二十六
「リア充、爆発しろ」
「は? りあじゅー、ばくばく?」
「いや、違います。りあじゅ――いいえ、何でもありません」
ハイスペックな馬男にとんでもない呪詛の言葉を投げつけてしまった。コウジが現代日本のスラングを不用意に口にしたことを反省していると、馬頭の頭領は美しいアーモンド型の目を伏せて真剣な表情で考え込んでいる。
「似てるな」
「な、何に」
「冬の祭りで女たちが口にする――アレだ」
なんだっけ、とイケメン馬男が首を傾げる。よくよく見ればかなり眠そうだ。
「馬頭の頭領、お疲れなのではありませんか」
「うん、そうなんだ。ねむい」
十年前の事故で先代を失い、若くして党の長になったイケメン馬男は牛おっさん同様、日々激務に追われている。
「頭領、お部屋に戻りましょう」
「うん」
口調が子どもっぽくなってきた。完全無欠のイケメンなのになんだかほほえましい。
「わたしの麗しいお方はね」
麗しいお方って誰だよ、と突っ込みたくなったがさすがに鈍いところのあるコウジもすぐに思い当たった。先王のことを指すのだろう。
「すばらしいんだ」
「そうですか」
「ほんとだよ?」
嘘だとは言ってない。ただ「蓼食う虫も好き好き」ということばがコウジの脳裏を過った。美人で巨乳だが、イケメン好きで他の男にも手を出していて、しかもそれを隠しもしない恋人ってどうなんだろう。自分がほんとうに愛されているのか、不安になったりしないんだろうか。
隣でふらふらしているイケメン馬は睡魔と戦い目をしょぼしょぼさせていてもきらきらしい。もともと今上の王の配偶者となるべくつくられたクローン体だから、年格好も王配にふさわしく王より少し年上だ。王と並んで微笑み合うところなど想像してみるとぴたりとはまる。実にお似合いだ。なのにどうしてこうなったんだろう。
「わがきみに忠誠を誓い、敬いお慕い申し上げているが、わたしの心は麗しいお方のものだ」
馬頭の頭領は眠くなると雄弁になるらしい。珍しいタイプだ。
「マレビトどの、ちゃんとわたしの話、聞いてる?」
「聞いてますよ」
まるで絡み酒だ。しかしアルコール臭がしない、素面らしい、なおのことタチが悪い。
馬頭の頭領の欠点はおばちゃんの愛人をやっていること、そうコウジは思っていた。違う。完璧超人だと思われたイケメン馬の欠点は寝ぼけるとやかましくなるところだ。先王はきっと、寝入りばなに耳もとでやかましくしゃべりまくる恋人がうざったいから朝まで共寝せず深夜、「部屋へ帰ってお休み」とかなんとか理由をつけて放り出すのだろう。
これはコウジの邪推だ。リア充に対するやっかみ成分を多量に含んでいる。しかし外れているとしてもさして遠くもないに違いない。
「さっきの霊廟ね」
ナラク宮の地下のどこか、人の気配の全くしない通路でイケメン馬は立ち止まった。悲しげな表情を浮かべている。
「今はまだ正常に機能しているけれど、クローニング用の体細胞が複製できなくなりつつあるんだ」
クローニングシステムでなく、問題は複製回数の限界にあるのだという。そういえば王も同じことを言っていた。だから自然生殖を復活させようとした、と。
「麗しいお方は十年前、連盟と交渉した。国民が命あるうちに他の惑星に移住できるように」
時機悪くコウジが柚子と出会い、ナラク王国にウィルス性疾患を持ち込んだ。
「――何度謝罪してもどうしようもないと分かっています。でも、すみません」
「そうじゃない。マレビトどのを責めているのではないのだ」
黒々として美しい馬頭の頭領の瞳はじっと通路の壁に据えられている。見ているのは壁でなく時間も場所も違う遠いどこかなのかもしれない。
「麗しいお方のお考えも、偶然手にしたチャンスを活かそうとされたわがきみも、どちらも正しいようにわたしには思える」
馬頭の頭領は目を伏せ、まつげを震わせた。美しい月色の毛に影が落ちる。
「ナラクの民を滅びのさだめから救いたい。おふたりの目指したところは同じだったのに、なぜこうも隔たってしまったのだろう」
この男だけでない。
牛おっさんも苦しんでいる。一度先王の代に失脚した牛頭翁は亡くなった息子の代わりに今上の王の宰相のような仕事をしているものの、地位と名誉が本人に戻ったわけではない。愛人を重用しているなどと後ろ指をさされないよう慎重に、でも若い恋人の役に立ちたいと考えているに違いないおっさんの板挟みと、目の前の美しい男のそれは等しくない。
牛おっさんの、そして馬頭の頭領の苦しみをコウジは完全に理解し分かち合うことはできない。
――あなたが苦しんでいると知っている。
それでもそのことを伝えたくてコウジは馬頭の頭領の腕にそっと触れた。
寝ぼけてぽわんぽわんした馬頭の頭領の案内で培養ポッド室から見覚えのあるエリアに辿り着いた。どうも培養ポッド室はナラク宮正面入り口の下部にあるらしい。そのままふたりで歩くと、医療部の一角に辿り着いた。確かここは仮眠室だ。扉の前で立ち止まった馬頭の頭領が
「それ、牛頭翁の上着だね」
と言い出した。さっきもその話をしたような、と首を傾げているとイケメン馬が
「じゃあ、わたしも」
と上着を脱ぎ、牛おっさんの上着を羽織っているコウジの肩に掛けた。ぽんぽん、と着ぶくれたコウジの肩をたたき
「これでおそろいだ」
馬頭の頭領はにこにこと満足そうにしている。そして機嫌良く目の前の部屋へ姿を消した。何がどうおそろいなんだ。
鼻先で静かに、そしてがちゃりと鍵を掛けられてコウジは気づいた。
この仮眠室で朝まで休むという手があったんじゃないか。
ノックしようとしてコウジはやめた。疲れ切っている馬頭の頭領を起こすのが忍びない。それもあるが寝ぼけると妙に話が長くなる、相槌を強要するという馬頭の頭領のあの奇癖に再びつきあうのも億劫だ。
――散歩でもするか。
コウジはナラク宮から外へ出た。朝までまだ間のある時刻。宮前の広場は二つ三つ街灯がともる他は明りがなく暗い。石畳の広場を影の薄い男がひとり、ゆっくりと横切る。吐く息が白い。牛、馬、大男二人が押しつけるように着せた上着がずっしりと身体を覆い、あたたかだ。
ふと、視界を何かが過った。
――雪だ。
見上げるコウジの額に、鼻の先に、道を踏みはずして以来伸びない髪に、天から雪片が降ってきてそして溶けて消える。小さく、軽く、薄く、儚く白い。
――恋は不思議だ。母者が言うておられた。
――どちらが先に手を出したの出さないの、そういうものではない、と。
コウジは橘から聞いた柚子のことばを思い出した。牛おっさんが、馬頭の頭領が、王が、先王が、亡くなった柚子が、
――ぼくが。
周りの期待、人生のレール、運命、道を踏みはずしそれでも恋をしてしまう。ほんとうだ。恋は不思議だ。
静かにひそやかに雪が降る。冬がやってきた。




