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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第三章

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二十四

「追うな」

「しかし、わがきみ!」

「ならぬ」


 王は森の奥を鋭く睨んだままはねつけた。

 大勢の助けがやってきて一斉に矢を射かけたため、白黒熊は逃げていった。コウジはのろのろと身体を起こした。

 王は赤毛の兵士から状況を聞き取るといっそう厳しい顔になった。


「追って沙汰する」

「かしこまりました。わがきみ」


 赤毛の兵士が憔悴した表情で下がる。王は周りの兵たちに指示を出した。


「兵を分ける。後ろの幼年体が多いあたりに回り込まれてはならぬ」

「ではやはり先ほどの熊を追うのですか」


 ブルネットの短髪が凜々しい小柄な中年女が前へ進み出た。声が震えているが、恐怖によるものではない。女の青い目に燃えるのは悲しみと憤り、復讐への期待だ。


「追跡はしない」


 王は静かに中年の女を制した。


「二名を救出しに向かう」


 女ははっとした表情で片手を胸に当て目を伏せた。



 散乱した苔桃の実が踏みつぶされている。果肉や果汁が土にまみれ赤黒い。あたりに立ちこめる甘酸っぱい果物特有の香りもコウジの心を慰めることはなかった。虚ろに視線を地面に投げるコウジの背後で吹雪丸が控えている。王がつかつかとやってきて吹雪丸の三つの頭をそれぞれに撫でた。


「ようやった。私が駆けつけるまでよう守ってくれた」


 巨大な三頭犬は王でなくコウジをじっと見つめている。兵士がやってきた。


「わがきみ、準備が調(ととの)いました」

「うむ」


 王は動かない。コウジはのろのろと重い腕を上げ、吹雪丸の頭を撫でた。甘えるでなく、拗ねるでもなく、吹雪丸はコウジのなすがままに任せている。隈取りマスクのような迫力満点の顔、青い目は静かに凪いでいる。先ほどまで熊と対峙していた興奮の名残は見えない。


「ぼくは平気。だから王様と一緒に行って、吹雪丸」

「助かる。マレビトどの」

「いいえ。お気をつけて。吹雪丸もね」


 わふ、と短く答えて、吹雪丸は王に伴われ森の奥へ去った。


     *     *     *


 人と三頭犬たちの荒い息づかいとひそやかな足音の他は何の音もしない。紅く黄色く華やかに葉が落ちる広葉樹林から、ぴりりとした芳香とじっとりとした湿り気が満ちる針葉樹の小暗く茂る森へと王の一行は向かった。

 木立を抜けた向こう側、川の畔に惨劇の痕跡があった。

 魚籠(びく)から飛び出た魚があちらこちらでぐったりと力なく散らばっている。折れた釣り竿。(なた)や山刀。そして血だまり。


「どうしてこんなことに……」


 ブルネットの短髪を震わせ中年の女がひざまずいた。青い目からぽろぽろと涙がこぼれる。


「青輪党の、例の二人に間違いないか」

「はい。他の釣り人のいない森の奥へ行けば釣果(ちょうか)が伸びると考えたのかもしれません」


 中年の女、青輪党の長が(しぼ)り出すような声で応えた。


「この二人は森に慣れています。でも――慢心があったのでしょう」


 王と青輪党の長を囲む兵士や三頭犬たちが頭を垂れる。王はきらきらと陽光を反射する明るい川面に顔を向けた。灰色の瞳が暗澹とした色に陰る。


「――鬼熊め」


 川面から森へ視線を移し王がつぶやいた。



     *     *     *



 ドアの向こうからでかちゃかちゃと食器の触れあう音がかすかに聞こえてくる。


――今日も遅かったんだな。


 牛おっさんの帰りを出迎えようとコウジはベッドから部屋の外へ出た。


「起こしたな、すまなかった」


 そこにいたのは王だった。


 寝間着を着替えようと部屋へ戻りかけたコウジを王は止めた。


「気にしなくてよい」


 王はプラチナブロンドの濡れ髪をゆるく結いあげざっくりとしたガウンを羽織ったくだけた出で立ちだ。


「私も気にしない」

「しししししかしですね、お、おっさ――いや違う、牛頭翁(ごずおう)ならまだお帰りになってませんよ」

「知ってる」


 王はぞんざいにコウジの狼狽を切り捨てた。


「残業を命じた」

「ひ、ひどい」


 やかんに水を注ぎながら王はうふふ、と片頬で笑んだ。



 王は茶の準備を始めた。


「あの、お茶ならぼくが」

「よい。座っておれ」


 ティーポットや茶筒など、迷わずに王は取り出した。茶を淹れ慣れているだけでない。


――ああ、そうか。


 通い慣れているのか。こうして台所に立ち、年の離れた恋人に茶を振る舞う王の姿が容易に想像できる。

 と、思考がそこに至ってやっとコウジは気づいた。

 夜、風呂上がりにやってきて、ということは王おんみずからお忍びでお渡りになったってことでつまりアレなのではないか。いもせのちぎりとかいう恋のうんちゃらが牛おっさん宅で行われるんじゃなかろうか。コウジは青くなった。


「あの、もうそろそろおっさ、じゃなくて牛頭翁が帰ってくるんでしたらぼく、外し――」


 中腰になったコウジをちらりと振り向き、


「座っておれと言うに」


 王が睨んだ。細身の美女はプライベートモードでもやはり迫力がある。数分後、居心地悪く縮こまるコウジの前に湯気の立つカップが差し出された。


「飲め」


 向かいの席に座り、王もカップを手にした。


「ん?」


 澱のように赤い何かがカップの底に沈んでいる。鼻先に甘酸っぱい香りが漂う。


「苔桃のジャムですか」

「そうだ」


 王はうなずき、ふうふうと湯気を吹き茶を口にした。そしてテーブルに肘を突きほう、と肩から力を抜いた。普段は覇気溢れる鋭い雰囲気の王だがこうしてふにゃりとくつろいでいると、年齢相応の普通の女に見える。


 コウジもカップに口をつけた。少し渋めの茶にジャムの甘みが意外に合う。

 この苔桃の香り程度ではショックが和らがない。昼間はそう思った。しかし生の果実でなく人の、牛おっさんの手の入ったジャムは鮮烈な香りが抑えられてやわらかい。牛頭の中年男の人柄を思わせる素朴な甘みがじんわりと身体にしみた。



「あ」


 コウジは背筋を伸ばした。


「申し遅れました。今日は助けていただきありがとうございました」

「うむ」


 王の顔にいつもの冴えた表情が戻ってきた。


「無事で何よりだった」


 言葉を選んでいるのか、王はカップに視線を落としたままゆっくりと口を開いた。


「そなたが囚人たちのグループに入れられていたのにも驚いたがそこはおいておこう、囚人たちの班が採集の辺縁に配置されているとは思わなんだ」


 王はさらに何か言いかけたようだったがいったん口を閉じた。陶器のカップがじんわりと熱を伝え掌を温める。王はスプーンで茶をかき混ぜた。一口飲んでほう、とため息をつく。


「猪の囚人がな」

「イノさんですね」

「うむ。そのイノさんとやらが活躍したのだと兵から聞いた」

「イノさんはとても優しくて頼りになる人です」


 見た目は悪人だが。


「うむ。そうらしいな。模範囚で農場での働きぶりもよいと聞く。それと、牛頭翁からもイノさんとやらが代表する囚人一派の話を聞いている」


 牛おっさんはちゃんと王に囚人たちの話を通してくれていたらしい。コウジは嬉しくなった。王によると無期懲役の囚人を預かるサービスを試験的に始めたのは、連盟通貨獲得と自然生殖復活実験だけが目的ではないのだという。


「いずれ二世代、三世代のちに入植者として迎えられる人材があればよいと思っていたが意外に早かった」


 王の疲れのにじむ顔に喜色が浮かぶ。


「制度を整えなければならぬ。今は女性体中心だがそれを男性体もともに生き、子孫を残す社会に変えていきたい。すぐにどうこうできぬが――いずれ、必ず」


 この冬は忙しくなる、とつぶやく王の顔に陰りがよぎった。カップから立ち上る湯気の揺らぎで見違えたかとコウジは思ったがそうでなかったようだ。


「冬か。しばらく厳しくなるだろう」


 つぶやいて王は俯いた。農場では作物が豊作で家畜も順調に()えていると聞いている。コウジは首を傾げた。


「害獣がな、あれらを鬼熊と呼ぶのだが」


 その鬼熊の活動が年々活発になっているのだという。ナラクシティの農場だけでなく周囲の森も今年は実り多かったというのに馴鹿(じゅんろく)や人を襲う事件が多発している。


「鬼熊は一頭あたりの縄張りが広い。シティ周辺であればせいぜい三、四頭程度なのだがどうも数が合わない。森の実りが豊かになった分、熊どもも増えたのかもしれぬ」


 鬼熊は冬眠する。ただ、毎年冬眠しそびれる個体が現れるとかでそれが餌を求めてシティにやってきて家畜や人を襲う。


――ぼくの知ってるパンダとずいぶん違う。


 異世界パンダの恐ろしさにコウジは身震いした。


「あの熊どもは人を喰らい鬼になる」


 王は苦しげに眉をひそめた。

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