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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第四章

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 雪原を女たちと三頭犬の一団が進む。毛皮のコートにニット帽やマフラーなど完全防寒スタイルの上に濃いグレーのバイザーを装着していて女たちの見分けはつかない。

 先頭の三頭犬が歩みを止め、ぐるぐると唸り始めた。他の三頭犬も同様に唸る。女たちの中から一人、進み出て先頭の三頭犬の足下に片膝をついた。


「鬼熊の足跡だ」


 他の女たちも集まり、足跡をのぞき込む。ひとり、バイザーをいじりながら記録を始めた。


「座標****―****、頭数(いち)、進行方向――」


 最初に進み出た女が足跡の爪の向きから割り出された進行方向にある樹氷に覆われた白い森へ、そして後方、遠くに見えるナラクシティの壁へ目をやった。


「近いな」

「えっ」


 ひとり、そのつぶやきを耳にして驚きの声を上げた。若い。壮年体になったばかりか。


「まだ近くにいるんですか」


 先頭の女は白い森へ視線を戻した。


「違う。そうじゃない」


 近くに鬼熊が潜んでいれば無事では済まない。三頭犬たちの様子を見ても足跡の主はすでに森へ去ったと考えるのが妥当だろう。


「だが安心もできない」


 三頭犬たちがパトロールをしながら、鬼熊たちへ禁域であることを示すためにマーキングを定期的に行っている。三頭犬たちの警告は届いているはずなのにその禁域にこの足跡の主は入り込んでいる。


「わがきみのおっしゃるとおり、少し様子がおかしいかもしれない」


 女の目の鋭い光をバイザーの濃い影が隠す。


     *     *     *


 雪のこびりついた窓の外に中年の女がへばりついている。

 ベビーベッドをたたんで掃除に勤しんでいたコウジは窓にいきなり影が差したのに驚きのけぞった。


「ななななな、なんなんですか。びっくりしたな、もう」


 窓を開けると凶暴な冷気が保育所内に入ってくる。


「なぜ窓を開けるか」


 中年の女がコウジを睨みつける。このおばちゃんは確か赤輪党に属していたはず、とコウジは記憶の中から情報を引っ張り出した。赤輪党にはまだ赤ん坊がいない。赤ん坊が珍しいだけでなく、硬派な物言いのわりにこのおばちゃんはかわいいもの好きなのかもしれない。


「赤子たちが風邪を引いたらなんとする」

「なぜってあなたが窓にへばりついていたからでしょう。何かご用ですか」

「窓を閉じよ」

「だからご用件は」

「赤子たちが風邪を」

「引きませんよ、今日はみんなお休みです」

「んなっ」


 今度はおばちゃんがのけぞった。そしてがっくりと膝をつく。

 実は農場などが冬期休業で閉鎖になり、馴鹿の放牧も近場で当番制、と女たちの業務のかなりの部分が休みになっている。母親や同じ党の女たちの手が空くのでかわいい赤ん坊をみんなで世話したいとまとまった休みをとるものが増えた。どんな仕草も愛らしいこともあって、女たちの間で赤ん坊が大人気なのだ。ふやふやとやわらかく扱いづらい、訳の分からない珍獣から人気者にクラスチェンジだ。子どもはたくさんの人々から愛されて育つのがよい。だから「掌を返すようにかわいがっちゃって」などという意地の悪い見方よりコウジは人々の理解が深まったという考えを採るようにしている。

 身近に赤ん坊がいないけれど興味津々らしいおばちゃんは赤ん坊が長期休みと聞いてつまらなそうに唇をとがらせた。


「せっかく鴨を獲ってきたのに」


 後ろ手に隠していたらしい太った水鳥がちらりと見えている。狩りから戻ってすぐ保育所へやってきたのか、羽も毟っていない。


「赤子たちに精をつけてもらわねば」

「いやあ、確かに赤ちゃんたちの離乳食が始まりましたけども、いきなり鴨をまるまるってのは――あ、ぼくがいただきましょうか」

「駄目じゃ」


 ぷいっと明後日の方向へ顔を向けたおばちゃんが横目でちらりとコウジを睨む。


「男なんぞ太らせても詮ない。が、赤子たちのあまりなら食してもよいぞよ」

「分かりました。ありがたくいただきますね、あまりを」

「うむ。食糧部に預けておく」


 おばちゃんは太った鴨をぶら提げて雪の積もる庭伝いに去って行った。




「赤子、おらぬのか」


 プラチナブロンドの巻き毛。すべらかな褐色の頬。つり上がった大きな目。表情豊かな灰色の瞳。部屋の扉を少しだけ開けてその隙間から顔をのぞかせているのは次代の王、春宮だった。


「ええ、しばらくはみんなお休みです」


 不測の事態に備えて医療部と連携するためにコウジだけはこうして保育所に出勤しているが、紫五家の若衆を含め、新たに雇い入れた乳母たちも休みだ。普段手伝いに来てくれるゴメズの少年たちもしかり。


「馬頭の若頭領もいらしてませんよ」

「知っておる」


 部屋に入ってきた春宮はぷう、と頬を膨らませた。


「近頃あやつは囚人に夢中なのじゃ」

「ああ」


 その噂はコウジの耳にも届いている。

 イノさんと同じ一度目の囚人団の中で一人だけ、所定の検査をクリアしなかった囚人がいる。伝染性の持病があるわけではない。心理的な問題を抱えていることと、本人の希望によりゴメズ楼地下にある独房で引きこもり生活をしているらしい。

 馬頭の若頭領は保育所だけでなく、囚人区画の生活介助などのボランティアにも積極的に参加していたのだが、そこで出会った引きこもり囚人となぜか意気投合したのだという。心理的に問題を抱える囚人だけに周囲の人間も、親にあたる馬頭の頭領も心配したのだが、本人は


「かの囚人と語り合うと刺激が多く、とても勉強になるのです」


 と平気そうにしている。それどころか、普段からまじめに取り組んでいた医学の勉強によりいっそう熱が入ってきている。少し気味が悪い相手だが悪影響ではないらしい、と周囲もだんだんと警戒を解きつつあった。


「いつもいつも『忙しいのでまた今度』などと言って遊んでくれぬどころか、話もろくにしてくれぬ」


 コウジと春宮は庭を望む窓を向き、並んで座った。保育所の庭は雪に覆われている。真っ白い庭が日光を鮮やかに反射してまぶしい。


「皆、『馬頭の若頭領はがんばっておいでなのですから』『宮さまもわがままをおっしゃらずご精励を』などと言う」


 立てた膝に額をくっつけ、春宮は顔を隠してしまった。

 周りからすれば少々我慢も落ち着きも足りないように見える。コウジにもそう見える。それでも、この勝ち気な童女なりに精一杯譲歩しているつもりなのだと分かる。わがままには違いない。しかし、それを指摘せず


「よく我慢しましたね」


 コウジは隣で膝を抱える童女の頭を撫でた。


「うん」


 童女は短く答えたきり黙ってコウジが頭を撫でるに任せている。

 春宮はコウジの言葉尻をとらえて嵩に懸かった物言いをしない。コウジも先回りして次代の王の機嫌をとったりしない。

 コウジには想像がつかない。この小さな頭の中に千人近い王の記憶が入っているというのがどういうことなのか。ただ隣で背を丸める小さな人間はひとりの女の子で、故郷日本に残してきた姪たちの成長する姿と重なる。


――あの子たちも数年後にはこんな風に。


 姉たちが幼い頃そうであったように、そして今、春宮がこうしているように姪たちも思い通りにならない状況をもどかしく感じたり、かんしゃくを起こしたり、我慢したりするのだろう。

 陽光を集めて輝くプラチナブロンドの巻き毛がするりと指から逃げてゆく。幼いもの特有のうつくしくすべらかな髪の感触をコウジは慈しんだ。


「分かっておる。あやつは他から観れば頼りない外見をしている。本人は悔しかろうがそれをばねにしてがんばっておる」


 身体の小さなポニー頭の少年が次代の王の治世を支えたいと努力している。自分のためでもあると分かっていても春宮は寂しくて仕方ないのだろう。

 くだんの囚人の何があの優しい少年を惹きつけているのか、コウジには分からない。隣の童女が拗ねているから、というだけでなく、何とはなしにひっかかる。身体は小さくとも宰相候補として着実に力を蓄えつつある少年をお気に入りの囚人から引き離す根拠が見つからない。


――部外者である自分が口を挟むことではないから。


 コウジは不安を心の奥にしまい込んだ。

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