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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第四章

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 ナラク宮、会議室。握った拳を唇にあて、王が長考している。王の補佐であり各党の長でもある七名もそれぞれに考え込んでいる。


 コウジがその場にいればただ全員が何もない机に向かって苦虫をかみつぶしたような顔をしているだけに見えただろう。実際には共有している仮想空間上で会議資料が展開されている。普段は負荷の増大を恐れてあまり使わないキ神通信だが、今は重要な会議の最中だ。会議資料の共有だけでなく議事の自動記録なども行っている。ただここしばらく、会議に動きがないためキ神も停止している。停滞する数分が数時間にも、数十時間にも感じられた頃になってやっと王が口を開いた。


「森で人を襲った個体がどれか、結局分からずじまいか」


 王の指が何もない机の上をつう、となぞる。八人の視界には王の指が地図上の熊の出没地点をなぞっているのが見えている。


「秋のあの事件以来、鬼熊の目撃件数、足跡や糞などの出没痕跡の件数も例年並みに減少しています」


 ブルネットの短髪に青い目をした青輪党の長が言い添えた。静かで控えめな口調だが目に抑えきれない激情が燃えている。


「例年並み、ね」


 つやのある豊かな赤毛を無造作に後頭部で縛った女、赤輪党の長がふん、と鼻で(わら)った。


「むしろ例年より熊の目撃件数は少ないようだが」


 二人の長が睨み合う。

 青輪党からは鬼熊襲撃による被害者が出ており、赤輪党からはその事件に関連して謹慎処分を受けた者が出ている。赤輪党の長は、事件の被害は自党の兵の不手際によるものでないのに不当に処分を受けたと言いたいのだ。


「おやめなさい」


 その場でいちばん年長の牛頭翁が二人を制した。


「それよりも冬の祭りです」

「その通り。今年は家畜に被害が出ないうちになんとかしたい」


 王が全員に新しい地図を示す。


「これがナラクシティ周辺を縄張りにしている鬼熊の現在地だ」


 青い点がいくつか、そして赤い点が一つ。王の人差し指が指し示すその赤い点が地図上で動いた。


「これを狩る」


 赤い点を中心に、出没日時、写真、推定サイズなどのデータが展開される。王は指を地図に置いたまま全員をゆっくりと見回した。灰色の瞳が燃えるように輝く。


「祭りだ」



     *     *     *



 通達から二日後、冬の祭りが催されることになった。赤ん坊たちは全員保育所にやってくることになっているが、乳母の女たち全員が休みを取ると言い出した。仕事熱心な紫五家の若衆でさえ


「冬の祭りは外せませんの」


 などと言う。

 祭りだからと仕事を当然のように休むと言い出すのにも驚いたが、イベントの開催予定がその二日前にならないと決まらないのも驚いた。現代日本でスケジュールだの納期だの数々の期限に縛られるのが当たり前だったコウジからすると信じられない。冬の祭りはだいたいの時季以外は詳細が直前まで決まらないものだと聞かされればそんなものか、と納得するほかない。


――郷に入れば郷に従えっていうもんな。


 しかしひとりで赤ん坊全員の保育をするのは少々不安がある。困り果てたコウジに意外なところから協力の申し出があった。薪割りの件で仲良くなったおばあちゃんたちである。しかもおばあちゃんズが


「わしらに任せろ」

「若いもんは祭りに行くもんじゃ」

「マレビトどの、あんたもじゃ」


 と言い募るので、コウジは保育所を彼女らに委ねることにした。ちなみに要求された報酬は飴である。


「牛頭翁様のお手製がよい。一度食べてみたいと思うておったのじゃ」

「駄目ならマレビトどのの飴で我慢してやってもよい」


 言いたい放題だ。

 牛おっさんは飴作りの名人なのだという。ムキムキおっさんのくせに意外なところで女子力が高い。祭りからは引退しているけれど飴はほしいというおばあちゃんズのためにコウジは牛おっさんにお願いして余りの飴を分けてもらった。瓶に詰められた飴は菫に似た花を砂糖漬けにしたものが入っていてたいそうかわいらしかった。



 ナラク宮前の広場に人々が集まり、熱気が満ちていた。広場の中央に置かれた台を中心に、人々がひしめいている。春祭りの最終日も賑わっていたが、あの気怠く浮ついた感じと似ているようで違う。妙に熱っぽい。今回は女たちの目がぎらついている。


――いったい何があるんだ。


 コウジの視線が吹雪丸のそれと絡んだ。吹雪丸の三つの顔面は普段よりいっそう迫力に満ちていた。


――末代までたたるだけでは手ぬるい。微粒子レベルで殲滅してくれる。


 と言わんばかりに怨念を滾らせているように見える。あまりに強面ぶりに目をぎらつかせる女たちでさえ避けて通るくらいだ。しかしコウジからすると「今日は特にノリがいいな」程度にしか見えない。広場の隅に行儀よく座る強面三頭犬に気楽に近づき、


「みんなぎらぎらしてるねえ。何のお祭りなんだろう」


 三つの頭をそれぞれに撫でる。あ、そうだ、とコウジはポケットから小さな赤い箱を取り出した。


「これ、どうしたらいいんだろうね。――飴、食べるかい?」


 大きな鼻を近づけてふんかふんか、とにおいを嗅ぎ、吹雪丸はわずかに顔を背けた。


――犬に押しつけるのやめなよ、ヘタレ。

――このヘタレが。

――ヘタレ。


 三つの顔それぞれにそう主張しているようにコウジには見えた。しかしそんなはずがない。吹雪丸と自分の間には特別な絆がある。あるはずだ。もう一回押してみよう。


「変なものは入ってないよ? 飴、嫌いなの?」

「三頭犬は人間の食べ物を口にしない。そのように躾けられているからな」


 毛皮のコートに身を包んだ少年のような姿。地味なニットの帽子から明るい金色の髪が躍り出るようにこぼれている。きりりとした眉。はちみつ色の瞳。上気して紅潮する頬。


――柚子。

――違う。橘だ。


 橘は初めて会ったときの柚子とやはりそっくりだった。心が読まれているわけではないのに、後ろ暗い。コウジは微笑んだ。困ったような顔になっていなければいい、そう願いながら。


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