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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第三章

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二十

 牛おっさんが疲れ切った顔で居室へ戻ってきた。


「ずいぶん無茶をしていると聞いているが」

「どなたがそんなことを」

馬頭(めず)の頭領だ」


 コウジの勤める保育所は医療部内にある。ワーカホリックぶりが目立ってしまったかもしれない。馬頭の頭領は怪我が瞬時に癒え、惑星ナラク出現時の状態を維持し続けるコウジの妙な身体のことを知っている。だからこそその異常が知れ渡らない方がいいと考えているらしい。馬頭の頭領の配慮はありがたいが、コウジは保護されて安穏と過ごしていられない。橘の家の件だけでない。コウジを心配してくれる馬頭の頭領も、目の前の牛おっさんも、ナラクの人々みんなが十年前の件で多大な影響を受けている。


「おっさんこそいい年なのに無茶が過ぎるんじゃないですか」


 コウジは茶を出した。牛おっさんも激務が続いている。深夜に近いとはいえ、それでも今夜は戻ってこれただけましだ。いっしょに暮らしているといっても顔を合わせる機会は少ない。


「いい年って……まあ、そうだよなあ」


 牛頭の男たちの中でもひときわ大きく隆々としているのでじじむさくはないが、牛おっさんは本来、引退に向けて引き継ぎをしていく年齢なのだとコウジは馬頭の頭領から聞いている。引退できないでいるのは十年前、人類拡散連盟との会見の際に事故に巻き込まれ跡継ぎである牛頭(ごず)の頭領を失ったからだ。さらに次代の頭領はまだ幼年体で仕事を割り振ることができない。ナラク社会はクローニングにより、遺伝子のみならず職業などの社会的な役割をも完全に固定することで生きながらえてきた。牛頭党の部下たちが党のリーダーであり実質上宰相でもある牛おっさんを全面的にフォローしているものの、この社会的役割の固定が障壁となってスムーズに事が運ばない。


「我が国の歴史で今までにこういう事態が全くなかったわけではないからな。なんとかやっていくほかあるまい」


 そのあたり、馬頭も似たような状況である。馬頭党の場合は当時の王配でもあった牛おっさんと同じ代の頭領が同じ事故に巻き込まれて亡くなっている。



「ふむ。囚人たちがそのように」


 自分たちの子ども、そしてその子どもらの母親なのだからもっと大事にしてほしい、というイノさんの話を聞くと牛おっさんは顎を指で撫でながら俯いた。


「妊婦、産婦を大事にしてほしいだけでなく、囚人たちも家族として関わりたいと考えているのだろうな」

「ええ、きっとそうです。――難しいですか」

「うむ」


 牛おっさんは腕組みして目をつぶった。しばらく黙ったまま考え込んでいたが重々しく口を開いた。


「難しい。だが囚人たちの話、必ずわがきみにお話し申し上げよう。『それならばこうしよう』などと簡単に約束できんが」


 牛おっさんはコウジがしょんぼりと肩を落とすのを見て苦笑した。


「何も変えられない、どうしようもないと言っているのではない。我が国の体制、社会構造や文化に関わることだからこそ慎重にことを進めなければならんのだ」


 後世への影響を顧みず飛びついてしまったこともあっただけにな、と牛おっさんは重いため息をついた。


「それよりもマレビトどの、ちゃんと休んでくれ」

「休息を必要としないって知ってるくせに」


 コウジは茶の入ったカップを手の中でくるくるともてあそびながら唇をとがらせた。


「身体は休まなくてよくとも心までそうとは限らん」


 牛おっさんはぽん、とコウジの肩に手をおき「無理するなよ」と声をかけ寝室へ下がった。



 何となく習慣で食事や入浴をして睡眠をとり、起きて鏡の前で顎をさすって


――ああ、そうだった。


 と気づく。食糧や水、エネルギーを無駄遣いさせていることが後ろめたい。ウィルス性疾患を持ち込み、独特の生殖システムや家族制度に揺らぎをもたらし、繊細な星間政治におけるナラクの人々の立場を危うくした。


――たった数時間の逢瀬が。

――どうやって償えばいい。


 古びて曇りかけた鏡に映る男の顔は暗い。



 当初、保育所は遠巻きにされていた。国から奨励された自然分娩であるが、獣じみていると敬遠する向きが多かったからだ。表だって反論はしなかったけれど、クローン体で子孫をつくるほうがよっぽどおかしい、コウジはそう主張したかった。


――でも、所詮異世界なのだし。


 彼らには彼らの流儀がある。自分のいた世界の常識を持ち込んだところで社会がうまく回るわけでもない。彼らも少しずつ赤ん坊や幼児のいる状態に慣れていけばいい。

 そうコウジは考えていたのだが、事態が好転してきた。赤ん坊だ。

 春に生まれた赤ん坊三人は生後半年近くになった。ふよふよと頼りない新生児期を乗り切り、首が据わってだっこしやすくなったこともあるが、何よりかわいい。とにかくかわいい。

 庭越しに赤ん坊を見に来る者が増えてきた。


「ああ、ほんとだ、かわいいねえ」

「ほらあの子は、緑輪党のあの娘が産んだんだと」


 ほうほう、とうなずき合う。


「笑ったよ」

「本当だ、笑ってるよ」

「ああ、泣きはじめたよ」

「でも――なんだかかわいいねえ」


 寝返りを打ち拳をあげてにぎにぎと宙をつかもうとする赤ん坊の仕草一つ一つが珍しくて仕方ない様子だ。最初のうちは珍獣を眺めるようだったが、回を重ねるごとにだんだんとなじんできた。赤ん坊のあどけない表情や仕草に心をつかまれるのは人に備わった本能なのかもしれない。コウジはそう思った。



 ナラクシティの人々はのんびりしているようで意外に忙しない。その日、コウジには特に人々が忙しそうにしているように見えた。


「何かあるんですか?」


 赤ん坊をあやしてやりながらコウジは紫五家の若衆に訊いた。


「何か――というほどではありませんが、この季節は森へ出かける人々がシティを出入りするから賑やかですかねえ」


 黒髪の美女もおっとりとした仕草でおむつをチェックしながら答えた。


「森へ」

「ええ」

「何しに」

「何しにって、いろいろな物を集めに」


 女は首を傾げ困ったように微笑んだ。


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