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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第三章

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十三

 吹雪丸を説得。賢いとはいえ大雑把にくくれば相手は犬だ。具体的にどうしたものか。

 コウジは犬が好きだ。実家に老犬がいる。この老犬との関わりはコウジが命令してコミュニケーションが成立しているようでいてなんだかんだ言って互いの、特に老犬側の洞察力の高さにおんぶ抱っこと言えなくもない。

 吹雪丸も同様だ。常にコウジの気持ちを先回りして理解しているように見える。目の前に立つコウジの常になく硬く緊張した様子を察したのか、このとき吹雪丸はぺったりと地面に伏せ、三つ頭すべてそろえてくふくふ、と小さく鼻を鳴らしながら上目遣いした。


――かわいい。


 確かに強面だ。七代先まで呪ってやる、と言わんばかりの目つきだがそれでもコウジからするとかわいくて仕方ない。


――子どもを産んでくれ。


 ストレートに迫るか。それとも


――いい天気だね。


 から始めて


――ところで吹雪丸、そろそろ……。


 などとまどろっこしく迫るか。

 当の吹雪丸は足下に伏せてくふくふ、と鼻を鳴らしじっとコウジを見上げている。らんらんと輝く青い目にコウジの心の動きを見逃すまいとする健気な色が見える。きっとどんな言い方をしても吹雪丸にはある程度伝わる。それであれば。

 コウジは跪き、三つの頭をそれぞれに撫で、そしてふかふかとやわらかな白とグレーの毛に顔を埋めた。


「吹雪丸。――大好きだよ」


 仔犬の頃のほんのひととき共に過ごしただけだというのに吹雪丸はちゃんと覚えていてくれて、コウジのそばにいてくれる。それが名づけと刷り込みの効果なのだとしても、偶然やってきたこの世界で折れそうになるコウジの心の大きな支えになっているのが吹雪丸だ。

 顔をあげてコウジは再び三つの頭をそれぞれに撫でた。


「待っててくれたんだよね。吹雪丸はぼくがここへ戻るのを」


 くふくふ、と鼻を鳴らし吹雪丸は目を細めた。


「ぼく、吹雪丸の赤ちゃん、見たい」


 吹雪丸は三つの頭すべてもたげ、じっとコウジを見つめた。離れたところで様子を見守る橘へ頭のひとつを向け、再びコウジへ視線を戻す。七代先どころか末代まで呪いそうな目つきでコウジの言葉を吟味している。橘や王の意向を受けて「赤ちゃん見たい」と言い出したことも理解していそうだ。言わされているだけなのか、それとも、とあるじの気持ちを酌もうとしている。


「わふ」


 しばらくじっとコウジの目を見つめたのち、吹雪丸は一声吠えた。


――ぼく、甘やかされてるな。


 賢い三頭犬がくふくふと鼻を鳴らすのに応え、コウジは強面フェイスに頬を寄せた。



 そんなことがあってしばらく後、吹雪丸は一時的に王の側仕えの任を解かれた。


「ようやってくれた」


 わざわざ保育所へやってきた王から聞かされて初めてコウジは吹雪丸の懐妊を知った。驚きとともに王とともにやってきて庭で控える吹雪丸へ目を遣ると、いったんじっと見つめ返した三頭犬が頭すべてふいっと背けた。コウジは庭へ出て吹雪丸に駆け寄り


「よかったね。ぼくも嬉しいよ。すごく嬉しい」


 わしゃわしゃと三つ頭すべて撫でまわした。


「元気な赤ちゃんを産んでね」


 つーんと明後日の方を向いていた吹雪丸が機嫌よく目を細め、くふくふと鼻を鳴らした。

 以来、朝になると吹雪丸は犬舎から出て保育所の庭へやってきてのんびり産休を満喫している。放課後になると教育施設からやってくる子どもらが巨大な強面三頭犬に怯えていたのは最初の数日だけだった。この手合いのハードルの高さは先入観のないほうが克服しやすい。培養ポッドから出てすぐの恐れを知らない幼子たちがすぐに吹雪丸と仲良くなった。年長の子どもたちは大きな獣がどんなに恐ろしいかを知っているので尻ごみしていたのだが、自分より小さな子どもたちが安全に遊んでいるのを見て怖がらなくなった。プライドの問題もあるのだろう、とコウジは見当をつけている。



 夕方になると、赤ん坊を迎えに母親たちがやってくる。手つきのおぼつかない新米の母親が嬉しげに顔をほころばせる様子はほほえましい。そして犬舎へ吹雪丸を連れ帰るために橘もやってきた。


「だるそうな様子もないし、元気に子どもたちと遊んでたよ」

「そうか」


 コウジは日中の吹雪丸の様子を報告した。橘はやはり目を合わせてくれない。さびしくないと言えば嘘になる。庭で寝そべり夕映えに目を細める吹雪丸に視線を据えたまま橘は口を開いた。


「今はそうでもないがしばらくしたら腹が目立ち始めるだろう」

「うん」

「夏の終わりには出産だ。苦しまなければいいのだが」


 橘の表情が陰った。しばらく唇を引き結び頑なな横顔を見せていたがちらりとコウジに目を遣った。


「吹雪丸の出産に立ち合ってもらうやもしれぬ」

「きみの役に立てるなら何でもする」


 橘の大きなアーモンド形の目の、はちみつ色の瞳が憂いで曇った。


「――そうか。助かる」


 吹雪丸を伴い庭伝いに去る橘の後ろ姿を目で追う。

 牛おっさんがいっしょに暮らしてくれて、職場では馬頭の頭領や春宮らに気遣われ、道を踏みはずした初めの頃と違って、今は橘がいなければどうにもならないということはない。しかし、橘の様子が気がかりだ。仕事で何かトラブルがあったのか。黄三家のことで何かまずいことでも起きたか。それとも――。物言いたげな橘の瞳を思い出す。


――ちゃんと言ってくれないと、何も分からない。


 昼間の賑々しさが嘘のようにがらんとした保育所の庭に面したウッドデッキに立ちつくし、コウジはもどかしく悲しい気持ちに苛まれた。日が暮れて空が照柿色に燃えている。


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