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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第三章

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二十一

 人々は森へ何を集めに行くのか。


――マレビトどのも参加されるとよいです。


 紫五家の若衆の手配で森に向かうグループにコウジは入れてもらうことになった。分からなきゃ行ってみりゃいい、ということなんだろう。

 ぞろぞろと歩いて森に向かい、大きな背負いかごとちりとりのような物を渡された。


「諸君らは苔桃(こけもも)の実を集めてくれ」


 赤毛でつり目のいかにもすばしっこそうな細身の女が指示をした。少女と呼べる歳ではなさそうだが若い。背負いかごの他に弓だの(なた)だの刀だの武器と思しき物をたくさん携えている。


「森の奥へ行かないように。我ら兵士の姿が見える範囲で動くように」


 念を押されいったん解散となった。三々五々、連れだって木々の間を進んでいく。コウジはイノさんをはじめとする顔見知りの囚人数人と、吹雪丸とともに歩いた。保育所に顔を出す顔見知りの子どもらがきゃっきゃとはしゃぎながら追い抜いていく。



 ナラクシティの秋の終わり。秋と言ってもかなり冷える。馴鹿(じゅんろく)のコートを着込んでいてもフードで隠せない頬を冷気がちくちくと刺す。吐く息が白い。コウジの育った東京であれば冬の気温だ。

 シティ外の森は黄色や赤に染まっている。高く青く晴れ上がった空を背景に華やかに贅を尽くした錦のような森の紅葉がまぶしい。

 イノさんは保育所によく顔を出すので慣れているが、他の囚人は強面の吹雪丸を敬遠気味だ。景色に気をとられてふらふらと列から外れそうになっている囚人を見つけると吹雪丸は


「わふ」


 と低く吠えて注意を喚起する。コウジからすると敵意などかけらもなく威嚇するつもりもないのは明白なのだが知らない人からすると相当怖いようだ。それでもむやみやたらに吠えたり噛みついたりしないと分かったのか、囚人たちもだんだんと巨大な三頭犬への警戒を解きはじめた。



「猪の人さー」


 小柄な鼠頭の囚人がちょこまかとイノさんに歩調を合わせながら話しかけた。イノさんほど親しくはないが顔見知りで、コウジは彼をネズさんと呼んでいる。何のひねりもない。


「やっぱり豚系統だから鼻が利くんだよね。なんできのことかじゃなくて苔桃摘みの班なの?」

「初めて入る森の、初めて見るきのこが食べられるものかどうか、俺には分からん」


 イノさんは古い傷跡の残る頬をゆがめてニヒルな笑みをつくった。


「俺がてきとーに集めたきのこの毒味、あんたがするかね?」

「いや、滅相もない」


 イノさんはだ、ははは、は、と豪快に笑った。


「頭が猪の亜人類でも基本がヒトなのはあんたと同じだがね」



 森へ入るのは、冬支度の一環だ。

 子どもや初心者は苔桃の実、熟練者はきのこや薪用の木の伐採、と大まかにグループ分けされて森の恵みを集めに行く。人員や作業エリア、作業日数などを計画的に割り振るれっきとした冬支度なのだが、参加する人々は皆うきうきとしている。ハイキングのようだ、とコウジは思った。

 このあたりにしようか、とコウジたちが足を止めたのは切り株が点在する見晴らしのよい一角だった。三人は大きな古い切り株を囲んでしゃがみ込み、苔桃の茂みにちりとりを突っ込んだ。丸く赤い苔桃の実がざくざく採れる。この季節、地を這うように茂る特徴ある灌木、鈴なりの真っ赤な実、そこら中に生えていて間違えようがない。普段、赤ん坊から目を離せないので単純作業に集中できるのが案外快い。コウジは夢中になってひたすら茂みにちりとりを突っ込み、苔桃の実を集めた。

 親子のように似た、高年体と壮年体の女性二人連れが森の奥へ入っていった。竿を担いでいるので釣り目的なのだろう。早くも苔桃摘みに飽きつつあるらしいネズさんが羨ましげに二人を見送った。


「薪用の木なんてさ、そこら中に生えてるんだからそれこそ力任せにばっさりやっちゃえばよさそうだけどね」


 単におしゃべりなのか、何か一言言わなければ気が済まないタイプなのか、ネズさんが甲高い声でぼやく。それをイノさんがゆったりと遮った。


「それがそうでもなかち」


 新しい切り株、古い切り株の離れ具合、木の種類など、伐採にあたって細心の注意が払われているのだとイノさんはいう。


「丁寧に手入れしてある森じゃっど」


 元は(きこり)だったのか、猟師だったのか。イノさんは山育ちの人なのかもしれない。



 警備の兵士に促されて解散地点へ戻ってみると、ほかほかと湯気を立てる大鍋がある。炊き出しが用意されていた。


「おいしいいい」


 先に昼食に取りかかった子どもたちがお椀に鼻を突っ込むようにして食べている。にこにこした葦毛の馬頭の男が湯気を立てるお椀を差し出すのでコウジは礼を言って受け取った。中身は何かの肉と根菜のスープだった。汁を匙で掬ってひとくち含むと、温かさとうまみが身体の隅々までしみわたる。肉と野菜、塩だけの素朴な味わいだがそれがいい。コウジは子どもたちと同様、お椀に鼻を突っ込む勢いではふはふとスープを食べた。吹雪丸は葦毛の馬頭男から肉のついた骨をもらってご機嫌だ。ふんかふんか、と鼻息荒く齧りついている。


「この肉は何だろう」


 ネズさんが鼻をひくひくさせた。そう言えば、普段の食事は肉より魚が多い。


「針豚だ。うまいぞ」


 近くにいた赤毛の兵士がスープの湯気に目を細めた。


「私も五頭所有している。賢くてよく懐くし、何より肉がうまい」

「懐く。肉がうまい」

「そうだ」


 赤毛の女はまじめに頷いた。

 女もイノさんもなぜ念を押すのかと言いたげに首を傾げたが、コウジには何となくネズさんの言いたいことが分かるような気がする。どういういきさつでこの寒冷惑星で囚人暮らしをしているのかは知らないが、ネズさんはきっと都会育ちなのだろう。食糧としての肉は(さば)かれ調理を待つのみの状態で用意されているのであって、毛皮や羽毛の下で躍動し脈打つ筋肉とは別物。世界は違うが同じく都会育ちのコウジの身にもしみついた感覚だ。ネズさんにとって「賢くてよく懐く」動物、しかも飼っている動物はペットであって、家族のような存在なのだろう。パートナーや家族のような存在である動物と「肉がうまい」がネズさんの中では結びつかないに違いない。コウジは実家の柴の老犬を思い出した。そして凶悪な表情で骨をかじる吹雪丸を見た。



 針豚スープの炊き出しの列に明るい金髪が見えた。橘だ。一緒に並んでいる童女に話しかけられてはちみつ色の目を細め微笑んでいる。傍らにはまだ幼い三頭犬がいて「ちょうだい、おいしいもの、ちょうだい!」と言いたげに跳ね回っている。

 賑わう人々の中で橘の姿は目立つ。同じく金髪で、似た背格好の女は少なくない。それなのにひしめく人々の中で橘はくっきりと浮き上がっている。立ち姿がすっきりと凜々しいから。横顔が美しいから。はちみつ色の瞳がやさしくあまやかな色合いだから。

 一度だけ愛し合った人と同じ姿だから。

 橘が歩き、橘が微笑み、橘が驚き、悲しみ、怒り、そして橘が笑う。コウジの知らない、そしてコウジが知りたかった十七歳の柚子の日常生活がそこにある。同時にいたたまれなくなるようなもどかしいような、それでいて切実な胸の痛みがコウジを現実に引き戻す。橘は橘だ。どんなに柚子に似ていても、たとえ同じ遺伝子でつくられていても別人だ。


――分かっている。


 コウジは目を背けた。だから知らない。はちみつ色の瞳が彼の姿を追っていたことを。


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