 建物の影にあってもニットの帽子からこぼれる金色の髪は光を集めて明るい。大きな美しい目。はちみつ色の瞳。


「そんなに――私は似ているか、母者と」


 似ている。一度だけ会い、心をわしづかみにして離さなかったあの少女とよく似ている。


「母者ではなく私を見てほしい――無理な願いだろうか」


 そうしたい。そうしているつもりなのにそうできない。お互いの息がかかるほど身体は近いのに、心は遠い。橘の指を当てた唇がわなないた。


――ごめん。


 柚子に対してなのか、橘に対してなのか。口に出すのは簡単だけれどそうしてしまえば、コウジの大切にしたい気持ちはきっと嘘になる。空いている手でポケットを探り小さな箱を取りだした。中には小さな飴が一粒。砂糖を溶かしてつくった透明の飴に赤い果実を


――心を。


 閉じ込めてある。

 コウジは赤い箱を差し出した。


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