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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第三章

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39/83

十八

 長と呼ばれ犬舎で尊敬を集める黄三家の老女がきびきびとした足取りで建物から姿を現した。扉近くで雄の三頭犬たちにじろじろ見られて居心地の悪い思いをしているコウジを認めるとつかつかとそばへ寄ってきた。ちらりと目だけで後ろを気にするようなそぶりを見せたが特に振り返らず老女はコウジを見上げ腰に手を置き、


「嫁にはやらんぞ」

 と言い放った。


「よ、嫁……って、まさか吹雪丸のことですか」


 うろたえて胡乱なことを言い出すコウジを呆れたように見やり、老女は


「冗談だ、といいたかったのだがまさか本気で吹雪丸目当てなのか、マレビトどの」

「なぜ冗談だと考えていただけないんでしょう」

「おぬしの国では種を超えて婚姻可能かもしれんからのう」


 そんなわけあるか。堅物という評判通りのまじめが服を着て歩いているような老女相手だとつっこみづらい。老女がきびきびした足取りで建物から離れるのについて歩きながらコウジはこっそり苦笑した。こんなまじめな人でも冗談を言うんだな。



 シティの表門近く、カートなどが置いてある車溜まり近くの空き地で老女は足を止めた。


「敷地の外でないと話せないこととはなんぞ」


 厳しく値踏みするような目つきだ。忙しいところを呼び出した詫びから始めようとしたコウジをとどめ、老女は片手をぞんざいに振った。


「ああ、そういうのは不要だ。用件は」

「その……吹雪丸の、というより仔犬の――名づけの件で」

「マレビトどの、おぬしまさかまた」


 老女が居住まいを正した。目つきが厳しくなる。


「ちちちち違っ、違います、つけてません名前」


 半歩後ずさってコウジは小さく痩せた老女をおどおどと見下ろした。


「大丈夫です。そうじゃないです。そろそろ名づけの時機なんじゃないかと思っただけで」

「根拠は」


 老女の眼差しは厳しいままだが、そこに自分への非難の色がないことを読み取りコウジは少し安堵した。


「仔犬が吹雪丸から離れる時間が増えたことと、何となくですが、吹雪丸がぼくを仔犬から遠ざけようとしているように思えて」

「もうそろそろ乳離れするからのう」


 老女はなるほど、と腕組みをして考え込んだ。


「――知らせてくれて助かった」


 吹雪丸は気位が高く扱いづらいのを超えて強く賢い。その吹雪丸の仔であるから成長が期待されている。仔犬はまだ吹雪丸の元で育てられるが、引き取り手の候補が何人か上がっている。五輪党のトップやその係累が手もとに、と望んでいるのだという。


「人気があるんですね」

「当たり前じゃ」


 老女はふんぞり返り、そしてふと視線を逸らした。


「その、名づけの頃合を計るのに――他に何か兆しのようなものがあろうか」

「そうですね」


 コウジはしばし考え込んだ。吹雪丸と初めて出会ったとき、と記憶をなぞっていて少年のようないでたちの美しい人の面影が同時によみがえる。コウジの胸が疼いた。


「吹雪丸が仔犬の頃――あのとき確か、母犬からずいぶん離れていました」


 初めて会ったときのこと、一度母犬の元に戻った後再びコウジを探しに戻ってきたことをコウジは老女に語った。


「もしかしたら乳離れだけでなく自立心の兆しが見える頃合いが名づけの時機かもしれません」

「なるほどな」


 頷いて老女はじっとコウジを見つめた。


「実はわしは名づけと言い聞かせが得意ではない。名づけはあれが――娘が上手でな」

「――す」

「謝るな」


 老女は口を開きかけたコウジを静かに遮った。

 視線を高く澄んだ空へ向けた老女はしばらくそのまま佇んでいたが、軽くあごを引き、意を決したように口を開いた。


「我が黄三家は断絶することになった」

「どういうことです」


 詰め寄るコウジに視線を向けず、しかし穏やかに老女は言った。


「以前から断絶の話は出ていたのだ。我が家は国に不浄の病を持ち込み、先のおおきみが王位を手放すきっかけを作った」

「しかしそれは」

「そうじゃ、娘が悪いのではない。マレビトどの、おぬしが悪いのでもない。皆分かっておる。臣だけでなくわがきみも、先のおおきみも」


 言葉を失うコウジに構わず老女は続けた。


「我が家が断絶する前に犬舎で三頭犬育種の手法を確立し共有せねばならぬ。だからマレビトどの、おぬしから名づけの時機について助言をもらえて助かった」


 宥めるようにコウジの腕をぽんぽんと軽くたたき、老女はほろ苦く笑んだ。


「家業も大事ですが、た――お孫さんはどうするんです」

「そうよの、ひとりになってしまうのう」


 老女はひたとコウジを見つめた。沈黙に耐えかねてコウジが目を逸らすと老女は静かに


「断絶の件はわしからわがきみに申し出たのじゃ。しかし孫はまだこの話を知らぬ。くれぐれも内密にな」


 と言い、きびきびとした足取りで犬舎へ去った。



――黄三家が断絶。どういうことだ。


 物堅い家風の黄三家は代々クローンで世を継ぐことに誇りを抱いていたはずだ。橘もその点に疑問を抱いている様子はなかった。母親である柚子を失い、いずれ祖母が先立てば橘はひとりになる。

 独戸。

 ひっそりとはばかるようにささやかれるその言葉をコウジが初めて耳にしたのはいつだったろうか。独戸は家を構成する人員がひとりのみの世帯を指す。病気がけがで欠員が出て独戸となった家には継承のためのクローン培養が手配される。ただ、はばかるように


「あそこは独戸になったそうだよ」

「ああ、あの件で」


 ひそひそとささやかれるとき、独戸は単に一人世帯という意味ではない。殺人や背任など、ナラク王国社会に重大な影響を及ぼした犯罪者の属する家は連帯責任を負う。狭義での独戸は継承のためのクローン培養が許可されず断絶の決まった家を指す。


――ぼくのせいで柚子が死んで、橘の家が独戸だと(そし)られることに。

――ぼくのせいで。


 勢いを失い色褪せた草が風になぶられる空き地にひとり残されてコウジは立ち尽くした。


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