十九
冬が近づいてきた。
人類拡散連盟から新たに囚人が送られてきた。キ神により永住のための措置がとられ、慣れるまでしばらくの間、新しい囚人たちはナラク国民の前に姿を現さない。
ニューカマーは囚人だけでない。女たちの出産が相次ぎ、コウジの勤める保育所も新たに新生児を迎え賑わった。
それでも単純に人が増えたわけではない。
他惑星で生まれ育った囚人の中にはどうしても惑星ナラクの厳しく寒冷な気候に適応できない者もあった。そして惑星ナラク入植当初から見られる男児が産後すぐ亡くなってしまう謎の現象が続いていることもあって、新生児の生存率はまだ半分に満たない。
「あっ……、怖い」
「大丈夫ですよ」
「やわらかすぎて壊してしまいそう」
「大丈夫。ただまだ首が据わっていませんから、こんな風に」
さあもう一度、と促し赤ん坊を抱かせてやると長時間にわたる分娩で疲れ切った女の顔が一転、喜色で照り輝いた。
「かわいい。小さい。しわしわなのに――かわいい」
「かわいいですね。これからもっとかわいくなりますよ」
深まった女の笑みが陰る。
「でもだっことか、世話の仕方とか、忘れてしまいそう」
「一度で覚えようと気負う必要はありません。何度でも聞いてください」
「いいの?」
「ええ、大事なことですから。何度でも」
胸もとの赤ん坊に視線を戻した女が笑顔になった。コウジもいっしょに赤ん坊の寝顔をのぞきこみ微笑んだ。
ナラク王国では人々はクローン体として生を享け、七歳に相当する状態まで培養ポッドで育つ。今までそうやって代を継いできた。
いくら人間に備わった本能があり、そしてキ神が遠い昔の惑星ガイア由来人類の技術をある程度データベースとして内蔵しているとは言え、妊娠、出産、乳幼児期の育児のノウハウの不足は否めない。女たちは妊娠に気づかず当たり前のように狩りや渡河などを含む過酷な長期遊牧に出かけてしまう。妊娠中だけでなく、出産後すぐに妊娠前の生活に戻ろうとする。産前産後、とにかく大事に過ごすという新常識をコウジは徹底して説かなければならなかった。妊婦本人にも、そして医療のスペシャリストである医師に対しても。
「なんで? けっこう元気そうだよ?」
医療部外の庭でコウジは馬頭党の医師のひとりと向かい合っている。のんびりとした口調に人の良さが現れている。だが人がよければ何でもいいわけではない。
「妊婦さん、特に初めて妊娠する人は自覚症状が薄いんですよ。何かあってからじゃ遅いんで、予防する意味でも」
「えー? マレビトさんって細かいタチなの?」
目の前の馬頭の男は春の祭りの時に乳腺炎で苦しむ紫五家の若衆の診察を怠った医師だ。栗毛に額の星は馬頭の男によくある被毛だがのんびりした口調に覚えがある。人の良さ、人当たりの良さがあるのと同時にコウジのような部外者の助言を受け入れない頑ななところがあると見た。
「話をすりかえられると困ります。妊婦さんと胎児の安全の問題ですよ」
コウジが細かいタチかどうかなどこの場合どうでもいいのである。
「ちゃんとキ神に確認した上で妊婦さんに生活指導してくださいよ」
「ええー? だいたいマレビトさん、あんた医者じゃないのに口出しされても」
そこへぬうっと大きな影が差した。
「専門の話は分からんがね、俺の母親もマレビトどんと同じことを言っとりましたが」
ゆったりと巨体を曲げて会釈したのは猪頭の囚人、イノさんだ。
「つわりが重かったり、逆にぴんしゃん元気そうにしていたり、いろいろだけどもとにかく妊娠は最初が肝心、そう言うとりました」
栗毛の医者が半歩後ずさった。言葉は丁寧だがイノさんは強面だ。
「俺たち囚人は部外者っちゃあ部外者だけども、それでも父親だ。妊婦が大事にされないと自分たちの子がないがしろにされているようで切なくなる者もありますがね」
「――わ、分かりましたよ、気をつけますよ、これから」
そそくさと庭から去る栗毛の医者を見送ってからコウジは頭を下げた。
「イノさん、ありがとうございます」
「うんにゃ、うんにゃ」
イノさんのように理解のある者もあるが、囚人の中には
――寒さが厳しくて地獄のような星だと聞いていたが。
――寒いのは確かだが衣食住は保証されてるし女とつきあえるし、悪くないよな。
――それよ。国策だってんで女が差し出されるんだからたまんねえよ。
などと言う者もある。囚人の全員が全員同じではないのだが目立つのはこうした声の大きい者たちだ。種播きに熱が入り過ぎている、物扱いされて不愉快だ、と何かとはっきりきっぱりしたナラク女性から嫌われ始めている者もあるらしい。イノさんのような考えの囚人がいることはあまり知られていない。
「さっき言ったことはほんとうじゃち。マレビトどんのおかげで助かったと喜んどる男もおっとよ。――まあ、俺には嫁もおらんが」
イノさんが苦笑した。言っていることはとてもまともだし優しいのに見た目が悪人だ。苦笑する様がものすごく迫力があって悪い人に見える。この見た目で損をしていて今のところイノさんに恋人はいない。
「ほんとはいっしょに遊牧についていって思い人の助けになりたかった、そう思っとるのが多かとよ」
「なるほど」
「俺、もし嫁もらえるんじゃったらいっしょに暮らしたい。遊牧の当番があるんじゃったら一緒に行きたい。重い物持たせないし、狩りも鉱石掘りも代わりにやる」
うっとりと新婚生活の夢を語るイノさんの顔面は怖い。
「ところでマレビトどんよ」
「なんでしょう」
「ちょっち根を詰め過ぎとる、そう聞いたが」
「誰から?」
イノさんは巨体を縮めごつい両手の指先をもじもじと合わせた。
「――紫五家さんから」
普通の人間であれば赤面しているところか。イノさんは紫五家の若衆のことが好きなのだ。当初心を閉ざし気味だった黒髪の美人は今、少しずつ男性体と言葉を交わすようになってきている。それにしてもこの強面で評判の囚人とも話せるようになったとは。
――仕事に差し障りますから。
――いつまでも男性が怖いなどと言っていられません。
と努力を重ねる同僚の美しい笑みをコウジは思い出した。
「ああ、ぼくはその、わりと丈夫なタチなんで」
残業帰りに会社最寄りの駅前で道を踏みはずして惑星ナラクに放り出されて以来、コウジの身体は時を止めたようになっている。髭も伸びない。眠らなくても、恐らく食事をとらなくても生きていける。怪我をしてもすぐに治る。他人からすると気持ち悪いだろうからイノさんにもはっきりと言えない。心配いりませんよ、とコウジはぎこちなく微笑んだ。




